210話 勇者は若旦那の過去を知る
若旦那も孤児だった。
それは結構なカミングアウトだが、奥さんに驚いた様子は見られない。
きちんと互いを理解したうえで、結婚しているのだろう。
「僕も君らより少し若い時期に、路頭をさまよってた」
ここにいる子たちは十歳前後。
それより若いとなれば、生活など成り立つはずがない。
「もちろん、生きるために残飯を漁ったこともある。けど、どこでもいいわけじゃなかった。漁る店は、こだわりをもって選んでいたからね」
当然の通過儀礼のような口調で言われると、反応に困ってしまう。
胸を張っているのも、料理人としての自負、だと信じたい。
「美味しい店は狙っちゃ駄目。美味しくもマズくもない絶妙な店をチョイスすることが大事なんだ……ふふふ、路上で生活したことのない君には、わからないだろうね」
怪訝な顔をしているであろうおれを見て、なぜか若旦那が勝ち誇っている。
よくわからないマウントだが、的を射てるのも事実だ。
「美味しい店を狙わないのは、競争率が高いうえに、一度食べたらまた食べたくなっちゃうからだね」
(身につまされる言葉だよな)
ほんの少しでも、食べればいいじゃん、と考えたのが情けない。
それは口にすることはおろか、考えてもいけないことだった。
そして、それが出来るなら、路上生活など送っていない。
「君は理解力と共感力が凄く高いな」
若旦那は評価してくれているようだが、そんな大層なモノじゃない。
現代日本にも、似たような話はごまんとあるだけだ。
「僕は確かに不遇だったし、近寄る店も絞ってた。けど、僕を拾ってくれたシェフは、その近づかない店の主人だったんだ」
若旦那が目を瞑った。
まぶたの裏には、件のシェフが浮かんでいるのだろう。
「その店はいつも美味しそうな匂いがしていて、前を通ることはもちろん、通りに近づくことすらしたくなかった。だって、匂いを嗅いだだけでどうしたって食べたくなるのに、どうしたって食べられない現実しか味わえないからね」
辛かった思い出を語っているはずだが、若旦那は笑顔だ。
「不幸な日常を呪いながらひったくりに明け暮れる日々は最低だったけど、幸か不幸か僕は器用だった。だから、一度も捕まったことがなかった。けど、その日は急に訪れたんだ」
まぶたを開いた若旦那と目が合った瞬間、少女がドキッとした表情を浮かべた。
もしかしたら、この子もそうだったのかもしれない。
「一目で裕福だとわかる男の財布を狙った際、護衛に捕まったんだ。けど、警備隊に突き出されることはなかった」
少女が小さく安堵の息を吐いた。
「でも、それは君たちのように運が良かったからじゃない。僕がそうされなかったのは、金持ちの目に映っていなかったからだ」
「主様。この餓鬼をどうされますか?」
「捨ておけ。屑は放っておけばのたれ死ぬ。いちいち手を煩わせる意味がない」
「あの日吐き捨てられた言葉は、今も忘れられない。悔しかったのもそうだけど、絶対にこの金持ちに一泡吹かせてやる! って強く誓ったからね……ははは、今思うと、本当に馬鹿な考えだ」
当時の自分が情けないのか、声も落ち込んでいる。
「金持ちの後をつけながら、僕は考えていたんだ。今のは運が悪かったから捕まっただけだ、ってね。だから、次は成功すると信じていた。でも、いざ再チャレンジしようとしても、ターゲットに近づくことすらできなかった」
護衛が優秀だったらしい。
「彼らがレストランから出てきたところを狙おうとしたけど、空腹と中から聞こえる談笑に打ち負かされ、再アタックなんて感情は露と消えたね。文字通り負け犬となった僕は、尻尾を巻いて逃げた。けど、その時たまたま、店の残飯が入ったゴミ箱を見つけたんだ」
暗かった声が、最後のほうは宝物を発見したかのように弾んでいた。
「てめえ馬鹿野郎! 捨てたもん喰ってんじゃねえ!」
ゴミ箱を漁る当時の若旦那にそう怒鳴ったのは、恩人である店のオーナーシェフだった。
「小汚ねえ恰好しやがって! ちょっと来い!」
