163話 勇者はバトンを託す
これはまだ、地球にいたころの話だ。
その日のおれは、とある依頼を巡り、派遣会社の応接室にいた。
「やりたくない仕事は是が非でも請けない! たとえ給料が破格だとしても、嫌なものは嫌だ!」
ビジネスマンとしての言葉遣いをしなくなったおれに、居並ぶ重役たちが揃って渋面を浮かべている。
中には、一生消えないんじゃないかと思うほど、眉間に深いシワを刻んでいる者もいた。
当然、室内の雰囲気は悪い。
発端は、とあるソフトの開発だった。
給料も発注元も超一流で、拒む理由はどこにもない。
けど、おれはその話を蹴った。
理由は簡単だ。
管理が怪しい。
その一点につきる。
クライアントの要望を一〇〇パーセント取り入れた場合、システムが改ざんされる余地があり、適宜対策と対応を行う必要があることが予想できた。
だから、システム管理には専属の人間を雇ってくれ、とおれは言ったのだ。
けど、発注元はそれを拒否した。
いま居る人材で事足りるそうだ。
「なら、そいつらに作らせればいい」
「それが出来ないから、外注している」
「それを咎めるつもりはないよ。ただ、おれは犯罪の片棒を担ぐようなマネはしたくない」
室内がざわついた。
現在進行形で無罪である人間が、お前は犯罪者だ、と言われたのだから、当然の反応だろう。
けど、それが有罪に変わったとしても、なんら不思議はなかった。
それぐらい、危うい設計をしていた。
とはいえ、必ず悪用されると決まったわけじゃない。
何事もないまま運用され続け、その役目を閉じる未来もあるだろう。
(まあ、無理だろうけどな)
企業の格が上がれば上がるほど、悪者の標的になりやすい。
扱う個人情報も多く、それを人質に身代金が取れる可能性があるからだ。
そこに脆弱なソフトを放り込むということは、襲ってください、と言ってるようなものである。
管理者の認識が激甘なのだから、危険は増すばかりだ。
ただ、おれが求める対応をしたからと言って、絶対に安全、というわけでもない。
人が造り管理をする以上、危険はつき纏う。
だからこそ、おれはシステム管理の人間を雇い、その危険性を低くしてほしい、と進言しているのだ。
(なのにこいつらは、一切聞く耳をもってねえんだよな)
大丈夫の一点張りで、交渉の余地すらなかった。
三〇分以上経過して平行線なのだから、この先も交じり合うことはないだろう。
にもかかわらず、彼らはおれに固執している。
(意味わかんねえよ)
こんな無意味な時間を使うぐらいなら、べつの人材にアプローチするほうが手っ取り早いはずだ。
五人程度で、契約は成立するだろう。
それを批難するつもりはない。
生きる上で金銭は重要だし、稼ぐ方法も自由だ。
犯罪は許されないが、そうでないなら裁量は個々にゆだねられる。
(その点、このケースは全く問題ないしな)
業務の発注元も内容も悪くない。
けど、おれは嫌だ。
自分が裕福になるために、数えきれない他者を危険にさらすかもしれない行為を、断じて許容できない。
「言っとくけど、偽善じゃないよ。おれは危険な芽を摘む。もしくは監視する体制が整っているなら、この依頼を喜んで請けるからね」
「なら、君をその役割込みで雇おうじゃなかいか」
「い・や・だ!」
「なぜだね? いや、なにが不満なんだい!?」
天啓のひらめきを拒絶され、発注元の役員は心底驚いている。
その反応も気に入らない。
「システム管理を引き受けるということは、永久就職に近いんだよ。おれは派遣の形が好きなの」
「失礼だが、年齢を考えたらいかがかな?」
これは卑下されているわけじゃない。
なにせ、このときのおれは、まだ二十代なのだ。
相手の真意をわかりやすく表現するなら、その年で重要な仕事を請け負うチャンスなんだぞ、という意味である。
それも理解している。
将来的な就職や転職を視野に入れれば、この仕事は大層な箔が付く。
