131話 勇者の負債は四億六〇〇〇万
おれは仲裁してくれたミルナス伯爵の誘いを受け、彼が居を構える宿に移動した。
(でっけえなぁ)
後から聞いた話だが、ここが村で一番高級で設備の整った宿らしい。
「くつろいでもらってかまわないよ」
最上級スイートルームの革張りソファーに腰を沈め、ミルナス伯爵はメイドさんが持ってきた赤ワインに口をつける。
(優雅だなぁ)
醸し出す余裕がハンパない。
ただそれだけに、忙しなく部屋を出入りしている使用人たちが目立ってしまう。
「どうぞ」
メイドさんが紅茶を用意してくれたが、優雅なティータイムを楽しむ気分にはなれなかった。
というより、おれが引き起こした迷惑の事後処理に奔走している使用人たちを横目に、そんなことは許されない。
時折、代表者らしき者が報告するのが聞こえるので、間違いない。
落ち着かないまま時間が過ぎ、ミルナス伯爵が五杯目のワインを飲み干したところで、執事長を名乗る老紳士が姿を現した。
「お待たせいたしました。すべての事案が片付きましたので、これより説明をさせていただきます」
手に持った紙を読みながら、執事長が話を始めていく。
「被害状況ですが、村を囲む横一メートル、縦二・五メートルの木製の柵三枚が破損。うち一枚は損傷が激しく、修復は不可。残り二枚の損傷は軽微ですが、諸々の状況を加味した結果、交換が妥当と判断されました。工事費材料費込みで、七〇〇〇万ソペが計上されております」
(高くないかい!?)
大きさはあるが、木柵である。
種類が違うとかなんとかあるのかもしれないが、数歩歩けば森があり、材料に困ることもない。
もし、護衛や伐り出しに力がいるなら、おれが立候補させていただく。
「あの……」
「言いたいことがあるのはわかるが、まずは話を聞こうじゃないか。オリバー、続けてくれ」
口を開いたおれを制止し、ミルナス伯爵が先を促した。
「貴族所有の馬が一頭、右前脚骨折による重症を負いました。これに関しては、予後不良の診断が下されております。他に商人所有の二頭にも被害が確認できましたが、こちらは打撲等の軽症で済みました。代馬や治療費が発生し、請求された額は一億七〇〇〇万ソペです」
めまいがした。
(高すぎる)
「ふむ。意外と安く済んだな」
おれの思いとは裏腹に、ミルナス伯爵は優雅にワインを傾けている。
驚いている様子は、微塵もなかった。
(ひょっとして、通貨価値が低いのかな?)
地球でもあるのだ。
日本の千円が、他国では一万円以上の価値を持つことは。
(うん。そうだ。そうに違いない。億という単位に怯えていたが、他のだれも動揺してないんだから、大した額じゃないんだよな)
胸に安堵が広がる。
「それは魔石込みの値段だな?」
「その説明は最後にいたします」
渋い表情でうなずくミルナス伯爵を目の当たりにし、安堵感が霧散した。
わかってしまった。
(やっぱ、損害額は低くないな。こりゃ間違いなく、とんでもない負債を抱えたな)
絶望まではいかないが、人生に暗い影が差した。
ミルナス伯爵とオリバーのやりとりは短いが、そう察せるだけの緊張感がある。
「破損した馬車が二台あり、一台は大破により修復不可です。もう一台の破損は軽微ですが、魔石を含む重要箇所の損傷が認められ、全損評価となりました」
破損は軽微だが全損。
矛盾しているように思えるが、納得も出来る。
精密機械にも、ままあることだった。
落下などでボディーに大きな破損がなくとも、重要パーツが故障することは。
「壊れた魔石の種類は?」
「木柵に強度補強。馬に疲労軽減と加速補助。馬車に強度補強と空気調整と振動軽減の『効果付与』が施された魔石が使用されていました」
「珍しくはないが、安物でもないな」
「はい。馬車の修理代二億二〇〇〇万ソペを含め、合計八つの損害から計算された概算請求額は……四億六〇〇〇万ソペです。しかし、ミルナス様が保証してくださるなら、一〇〇〇万ソペの値引きに応じるそうです」
繋がりだけで一〇〇〇万。
ミルナス伯爵の権力がうかがえる。
「それについては、君の返答次第だな」
「仕事を請け負うのはやぶさかではありませんが、殺しや略奪はご勘弁ください」
「はっはっは。そんなことは頼まんさ。万が一足でもつこうものなら、貴族として終わりだからね」
行い自体は否定しなかった。
(まあ、剣と魔法の世界で、魔族もはびこっている世の中みたいだしな)
綺麗ごとだけじゃ進まないだろうし、爵位持ちならなおさらだ。
「君には迷宮探査を頼みたい」
「どこにあるんですか?」
「もちろんこの町さ」
バザーや祭りが行われているのではなく、迷宮探査で盛り上がっていたようだ。
「ほんの一月前ぐらいかな。この辺りを震源に、結構な地震が観測されてね。幸いなことに人的被害は皆無に等しかったが、落石や倒木などが確認された。伯爵としては、放置出来ない事案だ」
「ということは、ここはミルナス様の領地なのですか?」
「違う。というより、ここはだれの領地でもない」
貴族の仕事に領地管理があって、その関係でここにいるのだと思ったが、否定されてしまった。
よくわからないが、自分の領地でもないのに、視察に来たのだろうか?
