215話 勇者は大金を得る
「んん!?」
提示された契約書を一目見た瞬間、おれは眉根を寄せた。
「これ、間違ってるぞ」
「いいえ、間違いではございませんぞ」
「いや、売価は八〇〇〇パルクのはずだろ? そこが一万になってんだよ」
何度も確認したので、間違いない。
「成生様とは最初の取引ですのでな。二〇〇〇パルク上乗せさせていただきましたぞ」
「ずいぶん大盤振る舞いだな」
「先ほども申し上げた通りですな。成生様の心証を良くしておくことは、わてにとって損にはなりませんのでな。それに、カナはんたちの今後を考えれば、資金が多くて困ることもありませんでしょう」
マケ・レレの言っていることは正しい。
子供たちに使える金額が、大きくて困ることはない。
(まあ、おれがどこまで負担するのかは未定だし、それをマケ・レレから仕入れるのもどうかと思うけどな)
結果としてマケ・レレと繋がりがあるほうが得だ、と考える子がいて、再度契約する場合もあるだろう。
残念なことだが、それはだれにも否定できない。
(おれもそこまで面倒みれねえしな)
たまたま知り合った他人が生涯を保障してやることは出来ないし、してはいけない。
用が済めばこの世界を去る異世界人なら、なおさらである。
「厚意はありがたいけど、一つ確認させてくれよ。この上積みされた二〇〇〇パルクは、ミノタウロスに対しての評価額なんだよな?」
「その通りですぞ」
「ほかの意図はないんだよな?」
「ありますぞ。ただ、それはすべて言葉にしたモノだけですな」
薄々感じてはいたが、マケ・レレという商人は本物だ。
信用を得るための損を許容し、後の利益につなげようとしている。
そして、胸襟を開いている感じを装いつつも、全開にしていないのも立派だ。
時間をかけて相互理解を深めていけば、よりよい関係が築けるのも間違いない。
唯一残念なことがあるとしたら、おれにその気がないことだけだ。
けど、上積みはありがたい。
「んじゃ、遠慮なく頂戴するよ」
売買契約書にサインした。
「ありがとうございます。では、支払いは如何様になさいますかな? 冒険者ギルドに振り込むことも可能ですし、現金でお渡しすることも可能ですぞ」
「なら、現金で頼むよ」
「嘘だろ!?」
「おい、一万パルク用意しろ」
おれの即決をカナは信じられないようだが、マケ・レレに動じた気配はなかった。
一分……三分……五分と、無言の時間が続く。
これまでは間髪入れず返答していた部下たちがなにも言わない……のではなく、言えないのだろう。
ゲルの外からは右往左往する複数の足音が響いている。
「急げ!」
「無理です!」
「無理じゃない! マケ・レレ様に恥をかかせる気か!?」
「いえ! そんなことは絶対にさせません!」
「そうだ! その通りだ! 必ずやり遂げるのだ!」
聞いてるだけで恐ろしいやりとりだった。
(なんか、地球にいたころのデスマーチみたいだな)
納入期限ギリギリの忙しない感じにそっくりだ。
(ふおっ!?)
思い出しただけで背中に汗が吹き出し、ブルッと震えた。
『おおおおおおおおっ!!!!』
外から沸き起こる魂の叫びに似た発奮にも、覚えがある。
(なんか、悪いことしたかもな)
……反省はするが、撤回はしない。
なぜなら、現金で受け取る以外の方法を、おれは選べないのだ。
冒険者ギルドへの振り込みといわれたところで、そこがどこなのかもわからない。
だれがどのように運営していて、どれほど信用できるのかも未知数すぎる。
(国の関与の有無がわかんねえのもあるけど……そもそも論として、ギルドに登録してないおれに振り込めるわけがねえんだよな)
口座を開設してもいいが、まずはそれが可能かどうかを調べなくてはならない。
(行ってダメでしたじゃ、話になんねえしな)
最悪、手続きに赴いている隙に持ち逃げされる可能性だってある。
「少しよろしいでしょうか?」
任務を外されたはずの男が入ってきた。
「本来なら私が来るべきではないのですが、現状、手の空いてる者は私しかおりませんので、ご了承ください」
「いいだろう。で、何用だ?」
「マケ・レレ様とお客様双方にお願いがございます。一万パルクは必ずご用意いたしますが、一時間ほど猶予をください」
深々と頭を下げ、真摯に頼み込む姿に偽りは感じない。
「どうされますかな?」
「かまわないよ」
「成生様が了承してくださるのなら、わてに異論はない。けど、可能な限り急げ! いいな!」
「はっ! ありがとうございます!」
折り畳み式の携帯電話ぐらい頭を下げ、男はゲルを出て行った。
「我儘を聞いていただき、感謝しかありませんな。駄目なら部下の尻を叩かなければならないところでしたぞ」
「気にしないでいいよ」
この世界での一万パルクは、日本でいうところの一億以上かもしれない。
それを即金で即時に用意しろと言うほうが、無茶である。
…………
一時間後。
「ご用意できました」
マケ・レレの部下は有言実行した。
(まあ……積み上げられた金が、一万あるのかは謎だけどな)
失敗したかもしれない。
これを確認するのは、ものすごく手間だ。
けど、やるしかなかった。
「悪いけど手伝ってくれ。硬貨を数えて、これに仕舞ってくれ」
おれはカナに空になった布袋を渡した。
「わかった」
早速数え始めたカナを横目に、おれももう一つあるズタ袋に硬貨を入れていく。
待っている間に解体されたミノタウロスの牙二本と、もともと入っていた水と干し肉と書類を出せば、同じぐらい入るだろう。
結果、両方の袋に五〇〇〇パルクずつ詰め込まれた。
パンパンに張りつめた様子は、サンドバックのようだ。
「んじゃ、帰るか」
一〇〇〇パルク増えただけで、重さがまるっきり違った。
持ち上げるだけなら可能かもしれないが、カナが持ち歩くのは不可能だ。
「これ持ってくれ」
ミノタウロスの牙などの荷物を渡し、袋は両方ともおれが持つことにした。
「いい取引をありがとうございました。またお会いできることを、切に望んでおりますぞ」
「こっちは望まねえよ」
「はっはっは。それは残念ですな。では、お別れの挨拶として、一言だけ進言させていただきますぞ。一刻も早い帰宅を推奨します」
嫌な言い回しだ。
おれとカナは足早にグルドに戻ることにした。