196話 勇者は逃げる女を確保した
「これに穿き替えてください」
渡されたのは、店員用のズボンだ。
(んん!?)
違和感を覚えた。
デザインや使用済みか否かではない。
うまく言葉にできないが、これを身につけてはいけない気がする。
(べつに変なところはねえよな?)
広げて観察しても、おかしなところは見当たらない。
「どうされたのですか?」
スーツ男が怪訝な表情を浮かべている。
「いや……」
「新品ではございませんが、洗濯は済んでおりますので」
グイグイくる。
その姿勢も、なんかイヤだ。
(う~ん)
うまく言葉にできないが、もはやズボンを穿いたら負け、ぐらいの気持ちまである。
「ヤケドをされては大変ですからねっ。さあ、穿き替えましょう。でないと、洗濯や交換もできませんから。ねっ」
必死さがプラスされ、ますますイヤだ。
濡れた当初は熱かったが、引っ張って肌から離した効果もあり、いまは熱さも感じないし、ヒリヒリするような感覚もない。
放っておいても、ヤケドの心配はないだろう。
(問題があるとすれば、服が肌に付いて気持ち悪い、ぐらいなんだよな)
けど、それも自然乾燥されるだろうし、待てないなら魔法で乾かせばいい。
冷静になればなんてことない事案であり、店のバックヤードで穿きたくもないズボンを穿く必要など、微塵もなかった。
「これ、お返しします」
「えっ!?」
「ヤケドもしてませんし、熱さも落ち着いたので平気です」
「そんなことはありません! とにかく穿き替えてください! 一刻も早く! さあ!」
真っ向から否定されるだけでなく、逆ギレを思わせる剣幕だ。
(もうダメだな)
心が離岸流のごとく離れていく。
すでにおれと男がわかり合うことは一生無い、と断言できるほど乖離している。
(……ってか、なんでこいつはこんなに着替えさせたいんだ? ……まさか!?)
男の着替えを観るのが、趣味なのだろうか。
それに文句や異議を唱えるつもりはないが、巻き込まれるのは勘弁だ。
「とにかく大丈夫なんで、気にしないでください」
「じゃあ、死んでください」
ズボンを突き返し戻ろうとした背後から、恐ろしい宣告が成された。
振り返る間もなく、後頭部に衝撃が走る。
容赦ない一撃だった。
くらったのがおれじゃなかったら、宣告通り死んでいたかもしれない。
「ッテェな! バカやろう」
振り返った先にはお茶をこぼした女店員がおり、その手にはトンファーのようなモノが握られていた。
「嘘でしょ!? なんで平気なのよ」
「平気じゃねえよ。ちゃんとイテェよ」
後頭部がズキズキしている。
「痛いとか痛くないのレベルじゃないわよ。こっちは死ぬか気を失うかの話をしてるのよ」
とんでもないことをしれっと言うあたり、ずいぶん手馴れているようだ。
他人を殴打する躊躇の無さからしても、自分の利益以外は紙切れ同然なのだろう。
「で? お前ら何者なんだよ?」
「言うわけないでしょ」
男と女がべつの方向に逃げ出した。
勝てないと判断し即離脱するのも、後ろ暗い人間である証拠だ。
(どっちを捕まえるべきか?)
セクハラや暴行といった誤解を生まないのは、男のほうだ。
けど、おれは女を追うことにした。
(たぶんだけど、あっちのほうが立場が上な気がすんだよな)
身のこなしや大胆さは、男を凌駕している。
現にいまも、もたもたしている男とは違い、女は躊躇なくガラスを突き破って外に飛び出していった。
「ええっと……」
新しく買ったズタ袋は席に置いてきたが、金の入った布袋は腰に下げたままだ。
「おっ、あった」
中から魔法の縄を取り出し、男にむかって放り投げた。
「ぐあっ」
蛇のように動き、即座に男を拘束した。
「捕まえるのはそいつだけでいいからな」
命令できるかどうかは不明だが、一応そう告げる。
一瞬だけ、ピカッと光ったような気がするから、大丈夫だろう。
ダメだったとしても、帰ってきたときに対処すればいい。
「あらよっと」
割れた窓から飛び出し、女を追う。
まだかろうじて、その背中を捉えることが出来た。
おれが追ってきたことに気づき、女が角を曲がる。
(マズイな)
見失ったら終わりだ。
顔は覚えているが、化粧や服装を変えることで、どうとでも化けられる。
「逃がすかよ」
スピードを上げ、おれも角を曲がった。
「ラッキー!」
この町の通路は直線が多いようだ。
しかも、建物と建物の間が狭く密集しており、通り抜けも容易ではない。
純粋なスピード勝負なら、おれが負けることはない。
差が詰まることはあれど、開くことがないのがその証拠だ。
「ちっ」
「あっ、お前!? まきびし撒くんじゃねえよ」
「うっさい! やめてほしけりゃ、追ってくんじゃないよ」
なんて性格の悪い女だろうか。
「ったく、どいつもこいつも」
リリィといい目の前の女といい、どうしてこう性悪女と縁があるのだろうか?
「マジで勘弁してくれよ」
逃げる女は魔法を撃とうとしている。
それも、まあまあ強力なヤツだ。
魔素の集束からして、間違いない。
(さすがに、アレを撃たすわけにはいかねえよな)
一気に距離を詰め、女を小脇に抱えて飛び上がった。
「ファイヤああああああ」
腕を取り、空にむけた。
放たれたファイヤーボールが空を走る。
(放置はダメだよな)
だれかに当たったら大変だ。
「アイスショット」
これで相殺だ。
「嘘でしょ!?」
下級魔法で対処されたことが信じられないのか、女はそう呆然とつぶやき、観念した。