16話 勇者対大魔王
二~三〇メートルあった距離が一瞬で詰まるほど、大魔王の動きは速かった。
「楽に殺してやるから、安心しな」
振り降ろされた拳が眼前に迫る。
直撃すれば、かなりのダメージになるのは間違いない。
最悪、顔面が粉砕される可能性まである。
サラフィネの力で身体強化されていなければ、状況を判断することすらできなかっただろう。
(感謝だな)
他者からすれば紙一重かもしれないが、おれは比較的楽にその拳を躱した。
「ほう」
「そんな!?」
感心する大魔王とは違い、神官は両目を大きく見開いている。
「ハッハッハッ。屑ではねぇらしいな。それでこそ、調理のしがいがあるってもんだ」
大魔王が楽しそうに肩を揺らして笑いながら、ゴキゴキと首を鳴らし、手首を回している。
その姿はゴングを待つ格闘家であって、料理人のそれではない。
(なんかこいつ、イヤだな)
モヤモヤが込み上げてくる。
「今度は、もう少し速くするぞ」
大魔王が動いた。
空気が揺れたので、それは間違いない。
(どこだ?)
目の前にその姿はあるのだが、あれは本体ではない。
漫画などで見る、動きが速すぎて残像が残る、というやつだ。
(スゲェな)
目の当たりにすると、そんなことしか思えなかった。
ただ、見惚れている場合でもない。
左側面から、大魔王の右ストレートが迫ってきている。
三歩前進し、大魔王の残像をすり抜けた。
背後を新幹線が通り抜けたような突風が吹きつけ、体が前に圧される。
「とっと」
たたらを踏みながら、おれは振り返った。
「マグレ……ってわけでもなさそうだな」
値踏みするように、大魔王の視線がおれの頭からつま先に移動する。
「ダセぇやろうだな」
(最初の感想がそれなのは、どうなんだ?)
もっとこう、おれ自身について感じ入ることはないのだろうか。
「だが、その貧乏くせぇ装備と、胡散くせぇターバンは一級品らしいな」
(まあ、女神からの貰いもんだからな)
「んなもんを装備してんだ。てめえ、そこいらの屑じゃねえな」
「肩書は一流だぞ。一応、『勇者』だからな……(雇われだけど)」
最後の部分は心中でそっと付け足し、口にはしなかった。
「ほう。てめえが勇者か」
「ああ。名刺を渡せないのが、残念でならねえよ」
???
大魔王と神官が眉根を寄せた。
大きな営業窓口がないフリーランスは、個々の人脈であったり、名刺等による連絡先交換から仕事の依頼が来ることがほとんどだ。
だからついつい名刺と言ってしまったが、この世界にそんな概念はないようだ。
(反省だな)
「勇者か。ふはは。いいじゃねえか。生まれてすぐ味わうには、格段のごちそうだ」
口角を上げ、満面の笑みを浮かべた大魔王が襲い来る。
「オラララララララ」
嵐のように繰り出される乱打を避けながら、おれはあることを思っていた。
(こいつ、弱くねえか!?)
まだ本気を出していない可能性や、成長過程であって能力値が低い、などが考えられるが、それを差し引いても……脅威を感じない。
印象としては、巨大オークやガーゴイルの指揮官と大差がなかった。
怒涛の連打も、すべて目視できている。
カウンターを狙ったり攻勢に出る必要がないなら、一生当たらない。
そう言い切れるぐらい、遅かった。
「よっ」
試しに、大魔王の左拳に右の小手をぶつけてみた。
「グアッ」
悲鳴を上げたのは、大魔王のほうだ。
顔をしかめているから、痛いのだろう。
「てめぇ、なにしてんだ!」
逆ギレもいいところだ。
おれは非難されるようなことは、一切していない。
「ぶち殺してやる!」
大魔王が大きく振りかぶり、遠心力を最大限に利用したブーメランフックを飛ばしてきた。
体重が加算され威力は増しているが、動作の大きいそれが、当たるわけがない。
避けるのは簡単だが、おれはあえてそれをせず、両手をクロスして頭上にかざし、大魔王の拳を受けた。
ほんの少し上から押されるような感覚があったが、膝のクッションで十分に対処できる。
(痛くねえな)
けど、グシャという音が耳に届く。
見上げれば、大魔王の拳が粉砕していた。
衝撃が凄まじかったのは一目瞭然で、折れた骨が皮膚を突き破り、こんにちはしている。
グロテスクであり、見れたものじゃなかった。
「グウゥアァァァァ。イテェ! イテェぞ、てめえ!?」
物凄い剣幕でにらまれた。
重ねて言うが、おれに非はない。
殴りかかってきたのは大魔王であって、おれは打撃進路を小手で塞いだだけだ。
カウンターを狙ってすらいない。
結果として、そうなっただけだ。
(う~ん。貰っておいてなんだが、サラフィネのやつ、とんでもねえモノ寄こしたんだな)
雑魚相手なら理解できるが、ラスボス相手にこれはすごすぎる。
(大魔王が弱いって、ありえねえだろ)
最近のゲームによく見る、周回プレイのようだ。
これなら、無傷での完勝も夢じゃない。
「避けなさい!」
おれが剣の柄に手をかけた瞬間、神官がそう叫んだ。
!!!!!!
大魔王が慌てて距離を取る。
「少し落ち着きなさい」
「うるせえ! ああああっ、イライラするぜ」
神官の指摘を罵倒し、大魔王が近くの支柱に八つ当たりをした。
直径二メートルはある柱が、たった一発のパンチで粉々になる。
「仕方ないわね。これで心を整えなさい」
プラモデルの腕を外すように切り落とした左腕を、神官が大魔王に蹴り渡した。
「ありがてえ」
血がしたたり落ちるそれを、大魔王が口に含む。
「次はありませんよ」
両腕ないもんね、と言う前に、神官に両腕が生えた。
ドクン、と心臓が撥ね、肌に張り付いて離れない不快感が一気に増した。
(確定だな)
神官は自分や大魔王の強化のために、住民から力を吸い上げているのだ。
大魔王や神官が傷つくたびおれや住民に負荷がかかるなら、戦いが長引くだけこちらが不利になる。
(早期決着が理想だな)
いまならそれができる。
おれは決意とともに、剣を抜いた。
昨日、初めての感想をいただきました。
読んでくださっている方がいる実感を得て、感謝しかありません。
ありがとうございました。