136話 勇者の恐怖体験
五階には魔法の明かりがほとんどなく、薄暗さが一気に増した。
壁を触ってもゴツゴツしていて、四階との違いを感じる。
なんだかいままでは初心者用で、この先は中級者用のダンジョンですよ、と説明されているようだ。
「雰囲気変わったよね?」
「口説いても無理」
「いや、アローナのことじゃねえよ。ダンジョンの雰囲気だよ」
「わかってるわよ。あんたの勘違いでしょ」
(冗談だったのか)
まったく気づけなかった。
(これはイカンな)
心の余裕がなくなってきている証拠だ。
(楽しいことを考えよう)
…………
無理だ。
薄暗い中を歩いているせいか、ホラーなことかスケベなことしか浮かばない。
(なら、ホラーなことを話すしかないか)
ちなみに、これは本当にあった話である。
あれは小学六年生のときだった。
学期内で教えるべきカリキュラムを終え、おれのクラスは音楽の時間を持て余していた。
「じゃあ、怖い話のビデオでも見るか」
ビデオという単語に時代を感じ、少し背中が寒くなる。
もちろん、これは蛇足だ。
本当の恐怖は、音楽の先生が発したさっきの言葉をきっかけに始まった。
「それじゃあ、再生するぞ」
照明が消され、スクリーンに怖い話が映し出された。
(ちょっ、怖い話とか勘弁してよ。夜中にトイレに行けなくなったらどうすんだよ)
実際には問題なく行けるのだが、おれは終始薄眼で鑑賞した。
と同時に、テレビっ子だったスキルを活かし、演出を先読みしたおれは、怖そうなところは目をつぶって回避した。
結果、悲鳴はおろか、微動だにすることもなかった。
「清宮くん凄いね。怖くなかったの?」
鑑賞後、隣の女子にそう訊かれた。
「うん。見てないからね」
正直にそう言えばよかったのに、あのときのおれは、なぜか格好をつけた。
「あれぐらいなら平気。おれ、もっと怖い体験してるから」
「マジかよ!? 聞かせろよ!」
聞き耳を立てていたアホ男子が食いついてきた。
「いや、冗談に決まってんじゃん」
いまならそう言える。
けど、あのときのおれはダメだった。
見栄を張ったのだ。
さいわいなことに、おれには幼少期に体験した不思議な出来事があった。
だから、それを話した。
正直、それは怖いというより不思議な話なのだが、それがいけなかった。
強烈なオチのない話をしたばっかりに、真実味をおびてしまったのだ。
「おお、すげえな! もっと聞かせろよ」
アホ男子が、猛烈な勢いで食いついてきた。
(話の薄さに引いた女子を見習え! このバカどもが!)
心中で悪態をつきながら、もう一つ不思議な話をした。
これも本当にあった話である。
「おおっ! すげえ! また明日も聞かせてな!」
聞くだけ聞いて、アホ男子は去っていった。
「いや、もうねえよ」
おれの話した真実は、だれの耳にも届かなかった。
しかたなく、おれは学校の図書室で怪談噺の本を借りて読み、翌日まんま喋った。
『すげえ!』
アホな男子の観衆は増えていた。
こうなるともう、後戻りはできない。
おれは区の図書館でも怪談話を借りて読んだ。
クラスのヒーローにはなったが、しんどかった。
当時のおれには、日常的な読書習慣がなかったからだ。
本を読むことが、本当に苦しかった。
自分の好きなジャンルではないというのも、それに拍車をかけていた。
「もうやめよう」
しばらくして、おれはアホ男子にそう言った。
「なんでだよ!? もっと聞かせろよ!」
当然、文句が返ってくる。
想定内だ。
だから、おれはこう言った。
「この手の話をしすぎるとさ。積み重なるんだよ」
心の負荷の話だが、アホな男子はべつの意味に捉えたはずだ。
カラン
音を立て、空き缶が転がった。
これにはおれもビビッた。
けど、演出としては最高だ。
「よし。もうやめよう」
