273話 勇者はラシール村を後にした
土が濡れているので、アマメがどの方向に進んだかは一目瞭然だ。
「こっちか」
どんどん村のはずれに進んでいる。
「おおっ!? ……マジかよ」
たどり着いたのは、とんでもないボロ屋だった。
(っていうか、これを住居とは言わねえだろ)
壁に穴が開いているなんていうのは序の口で、断熱材もなければなにもない。
確認はしてないが、屋根にも穴が開いているはずだ。
正直、馬やにわとりだって、もう少しマシなところに住んでいる。
(ここ……じゃねえよな?)
いくらなんでもひどすぎる。
ただ、中からガサゴソ音が聞こえるのも事実であった。
「アマメ、いるのか?」
「へぇ!? な、成生さんですか?」
ひょこっと顔を出すのはいいが、壁からこちらを覗くのはやめてほしい。
本人はなんとも思っていないかもしれないが、やられたほうは心が痛い。
「ど、どうしてボクの家がわかったんですか?」
「濡れた地面を追ってきたんだよ」
「ああ、なるほど。そんな簡単なことにも気づけないボクは、ダメですね」
自虐的な笑みを浮かべるが、そんな必要はない。
おれが知るかぎり、アマメはダメな子どころか、気づかいのできるいい子だ。
「着替え終わったか?」
「もう少しです」
ドタバタと音がする。
「べつに慌てる必要はないぞ」
「いえ、すぐに済ませます!」
声が必死だ。
「おまたせしました」
玄関からアマメが姿を見せた。
着替えは完了しているが、髪はボサボサで濡れたまま。
「中に戻るんだ」
「えっ!? は、はい」
回れ右したアマメに続き、おれも家に入る。
(…………)
絶句だ。
中には床すらなかった。
一枚板を組み合わせ、屋根と壁を作っただけの場所を、おれは家とは認めない。
「そこに座りなさい」
「は、はい」
寝床と思われる藁を指さすおれに従い、アマメはチョコンと腰をおろした。
「ファイヤーショット、ウインドブロウ」
背後に回り、二つの魔法を発動した。
威力はごく少量。
できるかどうか微妙なところだったが、無事ドライヤーを再現できた。
「えええ!? あったかい風が吹いてます」
驚いて振り返ろうとするアマメを許さず、おれは髪を乾かす。
だいぶ傷んでいるのか、絡まりがひどい。
無理にやれば抜けたり切れたりするだろう。
(櫛……なんてねえよな)
見渡すまでもない。
というより、物が皆無だ。
辛うじて服が数着あるだけで、それを収納する箱のようなモノさえない。
(あいつら、マジで鬼だな)
村長を筆頭に、ビアやショウには人の心がないようだ。
いくら奴隷だといっても、この扱いは無慈悲すぎる。
「あの……成生さん?」
「んん!? どうした」
「いえ、いつまでこうしているのか思いまして」
アマメの髪はショートカットより少し長いくらいだから、すぐに乾くことは理解していた。
ほかのことに気を取られ、それに気づけなかっただけだ。
「よし。これで終わり」
最後に強めの風を吹きかけ、魔法を止めた。
「すごいです。もう乾いています」
アマメが自分の髪を撫でている。
喜んでいるのはわかるが、それに浸らせてやることはできない。
「んじゃ、出かける用意をしてくれ」
「へぇ!?」
「これからアマメは、おれと旅に出ることになった。もちろん、村長や息子のビアも認めてくれたよ」
「村長が……ですか?」
信じられないのも当然だ。
たぶんアマメは、一日たりとも休むことなく、村の汚れ仕事をこなすように命令され続けてきた。
ほかの村民と自分の暮らしが違うことも当たり前で、不満に思うほうがどうかしている。
そう教え込まれてきたはずだ。
でなければ、こんなボロ屋に押し込められていることを、許容するはずがない。
住めば都とはいうが、雨風をしのげない場所は、その範疇に収まらないのだ。
絶対に。
「な、成生さん。ど、どうされました?」
アマメが不安そうな顔をしている。
知らぬ間に不機嫌になっていたようだ。
「悪い悪い。なんでもねえよ。それよりおれも着替えるから、アマメもさっさと用意しろ」
