272話 勇者はアマメを買う
「す、すみません。みっともない姿をお見せしました」
顔を赤くし、アマメはペコペコ頭を下げている。
醜態だとは思わないが、本人からしたら恥ずかしいのだろう。
「気にすんなよ。でもさすがに、ちょっとクセェな」
お互い汚物にまみれたままだ。
冷静になると、臭いも気になる。
「こっ、こっちにどうぞ」
アマメに手を引かれ、おれは井戸の前に連れていかれた。
「マジか!?」
春の陽気で寒くはないが、水浴びをするほど暖かくもない。
汲んだ井戸水も冷たかった。
「それっ」
アマメは躊躇なく水をかぶる。
信じられない光景だ。
「さ、寒くないのか!?」
「だ、大丈夫です」
笑みを浮かべているが、絶対にウソだ。
小刻みに震え、カチカチと歯を鳴らしている。
「無理するな。寒いんだろ」
二杯目をいこうとしているアマメを静止した。
「無理なんかしていません! いつもしてることですから!」
勘違いかもしれないが、目がキマってる気がする。
「えいやぁ!」
気合いを入れなければ、乗り切れないのだ。
けど、無理をする必要はない。
「大丈夫。おれに任せろ」
桶を奪い、極々少量のファイヤーショットを浮かべた。
「よっ」
一回しすれば、ぬるま湯の完成である。
「アマメ、いくぞ」
「はい! ……えっ!?」
水が冷たくないことに驚いている。
「もういっちょいくぞ」
「はい!」
そんなわけはない、と思っているようだ。
アマメはいまだギュッと拳を握り、気持ちを作っている。
けど、浴びせられる水は冷たくない。
それが信じられず、目をパチクリパチクリさせている。
「まだきたねえな」
おかわりで、もう二杯頭からお湯をかけた。
「な、な、成生さんは……」
ようやく口を開いたと思ったら、急にキョロキョロしだした。
「か、神様なんですか?」
声を潜めて耳打ちされたので、かぶりを振った。
「ウ、ウソです。こんなことができるのは、神様だけです」
「んなことねえよ。ほんのちょっと魔法が使えれば、だれでもできることだよ」
「いいえ! これは神の御業にほかなりません!」
意外と強情だ。
とはいえ、おれは神様ではない。
それだけは紛うことなき事実であり、勘違いされては困る。
(この年頃の子は、影響されやすいからな)
アマメはそんなことにはならないだろうが、神様のそばにいられる自分は偉い、なんて勘違いをする子もいるだろう。
そしてなにより、おれ自身が神様だと崇めたてられたくない。
(あ~っ、どう言えば誤解が解けるんだろうな)
「あっ! わかりました!」
悩むおれを置き去りにし、アマメがポンッと手を打つ。
「成生さんは、神界に戻るために神界山に行くのですね」
全然違う。
おれがあの山に行くのは、ただ気になったからだ。
けど、訂正したところで信じないだろう。
「安心してください。だれにも言いふらしたりしませんから」
その瞳は、使命感に溢れている。
(まあ、しかたねえか)
説得したところで無駄なら、とりあえず放置しよう。
本当に修正が必要なときは、ひざを突き合わせて向かい合えばいい。
「くしゅ」
アマメが可愛らしいくしゃみをした。
途中からぬるま湯になったが、ずぶ濡れなのに変わりはない。
このままでは風邪をひいてしまう。
「着替えはあるよな?」
「ボクの分は……あります」
伏し目がちで申し訳なさそうな口調だ。
アマメが大人用の服を所持していていないのは当然なのだから、謝る必要はない。
「よし。それじゃあ、さっさと着替えてきなさい」
「でも……」
「おれなら大丈夫だよ。神様だからな」
アマメに耳打ちした。
ウソも方便というやつだが、効果はあったようだ。
「はい! わかりました」
晴れやかな顔で、着替えに行った。
「さて、どうすっかな」
大丈夫と言ったが、全然大丈夫じゃない。
臭くて鼻が曲がりそうだ。
「まずは腕だな」
ぬるま湯で流しただけでキレイになった。
が、問題はここからだ。
おれの汚れの大部分は、アマメを抱きしめたときについたモノである。
つまり、服が大半なのだ。
シャツを脱ぐのはかまわないが、さすがにズボンはマズイ。
パンツ一丁のところを見られたら、変態の烙印を押されてしまうかもしれない。
「まずはシャツを洗うか」
できることからやっていこうと、脱いだシャツに水をかけた。
本来なら桶の中に入れてジャブジャブ洗いたいところだが、生活用水として使ってる可能性が高いだろうから、やめといたほうが無難である。
とはいえ、水をかけただけではキレイにならない。
「お困りのようですね」
おれに声をかけてきたのは、ビアだった。
「もしよろしければ、こちらをどうぞ」
真新しい服が差し出された。
「ありがたいけど、そんなことしていいのか?」
「父やショウは怒るでしょうね」
「なら、やめといたほうがいいんじゃないか?」
「ご安心ください。どんな事実であれ、周知されなければ、咎められることはありません」
その通りだ。
悪事も表沙汰にならなければ、罪にはならない。
「ただ、これをお渡しするには、一つだけ条件があります」
「どんな?」
「アマメを買っていただきます」
当たり前のように人身売買を持ち掛けるビアは、ヤバイやつだ。
はいそうですか、と了承するのは危険すぎる。
「ご存じの通り、アマメは村の汚れ仕事を一手に引き受けております。父はそれを功徳と申しましたが、実際は体のいい言い訳です」
「そんな気はしてたけど、認めていいのかよ」
「アマメは奴隷ですからね。もし死んだとしても、代わりを買えばいいのです」
ものすごく冷たい言葉だ。
けど、それが真実なのだろう。
だからこそ、あれほど冷たく扱えるのだ。
「もし仮に対価が支払われるのであれば、我らはアマメを解放しましょう」
ふざけるな! と突っぱねるのは簡単だが、それはイコールでアマメを見捨てることにもなる。
「実力行使をなさいますか?」
もちろん可能だ。
けど、それを行った瞬間、おれも同罪になる。
(いや、もう同じ穴のムジナだな)
アマメを救えば、ほかの奴隷が補充される。
それを許さず村に鉄槌を下す、といえば聞こえはいいが、やっていることは変わらない。
他者を力で従わせるだけだ。
どちらにしろ、褒められた行為じゃないし、やっていることに変わりはない。
(まあ、おれは全知全能の神様じゃねえからな)
どこかで折り合いをつけなければならないなら、おれはアマメを救う選択をする。
「これで足りるか?」
サラフィネが持たせてくれた巾着を差し出した。
「充分です。むしろ多すぎるぐらいですので、少しお返しします」
服と一緒に、五枚の硬貨を手渡された。
「日が暮れた後で申し訳ありませんが、本日中に出て行ってください」
「あいよ」
「では、さようなら」
ビアが踵を返した。
その後ろ姿を見ながら、おれはなんとも言えない気持ちになるのだった。