12話 勇者の職務
手を伸ばしたそこは、数秒前まで掴む者がいた場所だ。
けど、いまはだれもいない。
右にも左にも、机の下にもいない。
逃げられた。
と同時に、不快感が消えた。
「はっ……はっ……は……」
乾いた笑いが漏れる。
(不快感が消えたのは、喜ばしいことだ)
しかし、腹の底から沸きあがる感情がある。
怒りにも似ているが、少し違う。
悲しみとも似ているが、微妙に違う。
喜びとは似ても似つかないが、完全な不一致とまでは言い切れない。
(この感情は……なんだ?)
ダメだ。
上手いこと表せない。
けど、だれにぶつければいいかは理解している。
「あのアマ! どこ行った!?」
ぶち壊す勢いで、教会のドアを開けた。
外にはまだ市民がいたが、全員が一斉に視線を逸らす。
「隠すとタメにならんぞ」
だれ一人目線は合っていない。
それでも、全員がかぶりを振った。
(ウソ臭い!)
これだけ揃うのは、事前に打ち合わせがなされているからに、ほかならない。
「そうか。みんなグルなんだな」
「違う違う違う」
おれのつぶやきに、若者が反応した。
「わかってるよ。反応したのは訓練されてない悪者で、反応しなかったのは訓練された悪者なんだよな」
『そんなわけあるか!』
多くの市民が口をそろえてツッコんだ。
(うん。間違いないな)
おれの見立ては当たっている。
「それじゃ、教えてもらおうか。神官の行き先を」
狙うは訓練されていない悪者だ。
「びええええええええん」
目が合った瞬間、子供が泣きだした。
その勢いは火山の噴火を思い起こさせる。
「うああああああああん」
「やあああああああああ」
なぜか、昔観たヒーローショーを思い出した。
ヒーローが出てくる前に、怪人が子供を攫うお約束のシーンだ。
(これはイカンな)
本末転倒もいいところだ。
「ごめんよ。おじさんが悪かった」
「ぎゃああああああ」
「逃げろおおおおお」
謝ったのに、蜘蛛の子を散らすように、市民たちが拡散していった。
それを責めるつもりはない。
とはいえ、一人ぐらい捕まえても問題はないだろう。
(大丈夫)
イジめるつもりは毛頭ない。
(おれは冷静だ)
胸を張ってそう誓える。
「お~い」
最後尾を走る青年に声をかけた。
途端、青年が倒れた。
「!? おい! 大丈夫か!?」
駆け寄るおれを尻目に、市民が次々とくず折れていく。
倒れる方向とスピードがバラバラだから、ドミノ倒し、ではない。
「っ」
体に小さな痛みが走ったのを合図に、消えていた不快感が再発した。
おれがこの不快感を覚えたのと、市民の昏倒に時差はなかった。
なら、因果関係があると考えるのが妥当だ。
理屈も知れないし、ステータスのような解り易い表示もない。
けど、生命力を吸われていると考えれば、説明はできる。
「っああああああ」
多くの者が肌をさすっている。
それは覚えのある行為であり、いまや市民も不快感を共有している証拠だ。
おれが倒れないのは、体力のキャパシティーが高いからだろう。
しかし、それも長くは続かない。
気を抜くと、貧血で眼前が霞むような感覚に襲われる。
おれでこうなのだから、すでに重篤な症状に陥っている者もいるはずだ。
なんとかしてやりたいが、どうにもならない。
回復魔法は使えないし、回復薬も持っていない。
助ける術がなかった。
現実逃避に近いが、地球にいたときのことが頭をよぎった。
「えっ!? できないの?」
「査定のために取っただけなんで」
目を見開く上司に、後輩がヘラヘラしながら頭を下げる。
悪びれた様子は微塵もない。
「そっか。それじゃ無理だな」
普通なら激怒するのだろうが、上司にその気配はない。
当然だ。
資格はあるが、実務経験がない。
これはITの世界では往々に遭遇する事案であり、いちいち目くじらを立てていたら仕事にならない。
反対も然りで、資格はないが、相応の知識と技術を持ち合わせ、実務をこなせる者もいた。
おれは後者だ。
けど、いまは前者だった。
「はあ~」
己の無力さに、ため息がこぼれる。
チュンチュン
落とした肩に、小鳥が止まった。
泉で見たそれに似ている。
「サラフィネ」
名前を呼んだ瞬間、小鳥が肩から滑り、地面に墜ちた。
くちばしが微かに動いたが、鳴き声は聞こえない。
しゃがんで、小鳥を手の平に乗せた。
これがサラフィネからのメッセージなら、なにかアクションがあるはずだ。
…………なにもなかった。
なにもないまま、小鳥は息絶えた。
「勇者様……助……けて」
声のしたほうを見れば、少女が祈っていた。
息が荒く、組んだ指が震えている。
「お父さんを……お母……さんを……妹を……助……けて……お願い……します」
そこで力尽き、少女は地面に伏した。
そんな健気な少女を守るように、横に倒れていた男性が抱きしめる。
少女の父親だろう。
横にいる母親らしき人物も、妹と思しき子を守るように抱いている。
思い出した。
現状、おれは無力だが、成せることがないわけではない。
大魔王を倒す。
それが出来るから、おれはこの世界にいるのだ。
そしてそれを達成すれば、助かる市民もいるだろう。
慈悲でも同情でもない。
『勇者』としての、仕事の一環だ。
自分に言い訳しているようで情けないが、そうとでも思わなければ踏ん切りがつかない。
おれは、慈善活動に精を出すほど善人ではないのだ。
けど、見て見ぬフリをするほど、人でなしでもない……だろう。
断言できないのが若干情けないが、抱き合う家族を助けてやりたいと思っているのだから、見当外れではない。
サラフィネに上手く踊らされているだけかもしれないが、いまだけは盛大に踊ってやろう。
タンゴでもランバダでも、なんでもこいだ。
「よし!」
腹は決まった。
後は時間との勝負だ。
いまなお続々と地面に倒れ伏していく市民をしっかりと目に焼き付け、おれは街の最奥にある城に向け歩を踏み出した。
たぶんそこに、おれが倒すべき大魔王がいる。