31話 勇者は異世界の食事を堪能する
最後の勤務先が多国籍であったこともあり、いろいろな食事を口にする機会があった。
もちろん、味の好みが合う合わないもあった。
けど、見聞は広められた。
見た目は好みじゃなくても、味は好き。
匂いはきついが、味はまろやか。
などなど、予想外のことは、往々に起こりうる。
もちろん、反対も然りだ。
(世界は広いもんな)
見たことも食べたこともない料理は、無数に存在する。
つまりなにが言いたいのかと言うと、食わず嫌いはよくない、ということだ。
重要なのは、一度食べてみること。
そのうえで好き嫌いを言うぶんには、なんの問題もない。
そう考えられる自分になれたのだから、あの仕事は悪くなかった。
(まあ、帰国の飛行機は落ちたけどね)
……ダメだ。
ツッコミがいないと、このボケは悲しすぎる。
「気持ちまで落としてんじゃないよ」
みたいなことを、だれかに言ってほしい。
「落とすなよ」
炊き出しの兄ちゃんが言ってくれた。
「ありがとう」
手刀を斬りながら、差し出された串肉を受け取った。
焼き鳥のようにぶつ切りの肉が数個刺さっている方式ではなく、よくわからない塊肉が一つだけ刺さっている。
元々は指が四本で、直径と長さが三〇センチぐらいの腕か足だ。
それを炊き出しの兄ちゃんが直火で焼き、火の通った部分をナイフで切り、串に刺して配っている。
(怪しい)
受け取ったものの、そんな感想が頭をもたげる。
というより、おっかない。
見ようによっては、その腕は人間のモノに映る。
(まあ、指が四本だから、人ではないんだろうけど……)
安心はできない。
昔のおれなら、間違いなくスルーしていた。
けど、おれは食わず嫌いをやめたのだ。
(チャレンジなくして、進歩なしだよな)
村人も食べているし、害はないはずだ。
……
多少の勇気は必要だったが、おれは肉にかじりついた。
(美味いな)
肉の味が濃く、噛めば噛むほど、肉汁も溢れてくる。
香草のようなモノで香りづけされているらしく、臭みもない。
塩コショウやソースなどの味付けがないのが残念だが、地球でも十分に通用する味だと思う。
「もう一本ちょうだい」
おかわりするぐらい美味しい。
「気に入ったか?」
うなずくおれに、兄ちゃんが笑みを浮かべた。
「なら、特別にこれをかけてやろう」
「おおおっ!!」
炊き出しの兄ちゃんが取り出した瓶を見て、おれは驚愕の声を発した。
(ヤベェ色だな)
瓶の中身は、とにかく紅かった。
ものすごくまろやかに表現するならば、ビーツだ。
ロシア料理などで使用することの多い根菜であり、ボルシチなどでお目にかかった人もいるだろう。
ただ、目の前にあるそれは、ビーツの紅さなど足元にも及ばない。
あえてその紅さを表現するなら、ルビーだ。
純度の高い天然石のルビーが放つ紅さである。
中身がちょっとだけ光っているのも、おれにそう思わせる一つの要因だ。
正直、正体不明のそれは、人が口にしてはいけないものだと思う。
「美味すぎるからって、死ぬなよ」
死ぬほど美味いという冗談なのだろうが、気持ちが追い付かない。
(フグと同種じゃねえよな?)
当たったら死ぬ。
そんな意味じゃないと信じたいが、怖くて訊けなかった。
「量のリクエストには答えられないぜ」
きゅぽん、と蓋が外された。
「コイツでいくぜ!」
兄ちゃんはどこからか取り出した刷毛を、手の中でクルクルと回転させた。
漫画やアニメでよく見る演出だ。
(カッケェ!)
生まれて初めて生で見た仕草に、おれの目線は釘付けだ。
「瓶にドーン!」
言葉とは裏腹に、そっと刷毛が瓶に突っ込まれた。
「もっと格好よく、スタイリッシュにやってくれよ」
「ふっ、言っただろ!? リクエストには答えられないぜ、ってよ」
「兄ちゃんカッコイイ」
決め顔の兄ちゃんに思わず合いの手を入れてしまったが、別段格好よくはない。
むしろ、一滴も無駄にしないよう、慎重にソースを塗る姿は、豪快さに欠ける。
(まあ、それだけ貴重なモノなのだろうな)
「ほらよ」
ソースが塗られていない箇所のない肉が差し出された。
「あっ……りがとう」
どうしてだろう。
お礼が素直に言えなかった。
「いいってことよ。ただ、みんなには内緒だぜ。多めに塗っちまったからな。はっはっは」
気持ちは乗らないが、受け取らないのは失礼だ。
そして、食べないのはもっと失礼だ。
何度も言うが、食わず嫌いはいけない。
自分にそう言い聞かせ、おれは肉を口に運んだ。
!!!!!!
