2話 勇者誕生
一仕事終えたおれは、真っ白で広大な世界に戻ってきた。
なにもない世界だが、豪華な椅子が一脚だけ据えられている。
「おかふぇりなふぁい」
そこに座っている女神が、おれを出迎えた。
「ごくろふさはでひた」
労っているのだろうが、一本串に刺したイカ焼きを口いっぱいに頬張りながら言われても、よく伝わらない。
顔は……女神の肩書に恥じることなく、気品と美を兼ね備えている。
オーバーサイズの神官着に袖を通しているため、はっきりとしたスタイルはわからないが……悪くないことはたしかだ。
キューティクルばっちりで、艶やかに輝く髪には天使の輪も出来ている。
厚すぎず薄すぎず絶妙に色っぽい唇ではあるが、イカ焼きに付いたしょう油が垂れているのはマイナスだ。
しかし、外見上で難をつけるとしたらそこだけだ。
女神、という大層な肩書に引けを取らない容姿を兼ね備えている。
「あ、いけまへん。忘れてひまひた」
皿がなくイカ焼きを手放せない女神が、鮭をくわえる木彫りの熊よろしく、イカ焼きを横にくわえた。
「へぇい」
掛け声一発。
無造作に床に放置された天使の輪を、女神が真上に蹴り上げた。
くるくると回転しながら、天使の輪は女神の頭上でピタッと止まった。
見事なものだ。
ただ、疑問もある。
宙に浮いていることも不思議だが、蹴るならイカ焼きは手に持ったままでもよかったのではなかろうか、と切に思う。
「エンターテイメントを解さない者には、説明しても無駄です」
ドヤ顔をしている女神に訊いたら、にべもなくそう返された。
(ぶっとばしてえぇ!)
はっきりとした殺意とともに拳を握ったが、これを叩きつけることはできない。
相手が女神だから、などという理由ではない。
殺ろうと思えば殺れる……が、それをした瞬間、おれの未来は絶たれてしまう。
比喩や妄想ではなく、物理的に死ぬのだ。
(なんでこんなことになったんだろう?)
つい最近までフリーのIT屋だったのに……気づけば勇者になっていた。
(おれの運命は、いつ狂ったんだよ)
答えは考えるまでもない。
(まあ、あのときだよな)
あの日、仕事で飛行機に乗ったのが運の尽きだった。
運命の日。
地球に生まれ、日本で育ったおれこと清宮成生は、バリバリのIT屋として働いていた。
もともと電子機器が好きだったこともあり、高校や大学に通いながらバイトで秋葉原のパソコンショップで働き、修理やメンテナンスといった機械部品の基礎知識を学んだ。
それと同時にゲーム会社のプログラミングやデバックのバイトを掛け持ち、機械の中のことも学んだ。
大学卒業後はIT系に強い派遣会社に登録し、数多の企業に赴き人脈を作った。
現場のたたき上げをバカにされ辛酸をなめることも多かったが、学んだスキルは裏切らず、いつしかおれは結構な高給取りになっていた。
現場主義である性格も評価され、仕事の依頼も増える一方だったので、おれは派遣登録を辞め、フリーランスの道を選択した。
フリーランスに転身後も順調に仕事をこなし、いつしかおれは小金持ちになっていた。
(都心の駅前にマンションを一棟買いして、不労所得を盾に仕事を選んで、悠々自適に生きていくのもアリだな)
なんて思った三八歳。
…………現実は甘くなかった。
フリーランスという立場では、おれの望むローンが組めなかったのだ。
貯蓄を振り絞ればイケたかもしれないが、先々のことを考えれば不安だし、博打を打つつもりもなかった。
(しかたない。頭金を増やすため、もう少し懸命に働くか)
気持ちを切り替えた矢先、パソコンに一通のメールが届く。
送り主は海外に本社を持つセキュリティーソフト会社の日本法人。
内容を確認すると、新製品の開発に協力してほしいという依頼だった。
苛烈な業務が予想されヤダな、と思ったが、メールの送信者は昔世話になった恩人である。
転職したらしい。
となれば、無下には出来ない。
義理を欠くことは、フリーランスがしてはいけないことの一つである。
かくしておれは恩人に会い、断れないまま、なぜか海外の本社で働くことになった。
その国の母国語は英語ではなかったが、多国籍企業であるため、英語が通じた。
ベリーナイスなコミュニケーションとはいかないが、仕事に支障をきたさないぐらいの英会話はこなせたので、私生活を含め問題はない。
