212話 勇者は支払いを終える
「これは何ですかな?」
「四〇〇〇パルク支払う用意がある、っていう意思表示だよ」
「失礼ですが、防犯という言葉はご存じですかな?」
「もちろん知ってるよ」
「では、そのような袋で大金を持ち運ぶ危険性は?」
「言わずもがなだろ」
渋面を浮かべる様子からして、マケ・レレはおれの所持金は理解しているが、その保管方法は知らないのかもしれない。
「……にわかには信じがたい話ですが、常日頃からそうしているなら……」
独り言が丸聞こえだ。
そのくらい、ありえないことなのだろう。
「安心しろよ。四〇〇〇パルク以上入ってるよ」
ズタ袋の口を開くと、マケ・レレも細い目を見開いた。
「……確認させていただいてもよろしいですかな?」
「好きにしろよ」
「ありがとうございます。おい、この中に四〇〇〇パルク入っているか確認しろ」
『はっ』
テントに入ってきた二人の屈強な男がズタ袋を持って出て行こうとしたので、腕を掴んで止めた。
「確認はここでやれ。それと、カナたちが結んだ契約書を持ってこい」
「貴様が命令するな!」
「馬鹿者。お客はんを叱責するとは何事だ!」
「失礼しました」
マケ・レレの注意を受け頭を下げたが、男はおれをにらんでいる。
(ぶっとばしても許されるよな)
売られているケンカを買うだけだから、問題ないはずだ。
男にもその気があるのは、間違いない。
「アカンぞ」
マケ・レレはおれではなく、男のほうを静止した。
「まったく……お前の短所は短気なところだと、何度教えれば理解するんだ? わてら客商売は愛想が大事、いつもそう言ってるだろ」
「申し訳ございません」
「今度はきちんと肝に銘じるんだぞ」
「はっ!」
「わかったなら、お前は担当から外れろ」
一礼し、無言で男は退出した。
不服そうだったが、それを表に出すことはしない。
というか、出すことは許されないのだろう。
出したが最後、なんらかの処分が下されるのは間違いない。
(最悪、殺されるかもな)
そう思わせる雰囲気が、マケ・レレからは滲み出ていた。
「ご無礼しました。とはいえ、契約書を持ってこい、と言われても困りますぞ。なにせ、わてがカナはんと結んだのは、口頭ですからな」
話す相手によって口調が変わるのに、意味はあるのだろうか?
訊いてみたいが、本筋を進めるほうが先だ。
「そんなわけねえだろ」
「本当にございませんぞ」
「マジかよ!?」
カナがうなずいているので、間違いなさそうだ。
信じられないが、現代日本においてもままあるぐらい話だから、ウソではないだろう。
「なら、証明書を作成してくれ。今回の金銭の支払いをもって、おたくらとの関係を正式に解除する証明書を」
「本当に……よろしいのですかな?」
その問いは、おれではなくカナにむけられている。
貧しいながらも最低限の暮らしが維持できていたのは、マケ・レレがいたからに違いない。
だからこそ、その庇護から抜けるには相応の覚悟がいる。
「これまでありがとうございました。これからは真っ当に生きていこうと思います。ですから、証明書の作成をお願いします」
カナにはその覚悟があるようだ。
「わかりました。おい、紙とペンを持ってこい」
「はっ」
ズタ袋を下ろし、残っていた男が走って出ていった。
(だいぶ嫌われたみたいだな)
姿が見えなくなる直前まで、にらまれていた。
(まあ、おれの態度が気に入らねえんだろうな)
上司に対して高圧的に接したのは認めるが、こういった交渉の場で弱気はよろしくない。
互いの立場は対等なのだと主張しなければ、いつまでも足元を見られる。
「お待たせしました」
戻ってきた瞬間から、男は再度おれにガンを飛ばしてきた。
(学習能力のないバカは、殴られなきゃわかんねえんだろうな)
同じことをして、同僚が任務を降ろされたことを忘れているのだろうか。
いい加減煩わしいし、癇にも触る。
「揉め事はいかんですぞ」
紙とペンを受け取ったマケ・レレが、男をたしなめた。
けど、言葉使いからして、おれにむけられたモノだろう。
(こういったときのために、言葉使いを変えてるのか)
芸の細かさは、まさに商人のソレだ。
と同時に、男の行為は主人を守る忠犬のソレだ。
(なら、しかたねえか)
庭先の番犬がキャンキャン吠えるのは、仕事なのだ。
「こんなもんでどうですかな?」
マケ・レレが差し出した紙を受け取り、目を通した。
金銭の受け取りを以って互いの関係を解消する。
といった項目は理解できたが、問題もある。
「この、今後の関係は互いの意思を尊重する、っていう但し書きはどういった意味なんだ?」
「文言の通りですぞ。今回のことでわてとカナはんたちの関係は解消しますが、未来永劫変わりがないわけではありませんぞ。わてとしては、再度登録することもやぶさかではない、ということですな」
「こちらとしては交渉も干渉を望んでない」
「もちろん理解してますぞ。今後一切、わてらサイドから勧誘やらチョッカイを仕掛けるつもりはありません。ただ、この世界に絶対はございませんのでな」
真理だとは思う。
切羽詰まって、明日はおろか今日も生き残れないとなれば、藁にもすがるだろう。
けど、それを犯罪組織が言うのは反則だ。
「脅迫してるのか?」
マケ・レレはかぶりを振っているが、それ以外に受け取りようがなかった。
「わてが言ってるのは、ごく一般的な話ですぞ。真っ当に働くことは立派で崇高なことですが、大事な存在に不測の事態……これはわてらが何かしでかす、という意味ではございませんぞ。病気などを指しております」
ニヤニヤしながら言われても、説得力はない。
ただ、そこを追求しても無意味だろう。
というより、なにも起きていないのだから、追求のしようがない。
「治療だ入院だと大金が必要になることもございましょうぞ。その際にウチを頼っていただければ、今回のように後払い等の相談にも乗れますのでな」
「ありがたい話だけど、そんな機会が訪れないことを願うよ」
「わてもですな」
「なら、その旨をここにちゃんと書いてくれよ」
「その旨とは何ですかな?」
「勧誘やチョッカイをかけないって言ったろ」
「なるほど。それはお安い御用ですな」
おれが突き返した紙を手に取り、マケ・レレが再度ペンを走らせた。
「これでよろしいですかな?」
突き詰めればまだまだ問題は残るが、当面のリスクは避けられる文面である。
「いいよ。んじゃ、ここで四〇〇〇パルク確認してくれ」
仏頂面で男が金銭を数えていく。
「…………三九九八、三九九九、四〇〇〇。確かに頂戴しました」
「ごくろうさん。それはしかるべき場所で保管しとけ」
『はっ』
四〇〇〇パルクを抱え、男が出て行った。
「これで取引は完了ですな」
「いや、まだだ」
「おや? まだ何かありましたかな?」
「領収書をくれ。この紙一枚じゃ、金銭の支払いを証明できないからな」
現状、支払いを以ってと記載されているだけで、それが実行されたかどうかの記載はされていない。
このまま帰れば、後日再度の支払いを要求されるのは間違いない。
というより、それが目的なのだろう。
「これは気が回らず申し訳ない……これでよろしいですかな?」
きちんとした領収書ではあるが、発行者はハリス盗賊団ではなく、マケ・レレになっていた。
「偽名ってことはないよな?」
「本名ではありませんが、ご安心してください。その名はわてが人生を賭して勝ち得た名跡であり、他人が悪用するには恐れ多いモノですぞ」
静かな語り口ながら、そこにはたしかな誇りを感じた。
そして、信じるに足る重みもあった。