「それでも、お請けする気はありません」
「そうか。それは残念だ。後悔しないといいがね」
こうして、おれと派遣会社&超一流企業との縁は切れた。
長々となにを関係のない回想をしているんだ、と思っている人もいるだろうが、これはいまに通じる話でもある。
だれがなんと言おうと、おれは大規模な人災を認めない。
それが自分きっかけなら、なおさらである。
これは、おれの生きる上での矜持と表していい。
そしてそれは、四号にも通ずるはずだ。
街は壊したが、人は殺していない。
それがなによりの証拠である。
「お前がなにを『選んだ』のかは知らねえけど、責任は持てよ! もし出来ないなら……」
「勇者様が代わりを務めてくださいますか?」
メティスの表情はそんなことは不可能だ、と物語っている。
その通りだ。
立っているのがやっとのおれに、そんなことはできない。
どうしたって、無理だ。
でも、やれることはある。
「もし出来ないなら、おれの力をくれてやるよ」
かりそめの融合が出来るのは、先の異世界で実証済みだ。
もし仮に力不足が原因なら、それをすればいい。
「何を仰って……いるのですか?」
メティスからすれば、意味不明なのは理解できる。
現状では、四号とメティスは仲間なのだ。
その状態で合体するということは、おれが無条件に軍門に下ることを意味している。
でも、そうではないはずだ。
推測の域を出ないが、メティスと四号の間にある契約は、街の破壊。
その一点に尽きるはずだ。
(四号もそう言ってたしな)
最小限の被害をもって、有言実行したのだろう。
なら、後は四号の自由だ。
変わらずメティス側につくもよし。
おれと契約するもよし。
「お前はそれでいいのかよ?」
「いいか悪いかで言えば、よくないな」
四号の問いに、おれはかぶりを振った。
けど、立っているだけで精一杯なのだ。
もう一発レーザーアロウをくらおうものなら、それこそあの世行きである。
なら、託すのも悪くない。
というより、これしか選べなかった。
「思い残しは?」
「猫やリルド……メティスとの決着……思い残しは多々あるけど、どうすることも……な」
ヒザが笑い、立つことすらままならなくなってきている。
そんなやつに、これ以上求める権利はない。
「本音は?」
唇を噛んだ。
やはり、四号はおれなのだ。
胸の奥にある想いが、バレている。
「契約不履行が、一番悔しい!」
サラフィネと結んだ契約を全うできないことが、無念でならなかった。
地球で死んだおれがみっともなく取り乱さないでいられたのも、『契約は全うした』という自負があったからだ。
「なら、お前が残れ」
(んん!?)
四号の提案の意味がわからず、おれは眉根を寄せた。
「馬鹿を仰らないでください!」
「べつにバカは言ってないだろ。さっきの一撃で契約は履行したからな」
「私との約束は、勇者の破壊です」
「違う! おれが請け負ったのは、勇者に破壊的なダメージを与えることだ」
四号とメティスがモメだした。
「大体、よく考えればわかる話だろ!? どこの世界に、自分を殺す依頼を請けるバカがいるんだよ」
「お為ごかしを! いいでしょう! では、私がやります! レーザーアロウ!」
(アレは避けられないな)
ものすごく冷静だった。
もう少し取り乱すと思っていたが、そうならない理由にも心当たりがある。
「よいしょ」
割って入った四号が、魔法を弾くのはわかっていた。
「どこまでも邪魔をするのですね。いいでしょう。なら、私も奥の手を使います。シリア」
「なによ」
メティスの呼びかけに応じ、不満そうなシリアが現れた。
「あれを使いなさい」
「いいわよ!」
破顔し、消えた。
文字通り、一瞬でいなくなった。
動いた気配はないし、映像がブレるような感じもした。
たぶん、ホログラムのようなモノだろう。
『ヤバイな。なんか起きるぞ』
おれと四号の声が重なり、足元に大きな魔方陣が浮かんだ。