142話 勇者の過去は割とどうでもいい
死角からの一撃。
これは避けられない。
(決まったな)
タイミングやらなにやらもばっちりだ。
しかし、予測は裏切られた。
急に立ち止まったアローナが、剣を手放したのだ。
カラン
床に落ちた剣が乾いた音を響かせる。
「い、嫌! 嫌よ! こんなの望んでない!」
アローナの膝が震え、終いにはへたり込んでしまった。
風船がしぼむように、龍殺滅死斬も消失した。
(デジャブだな)
「あああああああああああ」
頭を抱え泣き叫ぶその姿は、まさにそれだ。
よほど凄惨な経験をしたのだろう。
でなければ、ここまでのリアクションは考えられない。
「なあ、これってなんなんだ?」
おれの脳裏にも、霊感少年時代の記憶が回顧されている。
けど、何度体験しようとも、泣き崩れるような代物ではない。
「あ……ありえないわ」
平然とするおれに対し、シリアが愕然としている。
「もしかしてだけど……これって夢魔族の兵器? だったりするのか?」
十中八九、床の魔方陣が影響しているのは間違いない。
けど、理屈がわからなかった。
おれが初めてこの影響下に入ったのは、クズな冒険者パーティーが使用したときだ。
効果が同じなのだから、それは疑いようがない。
けど、あいつらは夢魔族じゃない。
ということは……
「冒険者パーティーに簡易的な装置を渡した?」
「えっ!? あいつらも失敗したの!?」
心底意外なのか、両目をこれでもかと見開いている。
その様子からして、正解らしい。
「運よく出くわさなかったんだと思ってたけど……違うのね。まさか、これの影響下にあって、無事なやつがいるとは想像もしなかったわ」
平静を装っているが、シリアの額には大粒の汗が浮かんでいる。
「でも、それなら仕方ないわね。まともに戦えば、あいつらじゃ歯が立たないもの」
「一人で納得してるとこ悪いけど、これってなんなんだよ?」
おれの予想では、この迷宮は感情の採取場、ではないかと思っている。
シリアが起動した兵器? が中にいる者の感情を呼び起こし、夢魔族がそれを喰らう。
簡単に言えば幻夢の応用だ。
ただ、夢魔族が個人で幻夢を使うより範囲が広く、かつ効果が高いのではないかと予想している。
「あんた、どういう精神構造してるのよ」
「普通そのものだろ」
「そんなわけないでしょ!」
怒鳴りながら、シリアが両手を打ち付けた。
「おおっ!」
脳裏の映像が変わった。
(これは、大学時代に教諭から意地悪をされたときの思い出だな)
あれはひどかった。
完璧な難癖を、ゴリゴリに押し付けられた。
けど、おれはこの教諭の陰湿なイジメを打ちのめした。
同じ講義を受けていた生徒たちの証言と署名を集め、大学側に抗議したのだ。
結果、大学側から謝罪を受け、意地悪な教諭は解雇された。
(正義は勝つ! という見本だな)
だから、この思い出もおれにとっては大したことがない。
(まあ、相手の教諭からしたら、発狂するほど嫌な出来事だろうけどな)
「嘘よ! 嘘! 嘘! そんなはずない!」
かぶりを振り、シリアがまた手を叩いた。
今度は社会人時代のパワハラ上司だ。
こいつは口うるさいだけで働かないクズだった。
「納期に間に合わせろ! 出来ないなら、家に帰るな!」
そんなことを平気な顔で言うわりに、自分だけは定時、もしくは少し早めに帰宅するアホだった。
派遣のおれに対しての風当たりは特に強く、ボロカスに罵られた。
その場で反論することもできたが、おれはそれをせずに黙って録音した。
後日。
「こんな人間と一緒に仕事は出来ません。彼を辞めさせるか、私との派遣契約の解除か、どちらか選んでください。ちなみに、私との契約解除を選んだ場合、御社の契約違反ですので、損害請求が発生します」
音声データとともに、そう直談判した。
もちろん、所属する派遣会社と雇用した会社の両方に。
結果はもちろん、パワハラ上司の解雇。
彼がいなくなるのは痛くもなんともないが、おれがいなくなれば納期が守れないのは確定していたからだ。
(やはり正義は勝つ! だな)
あのパワハラ上司からすれば、人生が狂うほどの最悪な出来事だろうが……身から出た錆である。
同情する気もない。
よって、これもそこまで辛い思い出ではなかった。
「あんた、どんな人生送ってきたのよ」
シリアの足が震えている。
「まあ、自分で言うのもなんだけどよ。結構恵まれた環境にいたみたいだな」
日本の中流家庭で育ったおれは、そこまで辛辣な経験がないのかもしれない。
飢餓を味わったこともなければ、暑い寒いで命の危機を感じたこともない。
親、友達、先生にも恵まれたほうなのだろう。
こうして冒険していても、サラフィネから授かったチート並みの能力があるおかげで、比較的スイスイことは進んでいる。
「感謝だな」
「あんたみたいのが勇者なんて、間違ってる! 何の苦労も辛酸も舐めていないあんたが、どうしてそんな力を持っているのよ!?」
地団太を踏みながら歯噛みし、瞳に溢れんばかりの涙を溜めるシリアからは、本気でそう思っているのが伝わってくる。
だからこそ、おれは言った。
「世の中が不公平なのは、いまに始まったことじゃねえだろ」
「! それがあたしは許せないの!」
「だろうな」
そうでなければ、こんなことはしない。
「他のやつがどうなろうと、もう関係ないわ! あんただけは絶対に殺してやる!!」
シリアの決意に、足元の魔方陣が更なる輝きを放つ。
「ああああああああああああああああああああああああああ」
頭を抱えたアローナがのたうち回る。
「死ね!」
「馬鹿!」
「アホ!」
「お前なんか生きてる価値ねえよ」
「こんなことも出来ねえのかよ。初歩の初歩だぞ。ったく、お前みたいなのを育てなきゃいけないこっちの身になれよ。ああわりぃ。それを想像できる知能指数があれば、とっくに辞めてるか自殺してるよな」
これまでの人生で聞かされてきた悪意のこもった言葉が蘇る。
脳内に直接響くこの感じは、耳を塞いだとて無駄なのだろう。
「ほんと、成生は女心がわかってないよね。私、彼女なんだよ!? 特別なんだよ!? わかってる? わかってないでしょ。だからダメなの。だからフラれるんだよ。まあ、浮気した私もダメだけど、原因は成生にあるからね。私は悪くない。って、私のことはいいの。とにかく、私を大事にしなかった成生がダメなの! いい!? 女の子はお姫様なんだよ。大事にしなくちゃいけないの! これは私がしてあげる最後のお節介なんだからね。忘れないでよね」
これは思い出したくもなかった。
というより、おれはこの発言をした女と付き合った記憶がない。
しつこく誘われて、二度ほど食事に行っただけだ。
しかも、内一回は仕事の昼休みを利用したランチである。
並んで歩いたことはあるが、手を握ったこともキスした記憶もない。
もちろん、告白もしていない。
(これはイカン)
思い出したらイライラしてきた。
「風波斬!」
怒りをぶつけるように、おれは魔方陣に剣戟を叩き込んだ。