133話 勇者は空気を読んでとお願いする
迷宮の印象は一言で表すなら、巨大なアリの巣だ。
丸い天井のそこそこ大きい部屋と、それを繋ぐ通路がいくえに広がっている。
外での順番待ちから覚悟はしていたが、中は予想以上に混みあっていた。
そのほとんどは冒険者だが、商魂たくましい人物もいるようだ。
「地図あるよ」
「やめときな。そいつの地図は古いよ。おれのが最新版だから、おれのを買ったほうがいいぜ」
入ってすぐ、二人の男から丸めた羊皮紙が差し出される。
「その荷物を見る限り、兄ちゃんたち大分潜るつもりなんだろ? なら、地図は必須だぜ。ちなみに、おれのが最新版。こいつは嘘をついて兄ちゃんたちを騙そうとしてるんだ」
「あんだと!?」
「やんのか!? 最初にふっかけてきたのはお前だからな!」
二人は取っ組み合いのケンカを始めた。
「行くわよ」
アローナに従おう。
地図は必要かもしれないが、こいつらから買う気はしなかった。
おれから言わせれば、どちらも胡散臭い。
それに、しばらくは必要ないだろう。
冒険者が潜り始めてから一か月近くが経ったおかげもあり、浅い階層には魔法の照明やら簡易食堂兼宿がある。
(こんな大荷物いらなくね?)
と思ってしまうが、そうでもないらしい。
「便利な場所があるのは安全な上層階だけで、下に潜れば潜るほど、こういった場所は無くなっていくわ」
アローナは事前に迷宮に潜ったことがあるそうだ。
何階までなら日帰りできるか? 階層の広さは同じなのか? などを調査していたらしい。
「勉強になります」
これ以上険悪な雰囲気にならないよう、おれは平身低頭を貫く。
プライド?
そんなものはない。
四億六〇〇〇万の借金に比べれば、微々たるものだ。
どうしても許せないときは、すべてが終わった後で話をつければいい。
まずは迷宮踏破と借金返済。
それ以外に優先すべきものなどなかった。
一階、二階、三階と下っていく。
非常に順調だ。
人とすれ違うことはあっても、モンスターと遭遇することはなかった。
(時間もたっぷりあることだし、上手くすればかなり潜れるかもな)
そう思った矢先、だれかの怒鳴るような声が聞こえた。
「退け! 退いてくれ! 仲間がやられちまったんだ!」
血みどろの仲間を背負い、五人のパーティーが上層へと引き返していく。
「頑張ってよ」
「絶対に助けてみせますから」
黒いカラーコーンのような帽子とローブを纏った魔法使いと、白い修道着に袖を通しているシスターが回復魔法を使っている。
「あれじゃ駄目ね」
アローナの言葉は無慈悲であるが、同感だ。
背負われている男の腕は半分ちぎれかかっているし、背中には大きな引っ掻き傷のような三本線が刻まれていた。
かわいそうだが、助かる見込みは少ないだろう。
彼らの実力を推し量ることはできないが、ここから先に脅威があるのは間違いない。
「少し、気を引き締めたほうがよさそうだな」
「ふん。そんな必要ないわ」
アローナは気に留める様子もなく、四階へと続く階段を下り始めた。
「暗いな」
三階までは各所にあった魔法の照明が、その数を圧倒的に減らしている。
広い部屋に多くて三つ。
通路にしても、一〇メートル間隔であればいいほうだ。
人の数も減り、あきらかに雰囲気が変わった。
「ジュラララララ」
その証拠に、部屋に入った途端、天井から大蛇が襲ってきた。
迷宮で初めて目にするモンスターだ。
「ふんっ」
アローナが鼻で笑い、刀を一閃した。
大蛇は断末魔もなく縦に真っ二つに斬られた。
しかし、本人はそれを理解していない。
「ジュ……ラ」
威嚇するように鳴こうとしているし、距離を詰めようと体を動かしている。
ただ、どちらもうまくいかず、舌をチロチロ動かし、緩慢にうねっているだけだ。
「なんか……いるわね」
アローナも察知したらしい。
通路の奥から、空気の振動が伝わってくる。
モンスター同士の争いの可能性もあるし、人とモンスターの場合もある。
「行くわよ」
臆する様子のないアローナに続き、おれも奥に進んだ。
「奥義! 鳳凰閃!」
「グルアアアアア!」
通路を抜けたそこでは、剣士と熊が戦っていた。
剣と爪が交差し、互いが死力を尽くしているのがうかがえる。
打ち合いは続くのだが、いかんせん腕力で劣る剣士の分が悪そうだ。
「はあ、はあ、はあ」
大きく肩で息をし、額には大粒の汗も浮かんでいる。
「負けない! 絶対に! 俺は……負けられないんだ!」
自らを鼓舞する想いに呼応して、瞳に宿る闘志がさらに燃え上がる。
「お願いします! もう、あなたしかいないんです」
部屋の隅で祈るように戦況を見つめている王女様風の少女と、その横で微動だにしない戦士風の男がいた。
呼吸にあわせてかすかに肩が上下しているから、死んではいない。
けど、自力で体を起こすことすらできないダメージを負っているようだ。
彼女らの命運を握っているからこそ、剣士は勇猛な姿を崩さないのだろう。
「なあ、どうする?」
おれは小声で訊いた。
「決まってるでしょ」
当たり前のことを訊くな。
アローナの瞳は、そう物語っていた。
「いやいや、この緊迫感をぶち壊すのはどうかと思うよ」
おれはアローナの腕を掴み、自重を促した。
そんなおれたちにかまうことなく、剣士と熊の死闘は加速する。
「最終奥義! 鳳凰炎舞!」
剣士が振るった太刀筋から炎が生まれ、二体の鳳凰へと形を変えた。
(すげえ!)
