19話 勇者と女神の労使交渉
手足が透けていく。
「おお!! マジか!?」
驚くのも束の間。
「おかえりなさい」
おれはサラフィネの前に戻っていた。
「……ただいま」
猛烈に無視したかったが、人としての礼儀をおもんばかり、しぶしぶ挨拶を返した。
「ご無事でなによりです。さあ、その箱をこちらにください」
労われてはいるが、釈然としない。
豪奢な椅子に腰を掛けたまま手を伸ばすのではなく、せめて立ち上がるべきだ。
「話し合いを要求する」
「いいでしょう。ですが、箱はこちらにください」
近づいてくるサラフィネに対し、おれは無言で宝箱を背中に隠した。
「どういうつもりですか?」
「信用できん!」
眉根を寄せるサラフィネに、はっきりと言ってやった。
「なるほど。具体的には、どういったところでしょう?」
こたえた様子はなさそうだ。
けど、反省はしているのかもしれない。
改善のためにも、ここはしっかり話し合うべきだ。
「異世界でツライ目にあった」
「冒険に危険は付き物です。ましてや、それが勇者としての冒険ですからね。苛烈なのもうなずけます」
「それは一理ある。しかし、いきなりラスボスと戦うのは反則だ」
「冒険にルールはありません。あるとすれば、勇者として目的を達成できたかどうか。それだけです」
たしかに、その通りかもしれない。
しかし、腑に落ちないのも事実だ。
「勇者として振る舞えというなら、それ相応の準備が必要だ」
「ご安心ください。その点において、あなたは立派に勇者の務めを果たしました。お見事です」
拍手をされた。
悪い気はしないが、これで誤魔化されるほどガキでもない。
「女神サラフィネよ。今回の冒険に際し、あなたはいささか準備を怠ったのではないか? いまある結果は偶然でしかなく、必然ではなかったはずだ」
ドラマの弁護士を思い浮かべ、凛々しい声で追及した。
「おっしゃる通りです。あなたがもたらした結果は偶然です。一つ歯車が狂っただけで、結果は違ったでしょう」
言質は取れた。
「謝罪を要求する!」
攻勢に出たおれに、サラフィネが慈悲深い笑みを浮かべた。
「謝れば気が済むのですか? そうであるなら、従いましょう。ですが、入念に準備をしたからといって、未来が描いた通りになるわけでもありません。もしそうなら、清宮成生さん。あなたは、ここにいてはいけないのです」
見事なカウンターが飛んできた。
「違いますか?」
…………
「ち・が・い・ま・す・か?」
二の句が継げないおれに、サラフィネが追い打ちをかけてくる。
優勢を確信しているのだろう。
その顔には慈悲深い笑みではなく、勝利を確信した強者の笑みが張り付いている。
…………
悔しいが、サラフィネが正解なのだ。
万全の準備をして乗った飛行機が落ち、魂が砕けた。
おれがサラフィネと出会っていること自体、すでにイレギュラーの連続だ。
忘れていたわけじゃない……いや、正直に言おう。
忘れてた。
完璧に。
認めるのは嫌だけど、過失は過失だ。
「ひがひまへん」
おれは可能なかぎり口を開かず、違いませんと認めた。
「ああん!?」
耳に手を当て、サラフィネがチンピラみたいにすごんできた。
(おっかねえ)
漏らさなかった自分を褒めてやりたい。
「ごめんなさい」
頭を下げ、白旗をあげた。
「いいでしょう。謝罪を受け入れます。これでこの話は終わりです。さあ、その箱を渡してください」
「断る!」
「なぜですか? 話し合いなら済んだでしょう」
呆れたようにかぶりを振るサラフィネを真正面から見据え、おれは拳を突き上げながら叫んだ。
「待遇の改善を要求する!」
入ったことはないが、気分は労働組合の徒だ。
「具体的にお願いします」
冷静に受け止め先を促す姿は、労組と対峙した企業の重役もしくは、顧問弁護士を連想させる。
実際に対峙したことはないが、緊張感が半端ない。
ごくっと唾を呑み込み、おれは口を開いた。
「現地人とのコミュニケーションの許可を要求する!」
要求は端的に。
でないと、含みを持った回答をされてしまう。
「いいでしょう。好きなだけ喋ってください」
「えっ!? いいの?」
「なにを驚いているのですか?」
決まっている。
要求が通ったことに、驚いているのだ。
「だって、「はい」か「いいえ」しか喋っちゃダメって言ったじゃん」
「ええ、言いましたね。ですがそれには、理由があるのです」
「具体的に頼む」
言えた。
勘違いだとは理解しているが、サラフィネと立場が入れ替わったような気分だ。
