298話 勇者と黒髪の女~再会
悲鳴が聞こえたので、おれは窓から外を覗いた。
「ここからじゃなんも見えねえな」
窓からは平穏な日常しか確認できない。
ただ、さっきの悲鳴は空耳ではなさそうだ。
全員が同じ方向を見つめている。
その先でなにかが起きているのだろう。
「どうする?」
訊いても、だれも動かなかった。
優雅にお茶を飲むテンツカとニアマはわからないでもないが、ビシが部屋の隅で縮こまっているのは問題だ。
「行かないのか?」
…………
返事がなく、ガタガタ震えるだけで視線すら合わない。
白髪の執事が背中を撫でているが、それにすら反応なしだ。
「んじゃ、おれは行くな」
「慎重に行動したほうがいいわよ」
窓から飛び出る瞬間、ニアマがそう忠告してきた。
「どういう意味だよ? もう少し静観したほうがよかったのか?」
…………
声は聞こえているはずだが、反応がない。
バタッ、と窓が閉められた。
話すことはない、という意思表示だろう。
イラつくが大丈夫。
そっちがその気なら、こっちも好きにさせてもらうだけだ。
「あっちだな」
村人が見つめる場所を目指し、おれは足を進めた。
「うおっ!? マジかよ!?」
豚が惨殺されていた。
四肢を切断されるだけにとどまらず、内臓まで飛散させている。
凄惨な光景だ。
アマメ……の姿はない。
どこかに避難したか、べつの作業をしているのだろう。
不幸中の幸いともいえるが、この光景に心を痛めるのは間違いない。
「くそっ! くそっ! くそっ!」
怒りをぶつけるように、犯人は手にしたなた包丁を振り回している。
(とりあえず、あいつを止めるか)
アマメでなくとも、見るに堪えがたい。
「よっ」
男の腕を取り、逆手に捻った。
「ぐあっ」
関節が極まり苦痛に顔を歪めたが、男は動きを止めない。
ジタバタもがき続け、豚を殺そうとしている。
「は、放せ!」
「こんなことして、要求してんじゃねえよ」
「うるせえ! ここは俺の養豚場だ! てめえに文句言われる筋合いなんかねえぞ!」
「えっ!? そうなの!?」
野次馬たちがうなずいているので、本当なのだろう。
とはいえ、やっていいことと悪いことがあるのも事実だ。
「なにも殺すことはねえだろうよ」
「なにも知らねえ奴が偉そうに言うんじゃねえ! 遅かれ早かれ、こいつらは殺されちまうんだ!」
口ぶりからして、第三の人物がいるようだ。
「にしたって、これはあんまりだろ」
「うるせえ! 俺の人生と一緒で、もう終わりなんだ! こいつらも! 俺も!」
大粒の涙をこぼしている。
よほどのことがあったのだろうが、豚を惨殺する理由にはならない。
「借金でもあんのかよ?」
「そんな生易しいもんじゃねえ! すべてを奪われるんだ!」
「だれに?」
「天使に決まってんだろ!」
ちょっとなに言ってるのかわからない。
天使がすべてを奪うとは、どういうことだろう。
「お前……天罰が下るような、悪いことしたのか?」
「はあ!? そんなわけねえだろ! 馬鹿が!」
罵られても腹は立たなかった。
むしろ、説明してくれるならもっとキツくてもいい。
「いいから放せ! でないと、こいつらを始末できねえだろ!」
「もう遅いよ」
いつの間にか、ニアマが柵の外にいた。
「もう遅いって……どういうことだよ」
「アレよ」
空を指さしている。
その先には、ラシール村を滅ぼした黒髪の女が浮いていた。
長い髪と丈の長い白のワンピースは変わらない。
違うのは、前回は正対していたのに対し、今回は見上げていることだ。
角度的に顔やワンピースが覗けるのだが、なにも見えない。
顔は髪で隠され、服の中は黒く塗られたように映る。
ゾクッと背中が震えた。
気味が悪いというよりは、畏怖に近い。
だらりと垂れ下がった腕を、黒髪の女が持ち上げた。
!!
本能的におれは飛び退った。
次の瞬間、黒い針が雨のように降り注ぐ。
「おいおいおい!?」
とんでもない威力におれは目を見張った。
細い針が刺さると同時に、豚や地面がハンマーで叩かれたように破裂したり陥没されていく。
なた包丁を持った男も例外ではなく、木っ端みじんに絶命した。
ただ、前回と違い、無差別ではない。
黒い針の雨が降ったのは、養豚場の敷地内だけだ。
これなら被害は少なくて済む。
……ダメだ。
アマメが巻き込まれたかもしれない。
「ちっ」
確認しようにも、黒い雨が降り注いでいて敷地内に入れない。
「アマメ! 無事か!?」
大声をあげたが、反応がない。
「ったく、冗談じゃねえよ」
いますぐ探しに行きたいが、まずは黒髪の女をどうにかするべきだ。
「たしか、風波斬はダメだったよな」
前回すり抜けたのは記憶に新しいが、今回もそうだとはかぎらない。
「風波斬」
ダメだった。
すり抜けた一撃は、空の彼方に消えた。
実体はべつにあるのかもしれない。
触ってたしかめるのが手っ取り早いが、それを実行する気にはなれなかった。
確たる理由はないが、黒髪の女に触れることは避けるべきだ、と本能的に感じている。
(なんか、ワンピースの中の黒が、ブラックホールみたいなんだよな)
呑み込まれたら最後。
生きて出れない感じがする。
「とはいえ、手をこまねいてるわけにもいかねえんだよな」
まずはやれることからやってみよう。
「レーザーショット」
手始めに撃った魔法はすり抜けることなく、命中した。
ただ、ダメージはなさそうだ。
涼しい表情かはわからないが、微動だにしない余裕がある。
「ファイヤーボール」
今度は特大の火球で勝負だ。
命中と同時に火柱が上がる。
やはり、魔法はすり抜けない。
「続ければなんとかなるか?」
可能性は低い気がするが、無駄ではないと信じるしかない。
「もう一丁」
火球を放つ前に、黒髪の女が地上に降りてきた。
やはり、ダメージはなさそうだ。
髪はもちろん、白のワンピースにも変化はない。
ただ、白く細かった手足の血色が良くなっている。
(温まったおかげかな)
そんなバカげた考えが浮かんだおれに、黒髪の女が黒い槍を放った。
「っお!?」
間一髪竜滅刀で薙ぎ張ったが、ものすごい衝撃に手が痺れた。
「ヤベッ」
竜滅刀が手から落ちた。
いま追撃されたらマズイ。
「ええっ!?」
慌てて拾い顔を上げたときには、黒髪の女はどこにもいなかった。