55話 勇者は異世界の疑問を説明される
「おかえりなさい」
サラフィネに笑顔で迎えられたが、気分は優れなかった。
「おかえりなさい!」
「いや、聞こえてねえわけじゃねえよ」
「なら、挨拶くらいしてもいいんじゃないですか?」
至極もっともな意見だ。
どんなときも礼節は大事。
社会人の基本である。
「ただいま」
「はい。おかえりなさい」
帰還を喜んでもらっているのは理解できるが、これでいいのだろうか。
「なあ、サラフィネよ。おれはまだなにも達成してないわけだが、このタイミングで戻ってきていいのか?」
「勇者よ。わたしにはあなたのおっしゃっていることが、理解できません」
サラフィネが首を傾げ、眉間にしわを寄せた。
「いや、だから、おれは三号を発見してないし、大魔王も倒してないだろ。それはマズイんじゃないか!? って話だよ」
「それこそが理解しかねます。勇者よ。あなたはどちらも達成したではないですか」
「ええっ!? いつよ」
「つい先ほどです」
ということは……
「あの竜が大魔王だったのか」
「正解です」
お見事、というように、サラフィネが拍手した。
眉間のしわも綺麗に消えている。
(やっぱ、そうだよな)
竜がラスボスだろうと……薄々感じてはいた。
だから、それほどの驚きはない。
むしろ、あれ以上強い敵がいないことに安堵した。
「けど、おれは三号に会った覚えはないぞ」
「あれほどはっきりと会話を交わしておきながら、あなたはなにを仰っているのですか?」
サラフィネの眉間のしわが復活した。
しかも、さっきより深い。
(はっきりと会話した……か)
おれがそれをしたのは、数人だけだ。
「なるほど。あいつがそうだったのか。まさか……ベイルが三号だったとは」
「違います!」
間髪入れず、サラフィネに否定された。
眉間のしわもさらにさらに深くなり、目も吊り上がっている。
いつになく怒っているようだ。
「わかってる。わかってるよ。いまのは冗談。三号は甲冑騎士だろ」
「あなたの冗談は、面白くないうえに不快です」
いまのが面白くなかったのは認めるが、不快とまで酷評されるモノではない。
それに、真っ向から言われると腹が立つ。
「大体、あなたは馬鹿なのですか? あなたが現地人とコミュニケーションを取りたいと言うから、あの世界に送ったのに……」
こめかみを押さえ、サラフィネがかぶりを振った。
「ろくに村人と会話をすることもなければ、明らかに好意を寄せられている娘とのフィジカルコンタクトはおろか、普通の交流すら避ける。あげくサヨナラすら言わせない……最早鬼畜の所業です! 同じ女性として、心底辟易します」
そう吐き捨てられた。
否定できない側面もあるが、聞き捨てならない部分もあった。
「ちょっと待て! 会話をしなかったのはおれの落ち度かもしれないが、フィジカルコンタクトは必要ないだろ」
「はああぁぁぁぁぁぁ」
盛大なため息を吐かれた。
心底ガッカリしているのがわかる。
「気持ちを守る、という側面においても、必要だったはずです」
それはそうかもしれない。
べつの大義があったとしても、初めては好きな人と結ばれた、という結果は大事だ。
けど、あの時点で、おれがワァーンを抱くことはありえない。
「勇者の性格上、それが難しいのは理解しています。ですが、勇者があの娘とのフィジカルコンタクトを行わないのだとしても、あの場にいれば物語の進行は格段に速かったのです」
断言されてしまった。
ということは、理由があるのだ。
おれは口をつぐみ、サラフィネの言葉を待った。
「まず初めに、勇者が耳にした『六本のご神木は太古の時代において、竜神様がその身を変えた』という話は、真実ではありません」
「マジかよ……」
「ええ。では、なぜあのような伝承が生まれてしまったのか。それには森を襲った疫病と、村人が頼った祈祷師が大きく関係しています」
その当時、偶然発生した流行り病を、若者が大きな蛇を殺したことで呪われた、と言った大人がいたらしい。
それが口伝し、竜神様の不興を買った自分たちはここに留まってはいけない、という話に発展した。
現代日本人の感覚からすれば、それは非常に眉唾モノの話であり、信じる者は少ないだろう。
けど、無垢な村人の中には、その言葉を信じご神木から距離を取った者もいた。
(なるほどな)
それでなんとなくわかった。
心霊現象を筆頭に、人は説明できないものを恐れる。
理解できないから、いつ自分の身に降りかかるかわからない。
だから恐ろしい。
けど、理屈や根拠が説明かつ納得できるのであれば、過度に恐れることはしないだろう。