食べたら衝撃だった。
「このソース! めちゃくちゃ美味いな!?」
いままで食べたどのソースより絶品だ。
ただ、それだけに難点がある。
美味すぎるのだ。
味が際立ちすぎていて、ほかの食材と相性が悪い。
というより、ソースの味が強すぎて、素材の味が消えてしまっている。
(これはアレだな)
単体で食べるしか活きないモノだ。
使用した途端、なにを食べてもこの味になる。
高級だろうが腐りかけだろうが、おかまいなしだ。
(残念だな)
最高の一品だが、『ソース』というカテゴリーで評価すると、ダメなやつだ。
(マジで美味いのになぁ)
ただ、初遭遇という点においては大満足だ。
ペロッと平らげてしまった。
「ありがとう。美味しかったよ。ごちそうさま」
もう少し食べたいおれは、べつの炊き出しにむかうことにした。
肉もいいが、そこは日本人。
(米が食べたいよな)
この世界に稲、もしくはそれに近い食材があるのかは謎だが、探してみる価値はある。
「これ食べて」
ふらふら歩き回っていると、葉物サラダを渡された。
美味しかった。
「勇者様、どうぞ」
スープを渡された。
見た目はコーンポタージュぽかったが、味はカボチャに似ている。
美味しかったので、なんの問題ない。
「いやらしく舐めてください」
ピンクのアイスキャンディーらしきモノを渡された。
言いかたと凝視してくるお姉さんが嫌だったので、舐めずに返した。
「なら、これを啜ってください」
黄色いゼリーを渡された。
たぶん、姉妹だろう。
もしかしたら、双子かもしれない。
どっちにしろ同じ理由で嫌だったので、啜らずに返した。
「じゃあ、これなら文句ないでしょ。でも勘違いしないでよね。べつにあんたのために残しておいたんじゃないからねっ」
大きくて太いバナナを渡されたが、意味がわからない。
ツンデレっぽいのもそうだが、渡してきたのが、やたらとガタイのイイおっさんなのだ。
「せめて三姉妹。もしくは母ちゃんを連れてこいよ」
バナナの皮を剥くことなく、ガタイのイイおっさんの口に放り込んだ。
それから各所を見たが……米はなかった。
(残念だが、諦めるか)
腹が満たされたのと適度な運動も相まって、おれは少し眠くなっていた。
「ふぁ~ぁ」
あくびも漏れる。
(よし。寝よう)
……とはいえ、どこで寝るべきか。
宿屋の場所はわからないし、わかったところで金がない。
(仮眠なら昼間のように樹を背にしてもいいけど、本気の睡眠には適さないよな)
社会人になってから椅子で寝落ちしたことも多々あるが、翌日の身体が痛いこと痛いこと。
異世界に来てまであんな経験はしたくないし、明日魔王と戦う可能性だってあるのだ。
できるかぎり、体のコンディションは整えておくべきだろう。
(さて、どうしたものか。んん!?)
目の前の家には見覚えがある……ような気がする。
(うん。そうだな)
近づいて確信した。
あれは村長の家だ。
デカそうだし、泊めてもらえないか相談してみよう。
「あ~、ダメだな」
窓から見えた光景に、肩を落とした。
室内では、ベイルとワァーンが励んでいる。
なにがとは言わないし、覗くつもりもなかった。
窓がカーテンで遮られていないから、見えてしまったのだ。
「このデバガメ野郎が!」
背後から村長に殴られた。
「これは不慮の事故ですよ」
「じゃあ、なんでこんなとこにいやがんだ。バカ野郎!」
そう言われれば、この辺は暗い。
灯りだけでなく、人の姿もなかった。
どうやらおれは、人払いがされている箇所に来てしまったようだ。
「寝る場所を聞こうと思ったんですよ」
「そうか。ならこっちだ。ついてこい。バカ野郎」
村長が歩いていく。
その背中は、寂しそうに丸まっていた。
「色気より食い気か。バカ野郎」
そう言って嬉しそうにしていたのが、遠い昔のようだ。
ベイルとワァーンがそうなることに、異論はない。
けど……きな臭さのようなものを感じてしまうのも、事実である。
お姫様抱っこで顔を赤らめていたワァーンが、出会って数時間のベイルに、身も心も捧げるだろうか?
(まあ、急に落ちるのが恋だよな)
と、納得することもできる。
(でもなぁ)
ダメだ。
眠気に鈍った思考回路では、堂々巡りしかできない。
(とりあえず、寝よう)
後手後手に回るかもしれないが、考えるのはそれからだ。
全く関係ない話ですが、2023年WBC優勝おめでとう!
ネタバレになったらごめんなさい。