アホ男子たちは、あっさり引き下がった。
「ああ。やめよう」
こうして、おれの霊感少年時代は幕を下ろしたのだ。
あのときのことを思うと、恐怖しかない。
(よくあれでやり過ごせたよな。マジでいいやつらだったが、バカが多かったな)
顔も思い出せないクラスメートに思いを馳せていると、空気の振動と一緒に金属のぶつかりあうような音がした。
思考を現実に戻し、耳を澄ませた。
奥のほうで、だれかが戦っている。
「熱戦みたいだな」
「弱いからでしょ」
見てもいないのに辛らつだ。
「こんな浅い階で苦戦するようなパーティーに先はないわ」
「浅いの? ここ」
「当然でしょ」
「来たことあんの?」
「当然よ。ただ、踏破はできなかった。あいつらが役立たずだから」
爪を噛むアローナからは、イラ立ちが溢れている。
思い出しただけでもダメなようだ。
けど、確認はしておきたい。
「あいつらって?」
「ミルナスの腰巾着よ」
聞けば、一人で潜るのは禁止されていたそうだ。
理由はもちろん、アローナの作成した地図や情報が正しいと証言させる必要があったから。
ただ、同行する連中の実力不足が顕著であり、遅々として進まなかったらしい。
「次に組むやつは守る必要のない者にしなさい!」
我慢の限界がきてそう告げたが、ミルナス伯爵にはその条件を呑める手駒がいなかった。
結果、おれが現れるまで待たされた。
「調査が始まって数週間が経過してるのよ。考えたくないけど、すでに迷宮踏破している冒険者がいても不思議じゃないわ」
ここに来るまでに出会ったパーティーの中には、余裕でモンスターを退けていた連中も多数いた。
彼らはおれたち同様、スタートが遅かったのだろう。
初期に潜った同等のパーティーがいるなら、奥に進んでいるのは間違いないし、踏破していても不思議ではない。
「そういえば、アローナはミルナス伯爵と一緒に村に来たの?」
「そうよ」
「じゃあ、結構早めに来たんだな」
「何が言いたいのよ!?」
「いや、早めにいたなら、印象的な冒険者がいたかぐらいは覚えているかな? って思ったんだよ」
おれが村に着いてから迷宮に潜るまで、これといった人物に出会うことはなかった。
けど、いざ迷宮に入ってみれば、そこそこ強そうな冒険者パーティーを見かけている。
そんな連中が多ければ多いほど、踏破される可能性は増すだろう。
「急ぐ?」
「いまさらよ」
もっともだ。
「うりゃああああああ!!」
裂ぱくの気合が聞こえる。
視界はよくないが、少し先に広場があり、そこで戦いが繰り広げられているようだ。
「ジュラララララ」
大蛇の鳴き声に聞こえたが、いままでより野太い。
「へえぇ~」
アローナが感嘆の声をあげた。
それもわかる。
広場に出たおれたちが目にしたのは、体長十メートルはあろうかという巨大な大蛇だった。
その胴回りは五、六メートルはあるような気がする。
その巨体が暴れているわけだが、対峙する冒険者たちは冷静そのものだ。
「ジュララララララ」
「ふんっ!」
体当たりしてくる大蛇を、フルアーマーを着た戦士が受け止め、
「ヒール」
「レーザーアロウ」
後方にいる僧侶が即座に戦士を癒し、魔法使いが大蛇の胴を穿つ。
「剛力斬」
剣士が放ったのは、文字通り力強い一撃だった。
太く硬そうな大蛇の胴が、パックリ開いた。
けど、切断まではいかない。
「ジュララララララ」
怒った大蛇が、ドッタンバッタン暴れ狂う。
「君たち危険だ。逃げたまえ」
「ああ。我らが囮になるゆえ、安心して行くがよい」
「絶対に守って差し上げます」
「大魔導士のあたしが、指一本触れさせないわ」
全員がきらめく笑顔を浮かべている。
「こんなのに苦せ」
「ありがとうございま~す」
アローナの口を塞ぐと同時に抱え、おれはダッシュで部屋を駆け抜けた。