271話 勇者はアマメを抱きしめた
巨躯の男が、おれを真っ直ぐ見下ろしている。
ゴリラのように厚い胸板と丸太のように太い腕も相まって、威圧感がすごい。
「その子は忌み子です。罪を悔い改めるため、我が村で我らの監視のもと、功徳を積んでいる途中なのです。今それを放棄することは、だれも幸せにしません」
「猛獣に追いかけられることが、功徳を積むことになるんですか?」
「なりません。功徳とは、そのようなものではありません」
「じゃあ、なんでアマメが獣に追いかけられなきゃいけなかったんですか?」
「その場にいなかった自分には、なんとも言えません」
祈るように手のひらを合わせ、かぶりを振っている。
坊主というよりは、秘書を隠れ蓑に悪さする政治家のようだ。
「じゃあ、事情を知ってそうな彼らに訊いてみてくださいよ」
おれは目つきの悪い五人のガキを指さした。
「必要ありません。大事なのは、その子が村に帰ってきた事実のみです」
「その言いかただと、まるでアマメが逃げ出したように聞こえますよ」
だれもなにも言わなかった。
間違いなくそれは、無言の肯定だ。
「アマメ、そうなのか?」
シャツをギュッと握るだけで、言葉を発することはしない。
けど、言いたいことがあるのだけは伝わる。
「大丈夫。おれが味方になってやるから、言いたいこと言っていいぞ」
「ボクは」
「これ以上、悪行を重ねるでない!」
巨躯の男の叱責によって、アマメの口は閉じてしまった。
「甘言に惑わされることなく、己を律することができぬから、お前は疫病神と評されるのだ!」
「も、申し訳ございません」
声が震えている。
「解ればいい。それと、まだ今日の仕事が残っている。戻ってこなしなさい」
「……はい」
アマメが身じろぎした。
降ろしてくれ、というサインである。
おれはそれに従った。
「成生さん、ここまで連れてきていただき、ありがとうございました。村長、成生さんは神界山について尋ねたいそうなので、ご教授をお願いします」
アマメはおれに軽く頭を下げた後、村長と呼んだ巨躯の男に深く頭を下げた。
「まずは働きなさい。要求はその後だ」
「はい」
足を引きずりながら、村に歩いていく。
おれにはそれが、見えない鎖に繋がれているように思えた。
「では、我らも戻るとしましょう。あなたとの話は、そこでいたします」
一応、村に招いてはくれるようだ。
ただ、残った者の表情や態度からして、好意的でないのは疑いようがない。
(まあ、相手のことをとやかく言える立場じゃねえけどな)
おれだってムカついている。
険悪な雰囲気のまま、おれたちは入村した。
特筆するモノはなく、農地と木造住宅があるだけの寒村だ。
「どうぞ」
招かれた村長の家もたいしたことはない。
ほかの家より、サイズが大きいぐらいだ。
「おかえりなさいませ。旦那様。そちらはお客様ですか?」
「今のところはな」
「了解しました。では、こちらにどうぞ」
村長を出迎えたメイドが案内したのは、玄関に近い応接間。
「ごゆっくりどうぞ」
「いただきます」
出されたお茶に口をつけたが、香りも味もしない。
(これは出涸らしじゃなく、色のついたお湯だな)
どうやら、メイドにも歓迎されていないようだ。
対面に村長が座った。
「して、何用があって神界山を知りたいのですかな?」
いきなり本題に入るようだ。
腹の探り合いをするのも面倒臭いので、ありがたい。
「コレといった用はありません。冒険者として旅をする過程で、気になっただけです」
「そうですか。では、神界山のことは忘れなさい」
取り付く島もない。
放っておけば、そのまま立ち上がっていなくなりそうだ。
「入山は認めない、ということですか?」
「それは自分が決めることではありません」
「では、だれが決めることなのですか?」
「森の守護者です」
村長が手のひらを合わせ、小さく頭を下げた。
まるでそこに、なにかがいるように。
「概念……なのですか?」
「違います。森の守護者は確かに存在します」
「では、どこに行けば逢えるのですか?」
「あの子に触れ、汚れたあなたでは無理です。その穢れた身体で、願いが叶うことはありません。ですから、神界山のことは忘れなさい、と申し上げているのです」
「アマメはなにをしたんですか?」
とんでもない業を背負っているようだが、おれにはそんなことをするとは思えなかった。
「あなたが知る必要はありません。大事なのは、あの子が功徳を積み続けることです」
暖簾に腕押し、ぬかに釘、とでもいえばいいのだろうか。
唯一理解できたのは、村長がおれと話す気はないということだ。
「わかりました。では、失礼します」
「よい旅を」
会釈し、村長の家を後にした。
「んじゃ、どうすっかな」
伸びをするおれの前を、ショウが駆け抜けた。
それ自体はどうでもいいが、手に握られた石は気になる。
「うらっ!」
後を追いかけた先で目撃したのは、ショウがアマメに石を投げつける姿だった。
「イタッ」
ふくらはぎに直撃し、バランスを崩したアマメが転倒した。
その拍子に、背負っていた籠から汚物がこぼれ、身体を汚す。
「ギャハハハハ。ざまあみろ」
笑いながら走り去る姿は、見るに堪えない。
「大丈夫か?」
「触らないでください。成生さんまで汚れてしまいます」
こんな姿になってまで他人を思いやれる子が、業の塊であるわけがない。
「気にするな。汚れは洗えばいいんだからよ」
アマメの両脇を持って、立ち上がらせた。
「いけません! ダメです!」
「大丈夫だよ」
汚れた顔を、シャツで拭ってやった。
「ほら、キレイになった」
まっさらとはいかないが、汚れが取れたのは間違いない。
「うううううう」
アマメが胸に飛び込んできた。
「うううううう」
声を押し殺すように泣いている。
たぶん、いつもこうしているのだろう。
おれはなにも言わず、アマメを抱きしめた。