29話 勇者は寝落ちした
五の村に行くとき同様、ワァーンの指示は的確だ。
迷うということが一切ない。
なにかを目印にしていなければ、こうはいかないだろう。
それを知りたくて訊いたが、
「すみません。勇者様に話しても、理解できないかと」
と、やんわり拒否された。
「でも誤解しないでくださいね。決して勇者様の能力が劣っている、などとは思っていませんから」
あわてて付け足されると、その反対を疑ってしまう。
「じゃあ、話してくれないかな」
「えっ!?」
「能力じゃないってことは、感覚か経験があれば目印に気づけるはずだよね? おれにそれがあるかどうか、確認してみようよ」
知ることは大切だ。
成功はもちろん、失敗することも重要だ。
「ですが……そのように勇者様を試すようなことをするのは……」
ワァーンは、おれに恥をかかせたくないらしい。
もしくは、勇者の格好悪い姿を見たくないのだろう。
(正攻法は無理だな)
そう思ったおれは、足を止めた。
「えっ!? どうされたのですか?」
「教えてくれなきゃ動かない」
見上げてくるワァーンに対し、おれはそっぽをむいた。
断っておくが、べつに本気でへそを曲げているわけではない。
こうすることで、外堀を埋めているだけだ。
「勇者様。勇者様」
肩を掴んで揺らされても、おれは動かない。
「もう、わかりました。お教えします」
「ありがとう」
ワァーンが折れたので、ニッと笑みを浮かべた。
「勇者様、正面に枝からヘビがぶら下がっている樹がありますよね?」
「ああ、あるね」
「あの樹と、左斜め後方にある樹との違いが判りますか?」
「さっぱりわからない」
同じ針葉樹で、クリスマスツリーに使われるもみの木に似ている。
ヘビがいるのといないの。
違いがあるとすれば、それだけだ。
「あの二種類の樹は、まったく別の品種です」
「マジで!?」
「ええ。小さく切り込みを入れてもらえば、わかります」
歩み寄り、剣で傷をつけた。
片方は透明な樹液が流れ、もう片方は白色の樹液が染み出てきた。
「透明なモノは食用に、白色のモノは陶器などに加工できます」
透明な樹液を、ヘビが舐めている。
白いほうには、見向きもしない。
「この森にはこのような違いが数多くあります。ですから、私たちは村と村を繋ぐ道になにがあるのかを、幼少期から覚えるのです」
これは無理だ。
一朝一夕でどうにかなるものじゃない。
「時間を使わせて悪かったね。んじゃ、急ごうか」
「お願いします」
歩みを再開させた。
「右です」
「左です」
ワァーンの指示もよどみがない。
いまさらだが、おれとワァーンでは、見えている森の姿が違うのだ。
けど、注視すればわかることもあった。
成している実や葉の形。
違うところはたくさんある。
(短い時間でも、イケるかもしれないな)
ワァーンの指示を聞くことが最優先だが、可能な範囲で視野を広げてみよう。
もしかしたら、森の見えかたが変わるかもしれない。
…………変わらなかった。
おれが次に気づいた変化は、村を視界に収めたときだ。
「止まってください。申し訳ありませんが、ここで降ろしてください」
五の村での経験が生きている。
非常事態とはいえ、お姫様抱っこをされたまま、村民に会うのは避けたいのだろう。
「ご神木を確認しに行く許可を取ってきますので、勇者様はここでお待ちください」
ワァーンはそう言い残し、村に走っていった。
村人の姿は見えないが、家屋が傷ついている様子もない。
モンスターに襲われている気配もなく、穏やかな雰囲気に包まれていた。
(護衛も必要ないな)
いままでと変わりなく、ご神木も村外にあるはずだ。
なら、ワァーンの言葉に甘えて、ここで待たせてもらうとしよう。
おれは地面に座り、木に背中を預けた。
体を揺さぶられている。
「……者様。勇……様。勇者様」
ワァーンの声だ。
はっ、と目を開いた。
すぐそばに顔がある。
「よかった」
ほっと胸をなでおろし、安堵の表情を浮かべるワァーン。
いつの間にか、寝落ちしていたようだ。
「ごめん」
「勇者様はずっと動いていらしたのですから、疲れていて当然です」
「そう言ってもらえるのはありがたいけど、時間がない……」
空には夕日が顔を出し始めている。
村についてから、最低でも一時間は経過しているはずだ。
「ですから、ご神木の確認は私がしておきました」
「一人で?」
「いいえ。四の村の村長と護衛の村人数人で、です」
「そっか。で、無事だった?」
「はい。健在でした。損傷もありません」
ワァーンは嬉しそうに笑顔を浮かべている。
おれもほっとした。
「では、六の村に帰りましょう」
「えっ!? まだ全部確認できてないけど……」
「わかっています。ですが日没が近いので、今日はここまでにしましょう」
納得だ。
地の利があるとはいえ、暗い中森に入るのは得策じゃない。
視界が悪くなれば、ワァーンも目印を確認しづらくなるだろうし、見落とすことも考えられる。
(最悪、遭難だよな)
灯りがあれば多少は違うだろうが、過度な期待は禁物だ。
村の広場に大きな組木が置かれ、火が点けられている。
あそこから種火を取り、各家庭の灯りにするのだと、ワァーンに説明された。
けど、火災のリスクを考慮し、森にたいまつを持っていくことは極力しないことも補足された。
(当然だよな)
森林火災でご神木が燃えました、では洒落にもならない。
六の村までの道がわかるのも、ワァーンだけだ。
「次の村は六の村のほうが近いのかな?」
「正確な距離はわかりませんが、あまり変わらないのではないでしょうか」
距離が近いなら四の村に一泊させてもらい、明日移動しようと思ったが、同じようなら帰ろう。
どうこうなるつもりはないが、二人で宿泊するのは気が引ける。
かといって、別々の場所に泊まった場合、外様であるワァーンが襲われない保証もない。
ベイルのように、男の皮を被った野獣はどこにでもいるのだ。
年頃の娘がいるなら万全を期したほうが無難だし、ワァーンも自宅にいるほうが安心できるだろう。
「よし。帰ろう」
「はい。そうしましょう。では、お願いします」
ワァーンが手を広げた。
わかっている。
わかってはいるが、複雑だ。
(おれはタクシーじゃねえぞ。手を広げれば、抱えると思うなよ)
という気持ちと、
(普通に歩けば、村に着く前に日が沈むよな)
という気持ちがせめぎあっている。
しかし、おれが選べる選択肢は一つだ。
ワァーンを抱えて帰る。
そして、ワァーンが目印を確認できるうちに六の村に着く。
それしかない。
(これは断じて、罰ゲームじゃない)
美少女をお姫様抱っこできるご褒美だ。
自分にそう言い聞かせ、おれはワァーンを抱えて六の村に帰った。