276話 勇者はアマメほど豚を愛せない
ラーシル村は、畜産をメインにしているようだ。
牛、豚、にわとりの姿が、そこかしこにある。
もしかしたら、人より家畜のほうが多いのではなかろうか。
「成生さん、あそこ! あそこを見てください!」
アマメが興奮気味に指さす先には、二匹の子豚がいた。
「ふおおおおおおお」
じゃれあう姿はかわいらしいが、この興奮は理解できない。
「が……眼福! 眼福です!」
「よしわかった。近くで観てきなさい」
興奮冷めやらぬアマメを降ろすと、脱兎のごとく走っていった。
走れることは知っているが、初めて会ったときより速い気がする。
イノシシから逃げることより、好きに近づくほうが力を発揮できるタイプなのだろう。
「ブヒブヒッ」
「ブ~ヒ、ブヒッ」
見知らぬ人間が近寄ってきたからか、子豚たちが大声で鳴きはじめた。
「大丈夫ですよ~。観てるだけですから」
「ブブブヒヒ」
「ブ~ブヒヒ」
意思の疎通はまったくできていない。
ホクホク顔のアマメと、必死に抗議する子豚たちの温度差がすごかった。
「ブブブブブブブ」
異変を察知した成豚が突進してきた。
たぶん、母豚だろう。
柵があるから大丈夫だとは思うが、万が一もある。
おれはアマメを、ひょいと抱き寄せた。
正解だった。
母豚はアマメが指をかけていた柵にかじりつき、一部を破壊した。
あのままだったら、アマメの指は噛みちぎられていたかもしれない。
「くうぅ~、その好戦的な姿も、たまりません!」
好きのレンジがだいぶ広い。
「もっと、もっといろんな側面を見せてください」
どんな姿も尊いようだ。
(まるで推し活だな)
しばらく放っておいてやるのが、ベストかもしれない。
「そこで何をしているんだ!?」
「おっと、すみません。ちょっと観させてもらっていただけです」
叱責する声に、おれはアマメを抱えたまま振り返り、頭を下げた。
「その豚は大事な……えっ!? アマメ様……ですか?」
「ふえっ!?」
相手は知っているようだが、当の本人は心当たりがないらしく、首をかしげている。
「ご存じないのも無理はありません。直接会うのは、初めてですからね」
青年は朗らかな笑みを浮かべている。
「大きくなられましたね。ご無事でなによりです」
物腰も柔らかくなり、声も穏やかだ。
そしてなにより、その瞳に宿る慈悲が濃い。
「あ、あの……ボクのことを知っているのですか?」
「もちろんです! 大恩あるアマツカ様のことを忘れることがないように、アマメ様のことも、忘れるわけがありません!」
内容は理解できないが、その言葉がウソでないことは理解できた。
そこに込められた熱さが伝わるからだ。
「ところで、ご同行の方とはどういったご関係なのですか?」
目つきが急に鋭くなった。
まるで、自分の留守中に娘の彼氏が家にきたときの父親のようだ。
「ええっと……」
アマメはどう言うべきか困っている。
その歯切れ悪い対応に、青年の表情はますます険しくなっていった。
「おれは冒険者の清宮成生と申します。アマメとは、イノシシに追いかけられていたところを助けたのをきっかけに、道案内をしてもらっています」
「道案内? あなたのようないい大人が? アマメ様のような幼い子供に?」
信じられないのも無理はない。
おれが彼の立場であったなら、同じように思ったはずだ。
「先ほども申し上げましたが、おれは冒険者です。生まれもこの国ではありません。さいわい言葉は通じるようなのですが、使用する文字が違い、道しるべの看板が読めなくて困っていたのです」
「なるほど。筋は通っていますね」
言葉とは裏腹に、納得していないのが丸わかりだ。
「もう少し詳しく、お話を聞かせてもらえないでしょうか?」
「いいですよ」
「ありがとうございます。では、こちらへどうぞ」
「あいよ」
「アマメ様は子豚の鑑賞をお続けください」
それは暗に、おれ一人でこい、と言っている。
「でも……」
「ご安心ください。清宮様に危害を加えるようなことは致しません」
アマメがぎゅっと手を握った。
信じたいけど、信じられないのだろう。
「どうする? 一緒に来てもいいけど、子豚を観ててもいいぞ」
おれはしゃがんで目線を合わせた。
「戻ってきますか?」
「当たり前だろ。アマメに看板読んでもらえなきゃ、どこにもいけねえんだからよ」
「じゃあ、ここで待ってます」
「いいのか?」
「はい」
優しいと同時に、頭のいい子だ。
自分がついていくといえば青年が困るのをきちんと理解し、自分を納得させるためにおれと約束をしたのだ。
もちろん、それで不安を拭い去れたわけではないが、大丈夫だろう。
笑顔で送り出す強さを兼ね備えているのだから。
「んじゃまあ、ちょっと行ってくるな。豚に見惚れるのはいいけど、指を嚙みちぎられるなよ」
「はい。大丈夫です。でも、心配なら早く戻って来てくださいね」
「おうよ」
おれはアマメと別れ、青年の家にむかった。