279話 勇者はアマメと契約する
「成生さん。成生さん」
おれの眠りは、今朝同様アマメに揺さぶられて終わった。
「どうした?」
「宿の方が、夕食はどうするか教えてほしいそうです」
「夕食か」
おれは体を起こした。
窓の外が暗い。
仮眠のつもりだったが、結構な時間が経過しているようだ。
「アマメ、行くぞ」
「はい」
食いっぱぐれるわけにはいかない。
おれたちは部屋を出て、受付に移動した。
「清宮様。お呼び立てするような形になり、申し訳ございません」
「全然かまわないよ。それより、食事のことで訊きたいことがあるんだ。料金はいくらかな?」
手持ちが少ないおれとしては、それを確認しないことには先に進めない。
「ビシより頂いております」
「マジか!?」
宿代だけでなく、食事代まで負担してくれるらしい。
おれとしてはありがたいが、本当にいいのだろうか。
「アマメ様ともども、存分にもてなせ、と承っております」
「ボ、ボクもいいんですか?」
「はい。もちろんです」
「ありがとうございます」
顔を輝かせてお辞儀をするアマメ。
たぶんだが、この好待遇はおれがすごいから実現している、と勘違いしている。
(まあ、いまはそれでいいか)
核心をつく話は後でいい。
「んじゃ、食事をいただきます」
「場所はどうされますか? 隣接する食堂は、この時間少々にぎやかですが」
「ぎゃはははは」
「うはははは」
「はっはっはっ」
たしかに、楽しそうな笑い声が聞こえている。
それ自体に文句はないが、声のトーンから推測するに、酔っぱらいが大半だ。
「部屋にお運びすることも可能です」
「んじゃ、それで頼むよ」
「かしこまりました。では、お部屋でお待ちください」
おれは部屋に戻ろうとしたが、アマメが食堂のほうを見たまま動かない。
「あっちがいいのか?」
「い、いいえ。ただ、みなさんにぎやかだな……って思っただけです」
阻害されるように生きてきたアマメからしたら、酔っぱらいの喧騒でも価値があるのかもしれない。
「申し訳ない。やっぱ、食堂でいただくよ」
「かしこまりました」
「んじゃ、アマメ。いくぞ」
「えっ!? ええっ!? はい」
急な変更にとまどいつつも、おれたちは食堂に入った。
「うおっ、酒くせぇ」
酔いそうなぐらい酒気が強い。
「いらっしゃい。ご注文は?」
エプロン姿の若い女性に声をかけられた。
「おれとこの子の食事をお願いします」
「おまかせでいいの?」
メニューらしきものを見せてくれたが、文字が読めないからさっぱりだ。
「アマメ、食べたいモノはあるか?」
「成生さんと同じものがいいです」
ワガママを言う子じゃないのは理解しているし、おれと同じ物『で』いい、ではなく、同じ物『が』いい、としっかりと意思表示もしている。
「んじゃ、嫌いだったり食べられないモノはあるか?」
「ありません」
「わかった。んじゃ、おまかせでお願いします」
「では、こちらにどうぞ」
店の一番奥の窓際に案内された。
換気されていることもあり、酒気も薄い。
喧騒もちょうどいい塩梅で耳に届く。
ここなら、落ち着いて食事を楽しめる。
「おまたせ」
すぐに食事が運んでこられた。
メニューはステーキとサラダとパンとスープ。
どれもまあまあだ。
けど、アマメの感想は違う。
「はあぁ~、美味しいですね」
うっとりしながらも、パクパク一生懸命食べている。
「おかわりもらうか?」
「いいんですか?」
「遠慮なくドンドン食べなさい」
「じゃあ、お肉のおかわりをください」
「はい、どうぞ」
頼む前にステーキが来た。
「ありがとうございます」
早速食べ始めたアマメは、その後もう二枚平らげた。
「ごちそうさまでした」
妊婦かと思うぐらい、腹が膨れている。
「大丈夫か?」
「うぷっ。ちょっと食べすぎたかもしれません」
「部屋に戻って休むか」
「はい」