一本のソフト開発の契約としては驚くべき額の報酬であると同時に、基本給も高かった。
住処もアパートを格安で提供してもらい、食事も用意されていた。
入ったことはないが、学生寮のような感じだと思う。
「オイ成生。会社とアパートの往復しかしてないんじゃないか?」
「ああ。まるで幸せな囚人のような生活だよ」
『ハッハッハッハッハ』
それが日常会話だった。
「成生サン。会社とアパートの往復しかしてないんじゃないですか?」
「ああ。まるで幸せな囚人のような生活だよ」
『ハッハッハッハッハ』
相手が変わろうとも、この流れは鉄板だ。
不毛な会話だと思われるかもしれないが、実はこれが大事だったりする。
最後の笑いかたで、相手のメンタルが計れるのだ。
楽しそうにしていれば問題なし。
そこから愛想笑いの度合いが強くなるごとに要注意で、遠くを見始めたらアウトだ。
人手が少なくなれば業務は苛烈の一途を辿るだけだが、精神を病んで自ら死を選びそうな人間を放っておくこともできない。
「ここにいたらキミは不幸になる。逃げなさい」
そう言って送り出した同僚も、数多くいた。
そんな多少のゴタツキはありながらも、一年以上に渡る業務が永遠と続く死のロードだったことを除けば、概ね良好だった。
「オッケー! マスターアップ!」
普段会社の重役室から出てこない肌艶のいいオッサンの宣言を聞いたときは、チーム全員と喜びを分かち合ったものである。
「ゴクロウサマデシタ」
カタコトの日本語で労われたが、おれは肌艶のいい上司を無視した。
このときのおれは、死んだ魚のような眼をしていたと思う。
「マタヨロシクネ」
「やなこったい!」
早々に荷物をまとめ、おれは帰国の途に就いた。
「帰ってなに食うかな?」
寿司、蕎麦、牛丼もいいが、やきとりをツマミに日本酒で一杯、というのも捨てがたい。
「あ~、早く着かねえかな」
願いむなしく、搭乗した飛行機は墜落した。
次の瞬間、おれの目の前には女性がいた。
「あなたは死にました」
いきなりの宣告に眉根を寄せたが、おれもバカではない。
飛行機が墜落したのは理解しているし、見渡すかぎりの真っ白な世界に飛ばされれば、大体のことは想像がつく。
目の前の女性が言う通り、おれは死んだのだろう。
百歩譲ってそこは認めよう。
しかし、その物言いは許容できなかった。
もう少し、デリカシーがあってもいいはずだ。
「ですが、運はいいようですね」
この一言に、おれはキレた。
世界一安全な乗り物といわれている飛行機が落ちたのだ。
それを幸運と表現していいはずがない。
(許せん! 泣くまでイジめてやる)
「あなたは両親に感謝すべきですよ。清宮成生さん」
名乗ってない名を当てられ、おれは動揺した。
「あなたは飛行機事故に巻き込まれ、砕けた肉体と一緒に、そこに収めた魂まで砕けてしまったのです。これは大変珍しいことなのですが、あなたの名前である清宮成生が、あなたをここまで運んできたのです。名は体を表す、とはよく言ったものですね」
(なに言ってんだ? こいつ)
さっぱり意味が解らない。
沸き上がった混乱が、胸を占めていた怒りを上回っている。
「あなたの困惑は理解できます。ですから、説明致しましょう」
「ありがたい」
女性に対する評価を、少しだけ改めようと思った。
ゴホンッと咳払いをし、女性が語り始める。
「まず初めに、わたしは女神です。名はサラフィネと申します。愛称であるサラと呼んでもらっても構いませんが、わたしはあなたにそこまでの親しみを覚えていません」
友好的……ではないのだろう。
初対面の相手を信用していないのはおれも同じだから、なんの問題もない。
「管轄は色々です。色々だからこそ、この案件の担当にされました。忌々しい」
(おや? 語尾に女神にそぐわない言葉が聞こえた気がするな)
空耳だろうか。
「普通は肉体が活動を終えた場合、中に収められた魂は天に召され、浄化された後に転生します。ですが、あなたは肉体と一緒に魂まで壊れてしまいました。これは先ほども申し上げましたが、大変稀有なことです。数万年もしくは数億年に一度あるかないかぐらいの確率です。ガッデム!」
(おや? また語尾に変な一言が……もしかしてこいつ、確信犯か!?)
