259話 勇者は女神の遊びを目撃する
真っ白ないつもの空間に戻って早々、ドンッと背中を押された。
「あっ、ごめんなさい」
ぶつかってきたのは、見覚えのない天使だ。
後ろを気にして走っていたから、おれに気づかなかったのだろう。
「なにをそんなに急いでいるんだ?」
答えも言わず、というより、おれの問いを最後まで聞くことなく、天使は横を通り過ぎていなくなってしまった。
よほど急いでいるのだろう。
!!
もしかしたら、なにか起きているのかもしれない。
先の異世界ではなかったが、クリューンが仕掛けてきた可能性もある。
おれはサラフィネのいる部屋に走った。
いつもの豪奢な椅子があるだけのだだっ広い部屋に、サラフィネと多くの天使の姿がある。
「もう逃げられませんよ」
「大人しくお縄についてもらいます」
「サラフィネ様、観念してください」
じりじりと包囲網が狭まっている。
「くっ、これまでですか」
歯がみしているが、忙しなく周囲を探る様子からして、サラフィネはまだあきらめてはいない。
「無駄ですよ。もう、救いの手が届く可能性はないのですから」
「それは……どうですかね」
無慈悲な宣告に対し、サラフィネがニヒルな笑みを浮かべた。
「ゲームセットには、まだ早すぎます」
直前におれと目が合ったのは、偶然だろうか。
「では、その希望ともども、潰えていただきます!」
「逮捕だ~ぁ!!」
一斉に飛び掛かる天使たち。
もみくちゃだ。
サラフィネがどうなったかなど、知ることができないほど混乱している。
「きゃっ! だれ!? お尻触らないで」
痴漢が現れた。
「ヤダ! 胸を揉まないで!」
大胆な犯行である。
「ちょっ!? ソコはダメ!」
ソコがどこかは知らないが、行為はエスカレートしているようだ。
このまま放置すれば、大変なことになってしまう。
「捕まえた!」
人山から手首を掴んだ腕が持ち上がった。
犯人が捕まったようだ。
「やった~!」
天使たちも喜んでいる。
「よし! よくやった! 確認だ!」
わらわらと人山が崩れていく。
立ち上がった者たちは、成果をいまかいまかと待ち望んでいる。
!!!!
全貌があらわになったとき、全員の両目が見開かれた。
それもそのはずだ。
捕まえたはずの犯人が、いなかったのだから。
掲げられたのは腕だけで、肝心の胴体が繋がっていない。
「うそ! うそよ!」
大げさにかぶりを振る天使をあざ笑うように、腕が膨らんでいく。
まるで風船のようだ。
(いや、風船なんだろうな)
パンと破裂したので、間違いない。
「ふっふっふ」
驚き尻もちをつく天使たちをあざ笑うように、静かな笑い声が響いた。
「どこ!? どこにいるの?」
「ここですよ」
声はおれの隣りからした。
見なくても声の主はわかるが、確認だけはしておこう。
チラッと視線を動かすと、おれの横にはサラフィネがいた。
まるで手品だ。
「残念ですが、あなたたちでは、わたしを捕まえることは不可能です」
「そんなことはありません! 必ず捕まえてみせます!」
「その意気込みは評価できますが、これを見ても同じことが言えますか?」
ドドドドドッと、おれの周りに黒い服を着た天使が集結した。
「そんな……」
「みなさんが捕まえようとしていたわたしは、わたしではありません」
「うそです。私たちは化かされてなどいません」
「では、今のこの状況をどう説明するのですか?」
「それは……」
口ごもる天使を、サラフィネは愉快そうに見つめている。
「あなたたちがわたしを捕まえようとしているとき、わたしはそこにいませんでした。わたしがいたのは、彼らが捕まっていた牢屋なのですから」
どうやら、おれは脱獄犯に囲まれているらしい。
「負けました」
うなだれた天使が敗北を認めた。
律儀に小さい白旗まで掲げている。
「ふふふっ。これでわたしたちの三三連勝ですね」
サラフィネは非常に満足そうだ。
「もう一回やりますか?」
「いえ、仕事に戻ります」
「そうですか。お付き合いありがとうございました」
「我々もいい息抜きになりましたので、またお誘いください」
「わかりました。近いうちに、また楽しみましょう」
三々五々に散っていく天使たち。
広間に残ったのは、おれとサラフィネだけ。
「おかえりなさい。勇者」
「ただいま。でぇ、これはなんだったんだよ」
「勇者の帰りがあまりに遅かったので、部下たちとドロケイをしていました」
遊んでいたのは理解しているが、発言は気になる。
「もしかして、おれの頑張り見てなかったのか?」
「ちゃんと見てましたよ。途中まで」
「じゃあ、途中からは見てなかったんだな」
「そんなことはありません。ちゃんと横目で確認していました」
チラッチラッと目配せをするのは、こんな感じで見てましたよ、ということなのだろう。
「ふざけんなよ。てめえの仕事は、人間を観察することだろうが」
「それは違います。わたしの仕事は多岐に渡っているのです。それもこれも、勇者がわたしを女神に復職させたからです」
その通りかもしれないが、それとこれとは話がべつだ。
「上級神様と約束したろ。答えを見つけるって」
「だからちゃんと見ていたではないですか」
「いや、ドロケイしてただろ」
「お忘れですか? 神は一つの世界に永く目を向け続けてはいけない、というルールを」
もちろん覚えている。
といより、それが理由でこんな苦労をしているのだから、忘れるわけがない。
「数日でもダメなのか?」
「駄目ではありませんが、注視するのは控えたほうがいいでしょう」
「そっか。なら、しかたねえか」
「ええ。ご理解いただけたなら、幸いです」
納得したわけではないが、おれが経験したようなことが起こってもよろしくない。
よくわからない力の犠牲になるのは、おれだけで十分だ。
「にしても、とんでもないモノを持ち帰りましたね」
「なんのことだよ」
「それです」
サラフィネはおれの腰を指さしている。
「ああ。これか」
おれは魔法の縄を手に取った。
「ええ。それはこの世界にあった物です。しかも、神界を含めても世界に一つしかない代物です」
たまたま拾ったモノだが、とんでもない逸品だった。
「そんな大事なもんが、どうしてあの世界にあるんだよ」
「それは……」
サラフィネが急に口ごもった。
言って良いのか悪いのかを、逡巡しているようだ。
「どうしても知りたいですか」
おれは無言でうなずいた。
「わかりました。教えましょう。それは……」