「冒険者である君は知らないのかもしれないが、ここは少々問題のある土地なんだ」
説明してくれるらしい。
なんていい人なんだ。
「繰り返すが、この村を含む一帯は手つかずの森だ。入ろうとしても、妖に化かされるようにすぐに出てきてしまう。万が一入林できたとしても、今度は帰ってくることができない。通称『一見の森』と呼ばれるほど、統治には不向きだった」
幻夢の森と酷似しているが、同じではない。
幻夢の森の効果が消えたのは、ガウが死んだついさっきのことだ。
「確認ですが、ミルナス様たちはいつからこの村に滞在されていますか?」
「三週間ほど前からだね」
やはり、時期が違う。
ということは、一見の森と幻夢の森は同一ではない。
「話の腰を折り、申し訳ありませんでした」
「いや、かまわない。疑問があったら訊いてくれ」
おれはかぶりを振った。
「では、話を続けよう。一見の森は統治には不向きだが、放置するわけにもいかない。万が一他国の人間によって森の解明が進めば、奇襲をかけるにはもってこいだからね。だから、王様は森と接する領主に森への不干渉を定められた」
理解はできる。
君子危うきに近寄らず、というやつだ。
と同時に、他者や他国に利用もさせない。
「けど、地震の後処理をしていた村人たちが、地割れによって出現した地下への階段を発見し、報告に来てしまったんだ。不干渉を是としていたけど、中には人がいて、遺跡まである、となれば放置することも出来ず、王様は現地の調査を命じられた」
「で、ミルナス様が赴いたわけですね」
「私だけではないがね。でも誤算だったのは、この村の住人たちの商魂がたくましかったことだ。彼らはすぐに遺跡を観光地化してしまい、潜るのにも登録料と通行料を支払わなければいけなくなってしまった」
ミルナス伯爵が大げさに肩をすくめる。
(なるほど)
だから商人などの姿もあったわけだ。
だけど、そこはそれ。
領主や王様の力があれば、どうとでもできるのではなかろうか。
「君の言いたいことはわかる。けど、それは得策じゃない。強権を発したところで、我々には森の知識がないからね。閉じ込められたりしようものなら、ひとたまりもない。だから、私たちは彼らのルールに従うしかないんだ。今は……ね」
最後の一言が、ものすごくおっかなかった。
これはますますもって、ヤバイ人に借りを作ってしまったようだ。
「安心したまえ。君が危惧しているようなことはおきない。統治する者として、人のいない領土に価値はないからね」
それはその通りだ。
けど、ここには村がある。
開拓する必要がないのだから、人さえ運んで来ればなんの問題もないだろう。
笑みを浮かべるミルナス伯爵の言葉を、おれは素直に受け止めることが出来なかった。
「私は価値の無い領土に興味はないが、価値ある領土の拡張には大いに関心がある。幸いにして、王様は遺跡の調査をいち早く終えた者に、この土地を授けるとお約束してくださった」
「で、おれの出番というわけですか」
「その通り。君の強さは規格外だからね。この森が手に入るなら、四億五〇〇〇万ソペも安いものさ」
すべてをさらけ出してはいないが、ウソで塗り固められている感じもない。
…………
「ふうぅ」
小さく息を吐いた。
どのみち、おれに選べる選択肢は二つしかない。
ミルナス伯爵に協力するか、自分で四億六〇〇〇万ソペを払うか。
それはもう一択と変わらない。
「協力させていただきます」
「それはよかった。では、彼女を呼んでくれ」
「はっ」
退出したオリバーが、美女と一緒にすぐに戻ってきた。
「彼女が君の同行者。アローナだ」
「よろしく」
にこやかにあいさつをされた。
けど、笑っているのは口元だけで、目には敵意がみなぎっている。
(こんなやつばっか)
辟易しながら、おれはアローナの差し出した手を握った。