「さらに、その砕けた魂の一部が女神のいる場所まで勝手に来ることなど、人類史始まって以来の出来事です。ちっ!」
舌打ちと同時に、ペッとツバを吐き捨てた。
「失礼。はしたないことをしました」
サラフィネが手を払うと、吐き捨てたツバが綺麗に消えた。
(マジで女神なんだな)
褒められた行為ではないが、神力を目の当たりに出来たのはよいことだ。
(うん。痰が絡むこともあるよな)
好意的に解釈しなければ、自分を制御できない。
「話を戻しますが、そんな人類史始まって以来のことが起こった原因が、あなたの名前だと考えられます。
清宮成生。
つまり、この清閑な神宮で、魂を生成する存在であると認められたわけです。ファ●クユー!」
聞き間違いかもしれないが、中指を立てているのだから、解釈は間違ってはいない。
目の前の女神は、おれに喧嘩を売っているのだ。
「てめえっ! さっきからふざけんのも大概にしろよ! その綺麗な顔面、グチャグチャにすんぞコラッ!」
「あなたの怒りはごもっともです。ですが、わたしのそれは、あなたのそれをはるかに上回っているのです」
メンチを切るサラフィネには圧倒的な迫力があり、おれの気勢は削がれてしまった。
「ですが、それを互いにぶつけたところで、なんの解決にもなりません。不毛な傷が増えるだけです」
さすがは女神。
立派な言葉である。
しかし、シャドーボクシングを始めた意味がわからない。
「シュッ、シュッシュ」
声を出し、ウォーミングアップに熱が入る。
「一発ぐらい、いいですよね?」
「いいわけねえだろ!」
お菓子をねだる子供のような無邪気さで訊かれたが、入念な左フックを確認しているサラフィネに応えることはできない。
「そうですか。なら仕方がありません。話を続けましょう」
サラフィネが豪奢な椅子に座り直し、小さく息を吐きながらうつむいた。
一拍の間を置き……
「突然ですが、勇者になりませんか?」
そう提案された。
顔を上げたサラフィネは笑顔だ。
「おれが?」
「もちろんです。清宮成生さん」
満面の笑みを浮かべる表情は、見惚れるほど美しい。
けど、怖かった。
笑顔の仮面を張り付けたように見えたから。
「魔王を倒せ。世界を救え。などと無理を言うつもりはありません。あなたはあなたを救う勇者になるのです」
抑揚のない声。
おれはこれを知っている。
派遣会社や派遣先の会社が、業務以外のことをやらせようとしているときと同じだ。
契約違反ならまだマシだが、中には法律違反スレスレ、もしくはアウトな事案もあった。
無知な人間に危ない橋を渡らせ、利益を得る。
仮に捕まったとしても、契約外のことを無知な人間が『勝手』にやっただけ、という逃げ道も用意している。
「報酬は生まれ変わった後の豊かな人生でどうですか? 本来なら転生先は選べないのですが、特例で選ぶことを認めましょう」
それは破格の好条件なのかもしれないが、上手い話には裏があるのもお約束だ。
(これは乗っちゃいけない船だな)
訝しむおれを見て、サラフィネの表情が変わった。
「安心しました。こんな胡散臭い話に飛びつくようなら、任務の成功は難しいでしょうからね。あなたが聡明であってよかったです」
ニッコリ笑う姿は可愛らしい。
たぶん、これがサラフィネの本当の笑顔なのだろう。
「試すようなことをして申し訳ありません。ですが、これは必要なことだったのです」
頭を下げながら、サラフィネは言葉を続ける。
「一番初めに言いましたが、あなたは飛行機事故で死んだ際に、肉体と一緒に魂が砕け散りました。もう一度生まれ変わるには、魂の修復が必須です。しかし、あなたの魂の一部は異世界に移動してしまいました。そうなると、神界に住むわたしには手を出すことができません。これは神界のルールであり、破ることは適いません。ですから、別の誰かに回収を頼まなければならないのです」
言葉には悔しさが滲んでいる。
下唇を噛む姿からも、それがうかがえた。
そして、女神がなにを言いたいのかも。
「それを頼むのが……おれ……ということか」
サラフィネが小さくうなずいた。
「舌の根も乾かぬうちに前言を撤回することになりますが、魂の回収は……別の誰か……ではなく……清宮成生……でなければなりません」
歯切れが悪い。
「理由があるんだよな?」
「他人が回収した場合、あなたの魂は穢れてしまいます。そうなると、あなたが現世で行ってきた善行と悪行が正確に判断できなくなり、どこにも転生させられなくなってしまいます」
サラフィネの言葉から色が消えた。
いままで必ず存在していた、喜怒哀楽が無くなったのだ。
「行くところのないあなたは、神界に留まることしかできません。しかし、神でないあなたには、神界の空気や水は毒です」
言葉に重さがない。
ただ淡々と事実だけを口にしているようだ。
「もちろん、すぐにどうこうということはありません。ですが、その肉体は徐々に弱り、最終的には消滅してしまいます。そうなれば、あなたに待っているのは永遠の虚無です。なにもない世界で、一人たゆたうのです」
重い。
感情が揺さぶられない現実が、これほど重く苦しいとは知らなかった。
「ですが、わたしはそれを認めません!」
力強いサラフィネの言葉が、おれの押し潰されそうだった心を支える。
「そしてそれは、あなた自身の想いでもあります!」
サラフィネが懐から一枚の紙を取り出し、眼前に掲げた。
『契約書
散らばった魂は自分で集める
清宮成生』
力強い文字でそう記されていた。
「あなたの前にわたしのところに来た、あなたの魂が記したものです」
間違いない。
見覚えのあるクセ字は、おれのものだ。
おれの一部が、おれの背中を押している。
胸が熱くなっていく。
「サインがされているなら異論はない。その仕事、請けた!」
会社に縛られることはないが、契約は順守する。
「それがフリーランスだ!」