291話 勇者はクマにロメロスペシャルを極める
「よっ」
飛び乗った蓮の葉は固かった。
コンコンと軽く叩いた感触は、コンクリートに近い。
(厚さはどんくらいだろう?)
「そんな所で遊んでおらず、さっさとこちらに参れ」
蓮のふちに屈み、湖に手を入れようとしたおれを制止するように、そんな声が届いた。
見れば、城の入り口に五人の妖精が立っていた。
煌びやかなドレスに身を包み、広げた扇子で口元を隠す貴婦人を真ん中に、文官風の女性が二人と、鎧を装着した騎士が二人いる。
全員の耳が長く尖っているので、妖精で間違いない。
(なんでにらまれてんだ? おれ)
全員が一様に鋭い視線を向けている。
詳しい話を聞かずとも、招かざる客でありそうだ。
「来ぬのなら、さっさと帰れ!」
犬や猫を追い払うような仕草もそうだが、声もキツい。
(間違いないな)
確実に嫌われている。
理由はわからないが、気に入らないことがあるようだ。
(まあ、どうでもいいけどな)
相容れないならそれでいい。
互いに必要なことだけこなし、さよならすればいいだけだ。
「いきますいきます。すぐいきます」
立ち上がり歩き出した瞬間、景色が変わった。
「おおっ!?」
湖が無人の観客席になり、城があった場所には石造りのリングが現れた。
まるでコロッセオのようだ。
「リングにあがれ」
客席の上部に位置するVIP席には、先ほどの五人の妖精の姿がある。
(断っても無駄なんだろうな)
ここがすでに妖精の影響下なのだから、従うよりほかない。
「よっ」
おれは普通にリングインした。
軽やかに颯爽と入場することもできたが、求められていないことをしてもしかたがない。
むしろ、反感を買う気がする。
「まずは小手調べだ」
リングに三メートルはあろうかというクマが現れた。
「そいつを二分以内に倒せ」
「グアアアアア」
クマが腕を振り落としてきた。
大木のように太い腕で殴られたらさぞ痛いだろうし、鋭い爪は当たれば切り裂かれてしまいそうだ。
しかし、当たらなければなんの問題もない。
「よっ」
振り下ろされた腕を担ぎ、一本背負いの要領で投げ飛ばした。
「グアッ!」
石畳にヒビが入るほどの衝撃に、クマは動かなくなった。
意識はあるが、戦意は喪失している。
手を放してやると、そそくさと逃げていった。
「なにをしておる。さっさと決着をつけんか」
「いや、どう見てもおれの勝ちだろ」
「生きているかぎり、逆転は可能だ」
その通りだ。
けど、従うつもりはない。
「おれは無益な殺生をする気はねえよ」
「そうか。では、お主はどうする?」
クマが震えている。
妖精のプレッシャーに怯えているようだ。
「調教し直さねばならんな」
嘆息交じりの声に、クマの震えが止まった。
「グアアアアアア!!」
自分を鼓舞するように大声で鳴き、おれに襲いかかってくる。
よほどツライ目にあわされたのだろう。
「お前も女運がないみたいだな」
同情してしまった。
こうなってはもう、おれにこのクマを殺すことはできない。
「とはいえ、このままにはできねえんだよな」
自分を殺そうとするモノを放置するほど、寛容ではない。
「せいっ」
足払いでクマを転ばせた。
「グアッ」
うつ伏せになったクマの足に自分の足を巻きつけるように絡める。
「悪く思うなよ」
クマの両手を掴み、そのまま後方へと倒れ込む。
「とりゃっ」
寝るようにしてクマの体を持ち上げれば、ロメロスペシャル、または吊り天井固めの完成である。
「グアアアアアアッ!」
個体差が大きくちょっと不安だったが、見事に決まった。
「グアアアアッ」
こうなってしまえば、鳴く以外にできることはない。
「これで充分だろ?」
「言ったはずだ。生きているかぎり、逆転は可能だと」
「殺したいなら、お前が殺れよ」
キラッと光ったので、おれはクマを空へと押し投げた。
正解だった。
いままでクマがいた箇所を通過した魔弾が、リングに穴を開ける。
「おいおいおい。勘弁してくれよ」
落ちてきたクマを右手でキャッチしながら、左手を前に突き出して魔力の壁を生み出した。
ドンッ
さっきがピストルだとしたら、今度はバズーカ砲ぐらいの魔弾が命中した。
「クウウウ」
被害はないが、クマが弱弱しく鳴いて縮みあがっている。
「大丈夫か?」
見上げたが、ダメそうだ。
オスの大事なところが、これでもかと収縮している。
「なぜ邪魔をする? 貴様が殺れと言うから、実行したのだぞ」
「なら前言撤回だ。こいつは殺さないでくれよ」
「駄目だ。無能なオスは生かしておけん」
「まあ、いまは役立たずかもしんねけど、ずっとこのままじゃねえだろ」
おれの視線に気づき、クマが股を閉じてムスコを隠した。
毛で顔色はわからないが、右手に伝わる体温が熱い。
恥ずかしいのだろう。
「下品な奴だ。だが、まあいい。こやつを退けられるなら、そやつの延命も考慮してやろう」
体中にヘビを巻いた女がリングに現れた。
「マジかよ!?」
一匹二匹ではなく、数十匹がまとわりついている。
しかも、素肌にだ。
ブルッ、と背筋が震えた。
気持ち悪いのもそうだが、女から発散されるおぞましい気配に反応したのだ。
「殺してあげる」
笑顔で死刑宣告をし、女が襲いかかってきた。