269話 勇者は看板が読めない
街道を進み始めてすぐ、おれは違和感に気づいた。
アマメが右足を引きずるように歩いている。
「まだ痛いのか?」
「えっ!? ……ああっ、足は大丈夫です」
一瞬だけ驚いたような顔をしたが、おれの視線が自分の足に向けられていることに気づき、アマメはかぶりを振った。
「でも、歩きづらそうにしてるよな」
「これは、ボクがドジでケガしたときの後遺症なんです」
表情は暗くない。
折り合いはついているのかもしれないが、背負った苦労の大きさに同情してしまう。
「ごめんなさい。遅いですよね」
他人を思いやる優しさも兼ね備えたいい子だ。
それだけに、無理をする必要はない。
「大丈夫だよ。ゆっくり行けばいい」
「ありがとうございます。でも、ボクは平気です」
必死に進む姿は健気であるが、痛ましくもあった。
「そらよっと」
アマメの両脇に手を差し込み、二、三メートル上に投げた。
「えっ!?」
悲鳴も上がらないほど驚いている。
「よいしょ」
背面キャッチの要領で、おれはアマメを受け止めた。
おんぶの完成だ。
「お、降ろしてください」
「ダメ」
「なんでダメなんですか!?」
「アマメのペースに合わせてたら、日が暮れちゃうからな」
昼下がりのようなつもりでいたが、すでに斜陽にさしかかっている。
まもなく夕闇が訪れるのは間違いないのだから、急ぐのは当然だ。
「でもボクなんかを背負っていたら、成生さんがバカにされてしまいます」
意味がわからない。
子供を背負った姿をバカにするヤツなんていないし、いたとしても相手にする必要はない。
「気にしなくていいよ。少なくとも、おれは気にしないからよ」
「ダメです。恩人である成生さんに、恥をかかせるわけにはいきません!」
降りようとジタバタ暴れるが、アマメの力でおれを振り解くことはできない。
「成生さん! 放してください!」
「イテテテテ」
髪の毛を引っ張られると、さすがに痛かった。
抜けても生えてはくるだろうが、円形脱毛は遠慮したい。
「わ、わかったよ。んじゃ、ラシール村が見えたら降ろすから、近くまではこのままで行かせてくれ」
「ダメです」
悪くない妥協案のはずだが、アマメは納得しなかった。
「なんでだよ?」
「ボクは……疫病神だから」
おんぶをしていなかったら、耳に届かないほど小さなつぶやきだった。
それだけで、アマメがどういう扱いを受けているのか想像できた。
「なるほど。アマメは神様なんだな」
「へぇ!?」
「自分でそう言ったじゃねえか。ボクは疫病神だ、ってよ」
「き、聞こえてたんですか?」
「バッチリな」
背中や手に伝わるアマメの体温が上がる。
弱音を吐いたのが、よほど恥ずかしいようだ。
「ところで神様、この道はどっちに行けばいいんだ?」
「や、やめてください。み、右です。あそこにそう書いてありますよ」
嫌がりながらも、ちゃんと道を教えてくれる。
そんないい子に、
「おれ、文字が読めねえんだよ」
しれっと真実を告げた。
「えっ!? ウソですよね?」
「ウソじゃねえよ。本当に読めないんだよ」
「でも成生さんは、すごい冒険者じゃないですか」
「まあ、イノシシを倒せるぐらいの力はあるけど、それと文字が読めるかどうかはべつなんだよ。事実、あっちになにが書かれてるのか、まったくわかんねえし」
「ムツ王国です」
「へぇ~、あれでムツ王国って読むのか。あんなミミズがのたくるような字、よく読めるよな」
おれにはどれがムで、どれがツなのかわからない。
「ウ、ウソです」
アマメはかたくなに認めなかった。
「よし。なら、次の看板まで行こうぜ」
右の道を進むと、すぐにそれはあった。
ジッと見つめる。
(マジでわかんねえな)
まったく見分けがつかない。
「右だな」
「左です」
勘が外れた。
読めないという証明にはなったが、気恥ずかしさを覚える。
「じゃあ、右はムツ王国だ」
「イアダマク共和国です」
「っざけんなよ! なんでさっきが旧国名なのに、こっちだけ改名してんだよ!」
仕事をするならきちんとこなすべきだ。
おかげで、いらぬ恥をかいてしまったではないか。
「ああもう」
イライラをぶつけるように、地団太を踏んだ。
「ほ……本当に読めないんですか?」
「ああ。まったくわからないないね!」
「ふふっ。成生さんは変な人ですね」
声が弾んでいる。
醜態はさらしたが、悪くなかったようだ。
「まあなんにしろ、アマメは神様だからな。おれみたいな凡人を理解できないんだよ」
「ち、違います! ボクは疫病神であって、神様じゃありません」
「いいや。疫病神も神様だ」
災厄を引き起こす存在なのだとしても、神という存在であることに変わりはない。
ただ、アマメが言われてきたのは、忌み嫌われた子、という比喩だろうが。
「正直、おれはアマメのことをよく知らないけど、アマメがいい子なのは知ってるよ。だれがなんと言おうと、それだけは間違いない」
気休めではない。
おれは本気でそう思っているのだ。
「あ、ありがとうございます」
お礼と一緒に、鼻水をすするような音がする。
(振り返るのは、デリカシーがないよな)
左がラシール村だとわかったことだし、気づかないフリをして進もう。
それからしばらく、分かれ道がなかった。
くねくねと蛇行しているが、一本道だ。
「おっ!?」
カーブを抜けた先に、村の入り口が見えた。
「アマメ、あれって」
「お、降ろしてください!」
だいぶ慌てている。
ということは、あれがラシール村なのだろう。
「おいお前! 何者だ!」
アマメを背負ったままのおれの前に、目つきの悪いガキが数人現れた。