「勇者であろうとも、あなたは冒険の素人です。出来ること、やれることが多ければ多いほど、目的の遂行に時間を有す可能性がありました。ましてや、あなたは大魔王をほぼ無傷で葬れるほどに強いのです。その気になれば、先ほどの世界を征服することも可能だったでしょう」
冷静に指摘され、おれは納得するより、怖かった。
自分の得た実力の大きさに、身震いが止まらない。
「口にする必要はないかもしれませんが、誤解のないように伝えます。わたしはその可能性はないと信じていましたし、今もその思いに揺らぎはありません」
理由はない。
理由はないけど、その言葉に嘘はない……気がする。
「ですが、生きている以上、魔が差すということもあるものです」
サラフィネの表情に、少しだけ影が差した。
女神という存在である彼女にも、そういった経験があるのだろうか。
「なあ」
「ですから、制約を求めたのです」
おれの言葉は、サラフィネによって塞がれた。
「ですが、さきほどの冒険を見るかぎり、あなたなら大丈夫でしょう。多少寄り道をすることはあるかもしれませんが、本筋から大きく外れることはないと信頼できます。ですから、異世界の住人とのコミュニケーションを楽しんでください。それがあなたの癒しとなるなら、尚更です」
サラフィネが笑みを浮かべる。
その笑顔は綺麗であり、柔らかかった。
この表情が、彼女の本質なのかもしれない。
「本来いてはいけない存在うんぬんかんぬんの話があったが、それでもいいのか?」
「あれはコミュニケーションを制止するための方便です。仮にそれが駄目であるなら、大魔王を倒すなどというイレギュラーは認められません」
その通りだ。
会話と大魔王討伐では、世界に与える影響は月とすっぽんである。
「納得いただけましたか? なら、お手持ちの箱をこちらにください」
おれは素直に従った。
「ありがとうございます」
受け取る際にお礼まで言われた。
なんて気持ちがいいのだろう。
(がんばってよかったな)
「ちっ。手間取らせやがって」
悪態をつきながら、サラフィネがペッと床にツバを吐いた。
(あれ?)
なにかが変だ。
おれの前から純情そうな女神が消え、ヤのつく自由業みたいなツラをした女神が再降臨した。
「ああん!? いっちょ前に鍵なんか掛かってんじゃねえか」
宝箱を無理くり開けようとするのは、いかがなものだろう。
「おい! 鍵寄こせ」
工具を要求するベテラン職人よろしく、サラフィネがこちらを見ずに手を伸ばしてきた。
ご存じだとは思うが、そんなものはない。
元の世界に行けばあるかもしれないが、ここにはない。
「ないっす」
「ちっ。使えねえなぁ」
正直に伝えたら、そう吐き捨てられた。
なんだろう。
急速に心が冷えていく。
(これはあれだな)
モチベーションの低下、というやつだ。
離岸流のごとく心は離れ、二度と戻ってくることはない。
「などと言うつもりはありません」
(んん!?)
「勇者清宮成生さん。此度の冒険、ご苦労様でした」
サラフィネが深く頭を下げる。
潮目が変わったようだ。
というより、情緒不安定がすごい。
こうなるともう、二重人格を疑うレベルだ。
「残念ながら失われた命もありましたが、あなたのおかげで、それ以上に救われた命があります」
すべてを救うことは出来ない。
出来ないのだけれど、サラフィネはそれに心を痛めている。
そして、救えたものが多かったことを、本心で喜んでいる。
声音が、そう告げていた。
「彼らに代わり、お礼申し上げます。ありがとうございました」
居住まいを正したサラフィネが、もう一度深くお辞儀をした。
(こういうのが困るんだよな)
コロコロ変わる態度や言葉。
これでは、なにを信じればいいのかわからない。
もしかしたら、そうせざるをえない特別な事情が存在するのかもしれないが、それをうかがい知ることもできない。
「ふう」
一息吐いた。
互いに本心が理解できるほどの付き合いがあるわけじゃない。
仮にも女神なのだ。
晒せない心根もあることだろう。
(理解できないのも、当然なんだろうな)
右手で髪を掻きながら、おれはそう思った。
そして……もう少し、付き合ってみるかな、とも。
「では、対面といきましょう」
あっさりとサラフィネが宝箱を開けた。
『開くんかい!?』
おれと、宝箱から出てきた二号のツッコミが重なった。
誤字報告ありがとうございます。大変助かっております。
いいね、評価、ブックマークにも感謝しております。