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32話 勇者の心と朝食は冷めていく

 村長に案内された宿は、まあまあだった。

 室内は質素で最低限の物しかなかったが、寝るだけなので問題ない。

 ベッドがあれば、充分に事足りる。


「ふわぁ~」


 大あくびが漏れた。


(もうダメだ)


 おれは倒れ込むように、ベッドに横になった。

 敷き布団は少し硬いが、森の香りが心地よい。

 たぶん、中綿の代わりに、柔らかい木の葉を使用しているのだろう。

 毛布も同様だ。

 森林浴の香りが、おれの眠気をさらに誘う。


 ZZZZZZ


 おれの意識はすぐに刈り取られ、一瞬で眠りに落ちた。



「……者様。勇……様。勇者様」


 ワァーンの声がする。


「朝です。起きてください」


 低血圧は朝に弱いと言われているが、おれはそうでもない。

 寝起きはいいほうだと自認している。

 それを証明するように、軽快に布団をはねのけた。


「おはよう」

「おはようございます」


 一人暮らしが長く、寝起きのあいさつもなつかしい。


「今日はいい天気ですよ」


 差し込む日差しも温かく、心地よかった。


「んんんん」


 立ち上がって伸びをした。


「昨日の疲れは残っておられませんか?」

「大丈夫だよ」


 バリバリのIT技術者だったころ、繁忙期は五時間眠れたら奇跡だった。

 平常多い時でも、六時間。

 それが昨晩は少なく見積もっても、七、八時間はあった。

 これで体調が悪いはずがない。


「朝ごはんはどうされますか?」

「いただきます」


 本来朝は食べない派だが、それは生活が不規則だったから。

 締め切りに追われ続け、規則正しく三食食べるなどという行為は、したくても出来なかった。

 腹が減ったら、片手で食べられるモノを口に放り込む。

 それが常だった。

 そんな生活を送っていると、周りからは食に興味がないと思われがちだが、違うのだ。


(出来ることなら、三食ちゃんとした物を食べたいんだよ)


 おれは常々そう思っていた。

 だからこそ、時間に余裕のあるときは、欲望に忠実になる。


(食べたい物を、食べたいときに、全力で食べる!)


 値段が張る張らないは、二の次だ。

 大事なのは、美味しい品で腹を存分に満たすこと。

 それが人生の楽しみでもあった。

 とどのつまり、食べることは好きなのだ。

 いまもパンが焼き上がったような芳醇な香りがしていて、ウキウキしている。


「では、身支度を整えられたら、下にいらしてください」


 ワァーンがお辞儀をして去っていくが、ひょこひょこと歩きかたがぎこちない。

 それを指摘しないデリカシーはあるし、ワァーンの表情は昨日と一緒だ。

 ベイルとの行為は無理やりではなかった、ということだろう。


(よかった。よかった)


 親戚のおじさんみたいだが、安心した。


「さて、飯にするかな」


 身なりを整え、おれは階段を下りた。



「こちらです」


 声のしたほうを見ると、店の奥のテーブルにワァーンがいた。


「よう」


 その隣りには、にこやかに手をあげるベイルがいて、


「やっと起きてきたか。バカ野郎」


 不機嫌そうな村長は対面に座っている。

 四人掛けの席で空いているのは、村長の隣だけだ。


(イヤだよぉ~)


 村長の隣うんぬんではなく、あのテーブルに着くこと自体が嫌だ。

 けど、わがままは許されない。

 席はおろか、食事もセッティングされてしまっているのだから。


(外堀は完全に埋められたな)


 当然、テーブルの移動も許されない。


(ああ、憂鬱だ)


 食事は美味しそうなのに、テーブルを囲むメンツが最悪だ。

 せめて、席順くらい気を使ってほしかった。


(ベイル。お前がおれの隣に来いよ)


 そうすれば、おれが間男のような心境にならずに済む。

 ただ、それが叶わぬ願いであることは、理解している。

 なにせ、ベイルは隣りのワァーンを、抱き寄せているのだから。


(面倒くせえなぁ。飯ぐらい気持ちよく食べさせてくれよ)


 美味しそうな食事の匂いに上がっていたテンションは、いまやだだ下がりだ。


「おはようございます」


 半ば諦め、おれは席に着いた。


「遅よう」

「ったく、もうちっと早く来いってんだ。バカ野郎」


 ベイルと村長に嫌味を言われた。

 意味がわからない。

 起床時間は指定されていないし、朝会う約束をした覚えもない。

 けど、反論することに意味がないのも、理解している。

 ベイルの表情は自分の優位性を確信し、上から見下しているのが丸わかりだ。

 ワァーンを抱いたことが、よほど嬉しかったのだろう。

 こうなっている人間には、なにを言っても無駄だ。


「いや、べつにうらやましくねえし」


 などと言おうものなら、


「ああ、ハイハイ。負け惜しみね」


 と返されるのがオチだ。

 一番いい対処法は、相手をしないこと。

 それに尽きる。

 かたや、村長のほうは八つ当たりだ。

 ワァーンを手籠めにされたことにイラ立っているのは、疑いようがない。


(そのイライラをぶつける相手が、おれなんだよな)


