295話 勇者は先生の名前を知る
実験に協力したら、神界山へ登る許可をもらえるそうだ。
すばらしい提案だが、鵜呑みにはできない。
まずは細部の確認をしよう。
「実験って、なにするの?」
「身長体重の計測は当然として、腕、足、指などのあらゆる箇所の長さと太さを計らせてもらう。血液検査で測れる項目もすべてチェックしたいね。その中でもDNAは特に念入りにやりたい! 後は脳波や生殖機能も調べたいし、挙げればキリがないよ。おっと、でもこれだけは安心してくれたまえ。生殖機能をチェックする相手は君に選ばせてあげるし、病気も持っていない」
最初こそ健康診断を超えた有料人間ドッグな感じだったが、そこに性風俗のようなモノまで追加された。
「一部だけど、こんな娘たちがいるね」
扇状にB5ぐらいの紙が広げられた。
三分の二に水着とも下着とも思える写真が印刷され、その下にプロフィールと一口メモが記載されている。
文字は読めないが、卑猥なことが書いてあるに違いない。
おれは黙って紙の束を押し返した。
「おや? お気に召さなかったようだね。男色……というわけでもなさそうだし……もしかして、私やニアマ君をご指名かな?」
「お断りします」
「それは残念だ。ということで、ニアマ君はあきらめてくれ」
一度として相手をしてほしいと言った覚えはない。
(ったく、勝手な提案で勝手に拒絶すんじゃねえよ)
傷ついたりはしないが、気持ちのいいモノでもない。
「大丈夫。安心してくれ。私なら喜んで相手をするぞ。なんなら、今すぐここで始めてもいいぐらいだ」
「やめてください」
シャツをまくった長身女性を、ニアマが冷静に制した。
(グッジョブ)
おれは心中で親指を立てた。
「なぜ止めるんだね? 見るのが嫌なら、出て行けばいいじゃないか」
「行為自体を止めるつもりはありません。ただ、ヤルなら協力の確約を得てからにしてください」
「ふむ。そう言われればそうだな。では、あらためて訊ねさせてもらおう。私の実験に協力してくれないか?」
長身女性が服装を直し、おれをまっすぐ見つめる。
「答えの前に、いくつか質問があるんだけどいいかな?」
「私に答えられることなら、何でも訊いてくれ」
「んじゃ、まず初めに名前を聞かせてくれよ」
長身女性が目をパチクリした後、
「ははは。そういえば自己紹介もしていなかったね。これは失礼した。私の名前はテンツカ。年齢は……二四〇……だったかな? 一〇〇歳生きれば長寿の君たちからすればババアかもしれないが、妖精としては若いほうだから、安心してくれたまえ」
女盛りという意味だろうが、おれとしてはどうでもいい情報だ。
名前を知れたほうがよほど貴重である。
「テンツカさんが行う実験は、なんの目的があるんだ?」
「簡潔に言うなら、世界を正しい状態に戻すこと、かな」
まったく理解できないが、わかったこともある。
「んじゃ、この世界は歪んでるんだな」
「ああ。それはもうありえないぐらいにグニャグニャだね」
「おれを調べることで、それが治るの?」
「絶対とは言い切れないが、何かしらの発見はあるものさ。このアプローチでは、成功しない、という結果とかね」
エジソンも同じようなことを言っていた。
だからではないが、テンツカも自分の研究に真摯に向き合っているのだろう。
(まあ、そうじゃなかったら、出会って数分の男に抱かれてもいいとは思わねえよな)
研究対象としては好きかもしれないが、異性としてはカケラも興味を抱いていない。
それはヒシヒシと伝わっている。
「で? どうなんだい? 協力してくれるなら、この時間も惜しいんだが」
知的好奇心を抑えられずにソワソワする姿は、子供のようだ。
(そういえば、アマメはどうしてるかな?)
最後に見た寝顔が脳裏に浮かんだ。
忘れていたわけではないが、なぜか急に気になった。
「話の途中で申し訳ないけど、いったん席を離れてもいいかな?」
「トイレかい?」
「いや、ラーシル村に幼い子供を残してきたのが気になるから、一度戻って合流したいんだよ」
「ああ、あの子のことか」
テンツカはアマメのことを知っているようだ。
「ふむ。どうしたものかな」
「先生、悩む必要などありません。それだけは駄目です!」
腕を組んだまま首をひねるテンツカに、ニアマがそう厳しく言い放った。
「安心したまえ。もちろん私もそう理解しているさ。けど、それを理由にこのチャンスを逃すのもね」
「駄目です!」
断固たる否定。
明確な理由がなければ、ここまで強くはしないだろう。
「ではこうしよう。実験はラーシル村で行えばいい」
…………
「いいでしょう」
絶対に反対すると思っていたが、許可が下りた。
(ってことは、ダメなのはアマメが妖精の里に来ることなんだな)
そして、そう考えれば納得もできる。
昨日街道をさ迷ったのは、許可証の有無は関係なかったのだ。
アマメが同行していた時点で、妖精の里には来れなかったのだろう。
「はあぁ、先生が無茶を言うから、勘づかれちゃったじゃありませんか」
「別に問題はないだろう。遅かれ早かれそうなっていたはずだ」
「そうかもしれませんが、怒られても助けませんよ」
「ははは。そうなる前に結果を出せば問題ないさ」
理解の外で話が進んでいる。
「安心したまえ。後で君にもわかるように説明するさ」
募る不信感を察したのか、テンツカが優しい笑みを浮かべた。
「そうね。わたしたちの誠意を表すためにも、場所を移しましょう」
パン、とニアマが手を叩いた瞬間、おれたちはラーシル村に移動した。