311話 勇者は黒髪の女がアマメだと知る
アマメの瞳からこぼれた涙が、地面を打った。
「てめえに泣く権利なんかねえぞ!」
「許されると思ったら大間違いだ!」
「死ね! 死んで償え!」
憎い相手を傷つけられている手応えが、民衆の誹謗中傷と投石の勢いを加速させる。
「おれたちは泣くことすら許されず、お前らに搾取され続けたんだ!」
「のうのうと自由を謳歌していたくせに、いまさら被害者ぶるな!」
真実を知らぬ者たちの言葉の刃。
気持ちが強く、自分に自信があるならなんてことはないが、傷つき悲しむアマメには凶器になりえない。
「いま助けてやるからな」
跳び上がったが、見えない壁にぶつかった。
「ふふふ。残念でした」
犯人はアマツカで間違いないが、いまはどうでもいい。
「おい! アマメを返せ!」
手を伸ばしても、掴むことすらできなかった。
「あんたのせいで、パパとママはあたしを置いて逃げたのよ!」
着地したおれの横で、十代前半と思しき少女がそう叫んだ。
「兄弟であたしだけ置いてかれたのよ!」
真偽はわからないが、八つ当たりにほかならない。
「返して! あたしの幸せな日々を返してよ!」
滅茶苦茶であることは少女も理解しているのだろう。
けど、溢れる涙を止められないように、堰を切った想いを止められないのだ。
「そうだ! この子の幸せを返せ!」
『そうだ! そうだ!』
正義と疑わない激情を、ここぞとばかりにぶつけている。
集団心理が働き、理不尽や不条理を呑み込むことすらしなくなっていた。
(このままじゃダメだ)
アマメの心が壊れてしまう。
「許さない! 絶対に許さないんだから!」
少女も石を投げるが、届かなかった。
「なんで!? なんでよ!?」
ヒステリックに叫び、アマメの真下から石を放った。
ピチャン
アマメの涙が少女の額に落ちた。
次の瞬間、顔が破裂した。
赤い血が飛び散る様は、スイカ割りを連想させる。
全員が息を呑み、動きを止めた。
それぐらい、信じられない光景だ。
もちろん、おれも例外じゃない。
「どういうことだよ!?」
「ついに始まったね」
呆然とつぶやくおれの横に、テンツカが現れた。
「なにか知ってるのか?」
「観てればわかるさ」
雨が降ってきた。
空は晴れているから、天気雨だ。
これが自然現象なら、すぐ止むだろう。
けど、そうじゃない。
「キャアアアア」
「うあああああ」
雨粒に撃たれた者たちが絶命していく様が、その証拠だ。
老若男女問わず、皆殺しである。
避難した家も意味がない。
雨が当たった瞬間、屋根も壁も柱も木っ端みじんにしてしまう。
助かる術があるとしたら、たった一つだけ。
雨粒に耐えうる防御力を兼ね備えていることだ。
さいわいにして、おれにはそれがある。
けど、耐えられそうになかった。
肉体ではなく、精神が。
「アマメ! もうやめろ!」
制止の声は届かない。
「こんなことする必要ねえだろ。これじゃ、民衆の言う通りじゃねえかよ」
むなしく響く声は、激しさを増した雨音に消されてしまう。
「無駄さ。彼女はもう、君の知るアマメじゃない」
テンツカの言うことは間違っていない。
おれの知っているアマメは、こんなことをする子じゃない。
「なんでこんなことになったんだよ」
「必要だからさ」
「だれにだよ?」
「私たち妖精にとってさ」
竜滅刀を抜き、薙いだ。
「危ないじゃないか」
余裕を持って回避したあたり、おれの行動は想定済みだったのだろう。
「こうした理由はなんだ?」
「妖精たちの悲願のためだね」
「んなくだらねえことのために、アマメを傷つけたのかよ」
怒りが沸き上がる。
「君がどう感じているのかは知らないが、これは彼女の悲願でもあるのさ」
テンツカが上空を指さした。
「マジかよ!?」
信じられないことだが、そこにアマメはいなかった。
いたのは……黒髪の女だ。
「ははっ」
乾いた笑いが漏れた。
髪で隠れて一度もみることのできなかった顔が、はっきりと見えている。
少女から大人の顔つきにはなっているが、それはたしかにアマメだった。
「あぐっ」
全身に痛みが走った。
雨の威力が増したのか、蓄積されたダメージが表面化したのか。
どちらにしろ、このままではマズイ。
「よっ」
魔力を傘のように頭上に広げたが、長くは持ちそうにない。
雨粒が叩くたび、ヒビ割れが走る。
補修はしているが、ジリ貧だ。
(イアダマク内は……ダメそうだな)
限定的だった雨も、いまや王都全体に広がっている。
すべての建造物が壊れているのが、その証拠だ。
「アマメ、もういいだろ」
呼びかけに反応がない。
届いていないのか、無視をされているのか。
「ガネイロ、お前も止めろ。王都が消えるぞ」
「それになんの問題がある。俺の理想国家を作るには、むしろ好都合だ」
声は届いているようだ。
「アマメ! 止まない雨はないんだぞ!」
苦しくとも辛くとも、ときが経てば必ず光はさすはずだ。
「アマメ、おれを信じろ!」
「うるさいハエだな。死ね!」
眉間にシワを寄せたガネイロが、魔法を撃とうとした。
が、できなかった。
「馬鹿な!?」
アマメに首を切断され、その目は大きく見開かれている。
無言で叩き落とされた首が、空に浮かぶ体を見上げている。
「おのれ天使! 約束を反故にしたな!」
目を吊り上げても、どうにもならない。
落ちてきた体とともに雨を浴び、ガネイロは死んだ。