「は、はい……って、その着替えどうされたんですか?」
「ビアがくれた」
「そ、そうですか。あのビアさんが……」
なにか言いたそうだが、アマメはそれを口にしなかった。
思うところがあるのは間違いないし、いい評価でもないだろう。
「ビアさん……」
他人の悪口を言わないことは立派だが、少しぐらいなら許される。
アマメのように虐げられた者なら、なおさらだ。
けど、それが発せられることはなかった。
「ありがとうございます」
代わりに屋敷の方角に頭を下げるのだから、たいしたものだ。
(とてもじゃねえが、マネできねえよ)
おれなら確実に殴りかかっている。
返り討ちにあって殺されるのだとしても、ガマンしていない。
(見習わなきゃダメだな)
そんなことを思いながら、おれは着替えを済ませた。
わかっていたことだが、用意する物がない。
けど、洋服を包む袋や風呂敷すらないとは、思いもしなかった。
「す、すみません」
洋服を抱え、アマメは恥ずかしそうに縮こまっている。
「謝る必要はねえよ。んじゃ、村を出る前に買い物するか」
「無理です。開いているお店はもうありません」
陽がくれたら閉店する。
観光地並みの早さだ。
「んじゃ、次の場所まで抱えていくか」
シャツの汚れた部分に丸めたズボンを置き、袖と裾を結ぶ。
簡易巾着の完成だ。
「すみません」
「謝る必要なんてねえよ。アマメのもやってやろうか?」
「いいんですか?」
「もちろんだよ。ほら、貸してみ」
おれより数は多いが、ワンピースタイプの服があったので余裕だ。
「す、すごいです!」
褒められるようなことではないし、尊敬のまなざしを向けられると、逆に恥ずかしい。
「よし。いくか」
「はい!」
片手に服を持ち、空いた手でアマメの手を握る。
そしておれたちは、ボロ屋を後にした。
「おや? アマメちゃん、こんな夜更けにどうしたんだい?」
村の入り口近くの民家の前で、お婆さんに声をかけられた。
村長、ビア、ショウとは違い、雰囲気が優しい。
「えへへ」
アマメも懐いているようだし、悪い人ではなさそうだ。
「もしかして? お出かけかい?」
声を潜めた問いに、アマメがうなずいた。
「そうかい。それはよかったね」
音が鳴らないように拍手してくれた。
「ところで、あなたがこの子を?」
「はい。しばらくの間、一緒にいることになりました」
「そうかい。それじゃあ、よろしくお願いします」
お婆さんが深く頭を下げた。
やはり、いい人だ。
「そうだ、アマメちゃん。家の中から、籠を持ってきてくれないかな?」
「棚にあるやつですか?」
「そう。一番大きいのをお願い」
「わかりました」
アマメは家に入っていった。
「あの子を救っていただき、感謝します。言い訳になりますが、老いた身ではなにもしてやれませんでした」
「そんなことはありませんよ。あなたの存在が、アマメの救いになっていたのは疑いようがありません。そうでなければ、あんな風に笑顔にはなりませんよ」
「ありがとうございます。ですが、見て見ぬふりをしていたのも事実です」
なんとなくだが、このお婆さんのような存在はまだいる気がする。
陰で優しくしてくれていた大人たちが。
一つ一つは大きくないが、その優しさに触れていたからこそ、アマメは純粋に育ったのだろう。
「持ってきました」
「ありがとう。お礼にそれ、あげるわ」
「だ、ダメですダメです」
「いいのよ」
「でも……」
遠慮しているが、本当は嬉しいのだろう。
チラチラとおれを見ている。
「ご厚意に甘えてもいいんじゃないか」
ぱあ、っと表情を輝かせるアマメ。
やはり、欲しかったようだ。
「ありがとうございます! 一生大事に使います!」
「そうなれば嬉しいわ」
「ありがとうございます」
「ふふ。いい人と巡り合えたわね」
お婆さんも笑顔だ。
「いってらっしゃい」
「はい。いってきます」
別れの挨拶をし、おれとアマメは村を出た。
お婆さんの見送る視線を感じながら。