「運の悪いことに、村人が頼った祈祷師は、ペテン師だったのです。その嘘つきはご神木には人々を護る結界があるのに、その側から離れようとするから病に倒れるのだ。健康でありたいなら、ご神木を大事にしなさい。万が一折れたり枯れたりしても大丈夫。ピンチになれば勇者が現れ、必ずやその窮地を救ってくれるはずである。だから、歓待しなさい。などと、ふざけたお告げを残したのです」
ピンチを救う者が勇者であるなら、インチキ祈祷師もまたそれである。
つまり、自分を歓迎しろ、と言っているわけだ。
「クズだな」
「ええ、その通りです。ですが、その種の人間に免疫のない村人たちは、言われるがまま歓待しました」
その際、求められるがまま、村の若い娘を差し出したそうだ。
初対面の男に手籠めにされることを泣いて嫌がった子と親がいたが、数日後、流行病が収まったからやるせない。
それは偶然が重なっただけなのだが、インチキ祈祷師の評価を上げるには、十分すぎる出来事だった。
「結果、善良な村人はペテン師の言葉を鵜呑みにし、竜とご神木は守り神であり、それを脅かすモンスターは悪。といった図式が生まれてしまったのです」
ボタンの掛け違えなのだろうが、おれにはわからないことがある。
「伝承が誤解だというのは理解できたが、大魔王を封印していたという意味においては、あながち間違いじゃないだろ」
「そこがそもそも間違っているのです。あの世界において、太古から竜は邪神です。そして、あれがあの地に縛られたのは、自業自得です。欲望のまま好き勝手に暴れ回る姿を見咎められ、上級神に封印されただけですからね」
なんとも言えない話であり、
「まあ、どの社会においても、はみ出し者みたいなやつはいるんだよな」
気づけば、そう漏らしていた。
これはフォローではない。
その証拠に、おれの脳裏には、思い出したくもないかつての同僚が浮かんでいる。
(おれは嫌な思い出しかないこいつのことを、なんでこんなにはっきり覚えているんだ?)
答えは、忘れたくても忘れられないほど、迷惑をかけられたからだ。
縁あって道ですれ違うことがあったら、さりげなく殴る。
その誓いは、いまも消えていない。
「残念ではありますが、どこの世界においても、馬鹿は一定数いるものです」
サラフィネの言葉にも、実感が込められている。
意外と、苦労してきているのかもしれない。
「ただ、そういった連中の傾向として、一筋縄ではいかないという側面があります。あの邪神もそうでした。邪神は上級神に封じられる直前、六つの呪いの樹を出現させたのです」
「ご神木か」
「そうですね。後にご神木と崇められるあの樹です」
「だけど、なんであれが呪いの樹なんだ?」
モンスターを呼び寄せることはあったが、村人たちで対処できていた。
それが出来なくなったのは、おれやベイルが樹を伐り倒し、モンスターがパワーアップしたからだ。
「あの樹の本来の役割は、人と魔物の持つ生命エネルギーを邪神に届けることです。そのためにあの森に住まう者を魔物に変え、人間と殺し合いをさせていたのです」
(なるほど)
そう言われれば、五の村の住人が魔物に変わるところを目撃しているし、ロナウドが大柄なおっさんになったのも確認した。
「そのために、呪いの樹は両者と一定の距離を取る必要があったのです。自らを中心に村が出来ることをご神木が嫌がる、という話がありましたね」
六の村の村長との会話に、その文言はたしかにあった。
「それにも理由があります。呪いの樹は生気を吸収し死んだ人間を魔物に変えます。ただ、その事実が知れ渡れば、森から人はいなくなるでしょう」
当然だ。
そんなおっかない場所に、好き好んで常駐するバカはいない。
「邪神はそれを恐れたのです。理由はわかりませんが、呪いの樹は人と魔物の生命エネルギー以外は吸収できないようでしたから」
「土や樹ではダメなのか」
サラフィネがうなずいた。
なら、理には適っている。
付かず離れずいることで、呪いの樹は人間を魔物に変えやすいし、人間は守ってくれていると勘違いする。
万が一伐り倒されたとしても、救済処置が用意されているのだから、至れり尽くせりである。
「今話したことは、多くの村人たちと話すことで知り得た。もしくは、推測できたことです」
その通りだと思う。
よくよく思い返せば、おれもずっと違和感を覚えていた。
本当に数多くの会話をこなしていれば、あんなに動き回らなくてもよかったのかもしれない。
そう思ったら、どっと疲れた。
「ダメだ。立ってられない」
おれは床にへたり込んだ。
「無理もありませんね。では、一度休憩にしましょう。残りの話は、それからでも遅くありません」
「ありがとうよ」
「礼には及びません。奥に湯浴みする場所と寝室がありますので、ごゆるりとつろいできてください」
サラフィネが指をパチンと鳴らすと、真っ白な空間に穴が開き、道が生まれた。
「お言葉に甘えさせてもらうわ」
迷わず、おれはそこにむかった。