錐もみしながら熊に襲いかかる鳳凰は見栄えもよく、最終奥義と呼ぶにふさわしい技だ。
「グアアアアア」
鳳凰炎舞の直撃を受け、熊が苦悶の声をあげる。
「やっ……た……!」
体力の消費が激しく、剣を杖代わりにしなければ立っていられないようだが、剣士は強く拳を握った。
が、熊は死んでいなかった。
「グアアアアアアアアアアアアア!!」
吠え、鳳凰を引き裂いた。
「う、嘘よ」
王女風の少女が絶望に表情を歪め、双眸から大粒の涙を流す。
「グルアアアアアア」
怒り狂った熊が歩を進める。
が、熊も無傷ではなかった。
足を引きずり、動きが鈍い。
「お前が倒れるのが先か。おれが倒れるのが先か。勝負だ!」
剣士の足も震えている。
互いにいつ倒れてもおかしくないように見えるが、両者ともその足で大地を踏みしめている。
「最終奥義! 鳳凰炎舞!」
剣を振るったと同時に、剣士が倒れた。
小さな揺らぎが起こり、ボッと火が灯る。
それは小さな小さな火種だったが、想いのこもった一体の鳳凰を生み出した。
ただ、二体目の鳳凰を具現化させることができなかった。
限界だったのだろう。
「グルアアアアアアアアアアアアア!!」
無残にも、鳳凰はその力を発揮する前に、熊に引き裂かれてしまった。
「く、くそ」
唇を噛むが、剣士にはもう拳を握る力さえ残っていない。
「アローナよ。頼むから、空気は読んでくれ」
「はっ」
おれの忠告を鼻で笑い、アローナが飛び出した。
「グルアアア」
乱入者に気づき、熊が吠えた。
が、それが断末魔だった。
「うるさい!」
一刀で、アローナは熊の首を斬りはねた。
「あ~あ、やっちゃった」
おれは手で顔を覆った。
なんともいえない空気感になってしまった。
剣士があんなに主人公っぽく頑張っていたのだから、もっとこう、気遣いとかしてやればいいのに。
「助太刀するわ」
とかなんとか言ってやれば、演出としても盛り上がったはずだ。
「た、助かった。ありがとう」
「こんなのに手こずるようなら、転職したほうがいいんじゃない?」
礼を告げる剣士を見下ろし、アローナはそう吐き捨てた。
完全にバカにしている。
「ははっ。それがいいかもしれないな。俺じゃ、二人を守れない」
立派だ。
悔しい気持ちをこらえているのが伝わってくる。
「だから頼む! 仲間を安全なところまで運んでください」
剣士が我慢したのは、このためだ。
「嫌よ」
とりつく島もない。
というより、アローナは無慈悲すぎる。
なにがそんなに気にいらないのだろうか。
「あたしは弱いやつが嫌いなの! あんたがそこで這いつくばっているのも、あいつらが隅っこで動けないのも、全部弱いからよ。弱いくせに勘違いして、分不相応なところに来るからいけないの! わかった!?」
あまりに辛辣な物言いだ。
当事者でないおれでもきつく感じるのだから、当人たちはもっとだろう。
「申し訳ありませんでした。謝ります。忠告してくださった通り、冒険者は辞めます。ですから、仲間の安全だけはお守りください! この通りです」
剣士が土下座した。
顔を伏せたから見えないが、泣いていたように思う。
「嫌よ!」
吐き捨てるアローナを、おれは突き飛ばした。