ゲンコツを叩き落された後に首根っこ掴まれ、若旦那は店の中に連れていかれた。
今度こそ、警備隊に突き出されると観念したらしい。
けど、そうはならなかった。
「おら! 食え!」
端っこの席に座らされ、食事を提供された。
「後にも先にもあんな美味しいモノを食べたことはないし、今でも鮮明に思い出せるね」
幸せそうな表情がウソではないからこそ、彼は料理人をしているのだろう。
「けど、店内にいたお客さんはカンカンでね。この汚いガキをさっさとつまみ出せ! って怒鳴り散らしてた。もちろん、僕が狙った金持ちも一緒だ」
普通なら収拾がつかない状況だが、
「うるせえ! 馬鹿野郎! 嫌なら出ていけ! 金なんか要らねえよ!」
店主が怒鳴り返すとすぐに鎮静化された。
けど、売り上げも消えてしまった。
「ごめんなさい」
閑散とした店内で頭を下げる若旦那に、
「どんな奴でも腹は減る。そいつらに美味い飯を食わせてやるだけで、こんな偉そうになれんだぞ」
店主は豪快に笑いながらそう言ったそうだ。
追い出した金持ちの中には貴族もいて、本来なら死刑にあっても文句が言えない行為だったらしい。
けど、そのシェフがいなくなると国賓クラスの接待をする場が減ってしまうらしく、それはできなかったのだとか。
「わかるか? 技術は身を助くだけでなく、他人も救えんだ。お前もこうなりたいなら、あそこにあるイモの皮を剥け!」
当時の若旦那は喜んで皮を剥いた。
「てめえ! 馬鹿野郎! もっと薄く剥け!」
「てめえ! 馬鹿野郎! 血抜きはちゃんとしろ!」
「てめえ! 馬鹿野郎! 何度教えれば出汁が取れるようになんだ!」
怒鳴られたり殴られたりする日々が続いたが、見放されることはなく、できるまで延々とやらされたそうだ。
パワハラと言われるかもしれないが、おれにはそれがどれだけありがたいことなのか想像できる。
失敗することが許されない環境ほど苦しいモノはないし、未熟者ならより苦しい。
最悪、プレッシャーに押し潰されて自ら人生に幕を下ろす者だっている。
そんな場所に監視やフォローをしてくれる存在がいてくれるのは、とてもありがたいことなのだ。
そんな存在が隣りにいたからこそ、若旦那は料理人の道を選んだのだと思う。
「あ~、俺はもう駄目だ。後はお前らの好きにしろ」
料理を習い始めた数年後、若旦那の師匠はそう言い残して病で亡くなった。
店の後をだれが継ぐかで少し揉めたが、若旦那は早々に去る決断を下したそうだ。
「あの店に憎しみは似合わないからね」
少し寂しそうだが、それも本心だろう。
「いつか師匠のようになりたいと思っていたのに……この店と彼女を守るのに必死で、忘れてたな」
回顧と同時に、後悔の念を感じる。
「人生の大事を忘れるような僕だけど、一緒に働いてみないかい?」
「嬉しいけど……いいの?」
「ああ。さっきも言ったどけ、僕は師匠のような人間になりたいんだ。でも、二つだけ条件がある。一つは、裏稼業から足を洗うこと」
更生させるために雇うのだから、それは当然だ。
それを理解しているからこそ、少女もうなずいている。
「もう一つは、ミノタウロスを彼に引き取ってもらうこと」
これは意外だった。
けど、少し考えるだけで理解できた。
(ある種、爆弾だもんな)
ミノタウロスは裏の組織と繋がっているのだから、台所にあるだけでいつ襲われても不思議ではない。
今回はたまたま無事だったが、次もそうだとはかぎらない。
(っていうか、まず間違いなく殺されるだろうな)
店の前で対峙した連中は、他人の命を奪うことを躊躇する連中ではない。
「でも……アレがないと働けない子たちが」
「一〇〇〇パルクと僕が支払う給料があれば、数年は大丈夫じゃないかな」
「登録料の支払いが残ってる」
「登録料?」
おれと若夫婦は揃って首をかしげた。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
少し遅いですが、新年のご挨拶をさせていただきます。