歩くのもしんどそうなので、お姫様だっこで運ぶ。
「ちょっと待って」
食堂を出たところで、エプロン姿の女性に呼び止められた。
「そのまま帰ったら、その子寝ちゃうわよ」
「この状態じゃ、しかたねえだろ」
「だめよ。お風呂ぐらい入れてあげなさい」
大衆浴場があるらしい。
豚と戯れてついた汚れもあるし、腹ごなしとしてはちょうどいいかもしれない。
「よし。アマメ、いくか」
「嫌です!」
きっぱりと拒否された。
「風呂は嫌いなのか?」
「いえ、成生さんと入るのが嫌なだけです!」
まさかの個人攻撃だ。
「じゃあ、お姉さんと入る?」
「はい!」
エプロン姿の女性の申し出を受け、アマメはおれの腕からするりと抜け出し、浴場に消えていった。
地味に悲しいが、おっさんと入るよりは若い美人と入るほうが楽しいのも理解できる。
「よし。おれもゆっくり浸かるか」
気持ちを切り替えるように、おれも浴場にむかった。
残念だが、ゆっくりはできなかった。
理由は簡単だ。
ただ単純に、浴場が小さかった。
一つしかない湯舟は五人も入ればパンパンだし、洗い場も同様だ。
しかもこの時間は村人や冒険者の利用も多く、混み具合がハンパなかった。
とてもじゃないが長湯などできるわけもなく、おれは早々に部屋に戻った。
アマメの姿はなかった。
くつろげているなら、なによりだ。
「さて、どうすっかな」
ラーシル村に来て一日も経っていないが、悪い場所ではないと思う。
(ここでなら、楽しく暮らせるだろうな)
子供らしく、のびのび成長できるだろう。
豚も撫で放題だ。
(そう考えると、おれといるほうが問題だよな)
この先も安全だとはかぎらないし、守ってやれるともかぎらない。
運よく死ななくとも、一生残る傷を負う可能性だってある。
(それは寝覚めが悪いよな)
あの無邪気な笑顔が消えるのはよくない。
(問題があるとすれば、おれのほうだしな)
村を出た瞬間から、迷うのは確定だ。
けど、地図ぐらいはあるだろう。
文字が読めなくても、それさえあればなんとかなる。
「お別れは嫌です!」
「んん!?」
声のしたほうを見ると、部屋の入り口にアマメがいた。
「ボクは成生さんと一緒にいたいです!」
「急にどうした?」
「なんとなくわかるんです。さよならしようとしている、成生さんの気持ちが」
「いやいや、ちょっと待て。そんな気はさらさらないぞ」
「ウソです!」
ぎゅっと裾を握ったまま、アマメがうつむいた。
適当なことを言って、はぐらかすことはできそうにない。
「アマメ。おれは本当にさよならする気なんかないよ。けど、アマメがこのラーシル村で暮らしていくことは、悪いことじゃないと思ってる」
手の届く位置まで歩み寄り、目線の高さを合わせる。
視線が合うことはないが、気持ちは伝わるはずだ。
「昼間話したビシって人も、アマメを受け入れるつもりがあるそうだ」
…………
「やっぱり、ボクを置いていくんですね」
「勘違いするなよ。おれはそんなこと、一度として提案してないぞ」
「じゃあ、一緒にいられるんですか?」
「それを選ぶのはアマメだ」
「ボクは成生さんと一緒にいたいです!」
はっきりとした意思表示だ。
「危ない目に合うかもしれないぞ?」
「大丈夫です!」
揺るぎない強さを感じる。
「看板読んでくれるか?」
「もちろんです!」
二つ返事で迷う素振りもない。
「貧乏だぞ」
「今に始まったことではありません」
その通りだ。
「よし。んじゃ、一緒に行くか」
「はい!」
顔を上げたアマメと目が合った。
泣きそうな雰囲気もあるが、嬉しそうに笑っている。
(一緒にいることを望む代わりに看板を読んでくれるのなら、それは立派な契約だよな)
大人子供は関係ない。
相手がだれであろうと、契約を結んだならまっとうする。
それがフリーランスの矜持だ。
(アマメはおれが守る)
それは、おれが自分と結ぶ契約だ。