 そこにロジックはないし、道理もない。

 当然、反論しても意味がない。

 一番いい対処法は、空気になってやり過ごす。

 これしかない。


(ザ・エアー)


 心の中で呪文を唱え、おれは空気になった。

 ちなみにだが、これは魔法ではない。

 おれが社会人時代に編み出した処世術なので、その辺勘違いしないでほしい。


「…………」

「…………」

「…………」


 ベイルと村長がなにか言っているが、おれには届かない。


(心を無にしたからな)

「…………」


 まだなにか言っているようだが、リアクションしないでいると、ベイルはおれから興味を失ったようだ。


「ワァーン。食事を再開しよう」

「ええ。勇者様」

「では、食べさせてくれないか」

「ふふ、勇者様ったら、仕方がありませんね」


 ベイルが口を開け、ワァーンがサラダを含ませた。


(なんだ!? このバカップルは!?)


 あまりの衝撃に、心が波立ってしまった。


(くそっ。呪文の効果が切れた)


 これが続いていたのだとしたら、村長の仏頂面もうなずける。


「美味しいよ」

「ええ。このお店の料理は絶品ですよね」

「ワァーンが食べさせてくれるから、味が増してるのさ」

「あら、私の料理が食べたいとは言ってくれないのですか?」

「ワァーンが絶品なのは、昨日確かめたからな」


 不服そうに膨らませた頬に、ベイルがキスをする。


「もう。勇者様ったら」


 恥ずかしそうにはしているが、まんざらでもなさそうだ。


(無理だ。理解できない)


 恐ろしい速度で心が離れていく。


「デザートは桃かな?」

「きゃっ。勇者様! それは桃ではございません」


 机で隠れて見えないが、ベイルがワァーンの尻を触ったようだ。


(すげえな、こいつ。よく親の前でこんなことが出来るよな)


 横目で見たら、村長は怒りを通り越し、悲しそうにしていた。

 眉尻と目尻が下がった顔は、捨てられた犬のようだ。


「じゃあ、サクランボかな」


 鼻の下を伸ばし、ベイルがワァーンの胸に手を伸ばす。


(これはダメだ)


 村長でなくとも、いたたまれない。

 素早くテーブルに置かれたフォークを掴み、ベイルの手の甲に投げつけた。


「イテえっ!」


 もちろん、突き刺すようなことはしていない。

 おれがぶつけたのは、柄の部分だ。


「おい! なにすんだ!?」


 手を引っ込めたベイルがにらんでくる。


「悪い。手が滑った。寝起きでまだボーッとしてるみたいだ」

「そんな言い訳が通じると思っているのか?」


 無理なのは理解している。

 寝ぼけていたやつがフォークを落とすならまだしも、投げつけたのだから。


「許してくれよ。聞くに堪えなかったんだよ」

「ケンカを売ってんだな」

「滅相もない。ただ、そういうことをするなら、人目のないところでお願いします」

「うらやましいってことか」


 勝ち誇ったようにベイルが笑う。

 さきほどの地獄のような光景が訪れないのなら、そう思ってもらってかまわない。


「ワァーン。場所を移そう」

「ですが勇者様」


 立ち上がったベイルとは反対に、ワァーンは困惑の表情を浮かべている。

 意外だった。

 先ほどまでの感じなら、ノリノリで行きそうだったのに。


「約束は守られるのだろうな?」


 腹の底よりもっと深い場所から、村長が絞り出すように訊いた。


「当然だ」


 胸を張ったベイルの返答に、ワァーンが目を閉じた。


「ありがとうございます。勇者様」


 すぐに目を開き満面の笑みを浮かべるワァーンは、別人のようだ。

 一瞬で気持ちを切り替えたのだろうか。

 もしそうなら、一流女優もかくやである。


「では、失礼。行こう、ワァーン」

「はい。勇者様」


 ベイルの腕に自分の腕を絡め、ワァーンたちは店を後にした。


「いいのかい?」


 訊くのも野暮だが、いまなら対処できる。


「いいんだ。いい……んだよ。バカ野郎」


 最後は消え入るような声だった。

 それだけで、よくないことはわかる。

 本来なら止めてやるべきなのだろうが、村長がそれを望んでいない。

 手を震わせながらおれのズボンを強く握っているのが、その証拠だ。


(理由があるんだろうな)


 ワァーンのことなのか、娘が選んだベイルのことなのか、はたまたべつのなにかなのか。

 探ることはできるが、はばかれる。

 必死に耐える村長の傷を、穿るようなことはしたくない。


「はああぁ」


 ため息が漏れた。

 この世界に来てから、こんなことばっかりだ。

 いい加減嫌になってくるが、折り合いをつけるしかない。


(村長もワァーンも納得してるんだしな)


 そうじゃない可能性も感じはするが、両者が腹をくくり覚悟を決めていることは間違いない。

 なら、おれがしゃしゃり出る問題ではない。

 この話はこれで終わり。

 だれも得しないことをする必要はない。


「いただきます」


 朝食に手を付けた。

 美味しそうな匂いをさせていたそれは、すっかり冷めていた。


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