268話 勇者とアマメの出会い
「に、逃げてください!」
自分に危機が迫っているにもかかわらず、他人を心配できるすばらしい子だ。
「ブモオオオオオオ」
かたやイノシシは、大口を開けて子供を食べようとしている。
(嘆かわしい)
自然の摂理といえばそれまでだが、あまりに世知辛い光景だ。
「まあ、待てよ」
サッと動いてイノシシを受け止めた。
「食べることは大事だけど、この子は見逃してやってくれよ」
お願いしてみたが、血走った眼でガンガン歯を打ち鳴らす様子からして、その気はなさそうだ。
「ブモッ! ブモッ! ブモッ!」
鼻息も荒い。
「なあ、どうしてもダメなのか?」
「ブモオオオオオオ~」
アルゼンチンバックブリーカーを極めながら訊いたが、イノシシはかぶりを振っている。
首の後ろで肩に担ぐ技なのだから、首を振っても見えないだろ。
と指摘する者もいるだろう。
正解だ。
おれからイノシシの姿は確認できない。
けど、かぶりを振っているのは間違いない。
鼻を握っているから、わかるのだ。
イノシシが頭を振れば、当然鼻も揺れる。
その振動を、おれの手はたしかに感じ取っている。
「ダメか? ダメなのか?」
「ブ……ブモッ」
イノシシの勢いは薄れてきたが、まだジタバタしている。
「頼むよ。この通りだ」
「ブモオオオオオッ」
頭を下げたら理解してくれた。
その証拠に、イノシシは動きを止めた。
気を失ったわけじゃない……と思う。
「そらよっと」
肩から降ろしてみた。
ピクリとも動かない。
「ごめんなさい」
完全に失神しているイノシシに頭を下げた。
鼓動を感じるから、死んではいない。
「大丈夫だった?」
とりあえずイノシシは放置して、逃げてきた子供に声をかけた。
「あ、あ、あ、ありがとう、ご、ご、ご、ございます」
動揺しているのか、ろれつがうまく回っていない。
「大丈夫だから落ち着いて。はい。一緒に深呼吸しよう」
吸って、吐いて、吸って、吐いてを繰り返す。
最初こそ無反応だったが、次第に呼吸があってくる。
「も、もう大丈夫です」
だいぶ落ち着いたのか、子供は笑みを浮かべた。
「立てるかい?」
「はい……った」
立ち上がろうとしたが、ダメだった。
表情が歪む様子からして、足を痛めているのだろう。
「いいよ。座ってな」
無理をする必要はない。
「ヒール」
骨折なら無理だろうが、捻挫ぐらいなら治るはずだ。
「あ、ありがとうございます」
「礼なんていいよ。それより、立てるようになった?」
痛みに襲われた恐怖があるのだろう。
子供は恐る恐る立ち上がった。
「だ、大丈夫です!」
さっきまでは重心が傾いた途端に崩れ落ちていたが、問題なさそうだ。
ぴょんぴょん飛び跳ねている。
「すごい! すごいです!」
感動してくれるのはありがたいが、大したことはしていない。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
テンションの違いに、おれのほうが恥ずかしくなってしまう。
「うおっほん。ところできみは、近所の子?」
あえて咳払いを言葉にし、強引に話題を変えた。
「あっ、はい。ボクはラシール村のアマメです」
「アマメって名前だよね?」
「はい」
「んじゃ、アマメって呼んでいいかな」
「はい」
嬉しそうにうなずかれた。
嫌われていないようで安心だ。
「おれは清宮成生。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします。成生さん」
「あいよろしく。ところで、アマメはこんなところでなにしてたんだ?」
「狩りの手伝いです。と言っても、ボクの役目はイノシシの注意を引き付けることですけど」
情けなさをごまかすように、てへへ、と笑うアマメ。
「恥じる必要はないよ」
アマメはまだ幼く、線が細い。
剣を振り回すことはおろか、弓すら満足に引けないだろう。
「大きくなれば、立派な狩人になれるだろうよ」
子供の未来は無限大なのだ。
「ありがとうございます」
感動するようなことは言ってないが、アマメはうっすら泣いている。
非力な自分が、よほど情けないのだろう。
「大丈夫。すぐに仲間みたいになれ……るよ」
慰めの言葉を、歯切れよく言うことができなかった。
というのも、おかしなことに気づいてしまったからだ。
(仲間がどこにもいねえな)
アマメは自分の仕事をこなしていたのだから、ほかの連中が攻撃しない理由がない。
というより、この状況下において、だれ一人姿を見せないのはどういうつもりだろうか。
「ははっ。見捨てられちゃったみたいですね」
その通りだと思う。
けど、肯定することはできない。
さっき以上に泣きそうなアマメに、鞭打つ行為は必要ない。
「ブモッ」
重い空気を感じ取ったわけではないが、イノシシが目を覚ました。
「ブモッ」
「ブモッ」
林の奥からべつの鳴き声が聞こえた。
二匹のイノシシがこちらを見ている。
サイズからして、奥さんと子供だろう。
「ほら、家族のもとに帰れ」
「ブモッ」
一鳴きして、イノシシは林に消えた。
「あっ!?」
いいことをした気分でいたが、マズイかもしれない。
「狩りってことは、あいつら逃がしちゃダメだったか」
「いえ、アレでいいと思います」
「そうは言っても、このままじゃ帰れないだろ」
「大丈夫です。もともとボクが帰ってくるとは、考えていないでしょうし」
グサッと胸に刺さる言葉だ。
「親御さんは?」
「いません」
墓穴を掘ってしまった。
なにか言ってやるべきなのだろうが……言葉が出ない。
「それじゃあ、ボクは帰ります。今日はありがとうございました」
気を使い、アマメが会話を切り上げた。
このまま別れてもいいが、それはさすがにしのびない。
「狩りの邪魔をしたのはおれだからな。一緒に謝りに行くよ」
「ダメです。成生さんはなにも悪くありません」
「んじゃ、村の大人に訊きたいことがあるから、同行させてくれよ」
「訊きたいことって、なんですか?」
「あそこへの行きかた」
遠くに見える山を指さした。
「神界山へ行くんですか?」
ずいぶん大層な名前だ。
もしかしたら、雲より高い山頂は神界に続いている、なんて噂でもあるのだろうか。
「詳しくは知りませんけど、入山は禁止されているはずですよ」
「マジ!?」
「ずっと前に村長がそう言ってたような気がします……けど、ごめんなさい。よく覚えてません」
「謝る必要はないよ。ただ、真偽をたしかめるためにも、村に案内してくれないかな」
「わかりました。ついてきてください」
おれとアマメは、ラシール村に向かって歩き始めた。