117話 勇者の交渉その➁
釣り船屋を出たおれが次にむかうのは、港に接岸している大型船だ。
甲板に人の姿はない。
乗組員たちは寄港時に捕まり、過去の悪事も含め裁きを受ける。
迷惑料の担保として、この船も没収されたそうだ。
「これだけの大型船だからな。遠方漁業には大助かりだ」
道中でたまたま出会った組合長が、そう教えてくれた。
子供たちの就職先としても、重宝しそうでなによりである。
ただ、おれはそれを確認するためにここに来たのではない。
ここに来た理由は、話をつけなければいけない連中がいるからだ。
船内に入り、階段を下りていく。
「おお! 勇者ナルオ様。早くここから出してください」
目ざとくおれを見つけたモーガンが、格子に張り付いた。
「いや、儂が先じゃ。年寄りを労われ」
「こんなときだけ年寄りぶるな。あんたはまだ現役だろ」
言い争いをする者たちを含めた全員が奴隷商人だ。
彼らは下船を許されておらず、いまも船底近辺の牢屋に押し込まれていた。
狭い場所での雑魚寝や質素な食事は人生で初めてうける扱いであり、皆一様に疲れた顔をしている。
「出すのはいいが、条件がある」
「それは何ですか?」
「約束の金を払ってもらおう。手始めにモーガン。あんたからは二二〇〇億だ」
「そのような大金を持ち歩いているわけがありません。それに、その額を支払うためには資産の売却をなさいませんと。ですから、まずはここから出していただき、家に戻していただきたく存じます」
当然の言い分だ。
「じゃあ、手持ちの金額はいくら?」
「五百万でしょうか」
モーガンが懐から札束を出した。
「でもよ、オークションのとき、五億だ! って叫んでたよな? あれ、落札してたらどう支払うつもりだったんだ?」
隠し持っている可能性はさすがにない。
先ほど取り出した札束も、地球の百万の束と厚さ大きさは大して違わなかった。
可能性の一つとして、魔法でどうにかする、というおれの知り得ない方法があるのかもしれないが、どうだろう。
「小切手です」
魔法かも、とか思っていた自分が恥ずかしい。
「なら、五億の小切手を切ってくれ」
「わ、わかりました」
懐から取り出した紙に数字を記入し、モーガンはおれに渡した。
問題なさそうだ。
「よし。出ていいぞ」
「ありがとうございます」
疲れなど吹き飛んだ様子で、スキップしながらモーガンが甲板に続く階段を駆け上がっていった。
「じゃあ、残りの人にも訊こうかな? 所持金はいくら?」
おれは一人一人と支払額の話をした。
数日後、おれとサラフィネは、とある街にいた。
「さて、女神サラフィネよ。これをどう思う?」
目の前にはなにもない。
綺麗な更地だ。
本来ならここにモーガンの自宅兼商会があるはずなのだが、跡形もなく消え去っている。
「由々しき事態ですね」
同行したサラフィネの眉間には、くっきりとした縦ジワが刻まれていた。
「ですが勇者よ。早合点はいけません。街の人に確認してみましょう」
その提案はもっともだ。
状況証拠だけでは、冤罪を生む可能性がある。
「あの~、モーガン商会は移転したんですかね?」
道行く人を捕まえ、そう訊いた。
「さあ!? なんでも身内に不幸があったとかで、ろくな説明もないまま街を去ってしまいましたわ」
これから買い物はどこでしようかしら、などとこぼしながら、婦人が去っていく。
その後数人に同様の質問をしたが、答えは同じだった。
「たった数日ですべての私財を処分し姿を消したようですね。恐ろしい行動力とも評せますが……許されざる行為です」
「やはりそう思うか。では、いかように対処すべきだと考える?」
「約束不履行ですからね。強制執行もやむなしかと」
「書面の用意は?」
「万全です」
差し出した手に、三つ折りの紙が乗せられた。
そこには……
わたくしモーガンならびにモーガン商会は、勇者ナルオに二二〇〇億の支払いを約束します。
この契約を反故にした場合、わたくしモーガンならびにモーガン商会はいかなる処分も受け入れます。
と記されていた。
しっかりと署名、拇印付きである。
とはいえ、いないやつから徴収はできないわけで……おれたちは諦めるしかなかった。
まさかの手詰まり……なんてことはない。
「西北西に三〇〇キロ離れた町に、モーガン一家は滞在しています」
音もなく表れた天使が、そう告げた。
「これから行われることを考えると、女神であるわたしは関与できません。勇者よ。後はお任せします」
「ああ。承知した」
日が落ちた。
「まったく、これが最高級だと!? これだから田舎は嫌なんだ!」
モーガンが悪態をついている。
床張りで絨毯などの敷物はないし、ベッドもシングルサイズが二つだけ。
絢爛豪華な装飾品に囲まれた部屋で暮らしてきたモーガンにとって、飾りが一つもないここは苦痛でしかないようだ。
「なんでわたくしがこんな目にあわなきゃいけないんだ」
床を蹴る姿からは、反省の色はうかがえない。
「パパ、灯り点けていい?」
「ダメだ!」
「でも、これじゃあ、ご本が読めないよ」
娘がそう言うのも無理はない。
いまや日は完全に落ち、室内は真っ暗なのだ。
これは眠る前だからではなく、モーガンはあえて室内を暗くしている。
その理由は、たった一つしかなかった。
「勇者と女神に見つかるわけにはいかんのだ! 我慢しろ!」
ということらしい。
「もう、遅いけどな」
おれはそっと背後に忍び寄り、そう耳打ちした。
!!!!!!!
ものすごく驚いたようで、モーガンは三~四メートルぐらい飛び跳ねた。
「よっ」
「あっ……あっ……あああ」
おれと目が合った瞬間、モーガンは腰を抜かしてしまった。
「なにをそんなに怯えているんだ?」
「そ、それは……」
「してはいけないことをしたのか?」
「も、申し訳ありません」
「パパ……」
土下座するモーガンを、娘が呆然と見ている。
「こ、これには理由がありまして」
「そうかい。なら、その理由というのを聞かせてもらおうか。けど、まずは娘さんの望むように、灯りをつけようじゃないか」
「そ、それは」
「ダメなのか? 灯かりを点けるだけだぞ」
「ご勘弁ください」
おれは部屋のランタンに火を灯した。
「パパ!?」
娘が驚くのも無理はない。
モーガンを中心に、床には水たまりが出来ている。
「見ちゃいけません!」
幼い娘を抱え、嫁さんらしき若い娘が部屋を出て行った。
「できた嫁さんでうらやましいよ。でも、これで気兼ねなく話ができるな。でぇ!? なんで逃げた?」
モーガンがブルブル震えている。
「まさか、支払い拒否……なんてことはないよな?」
「と、とんでもございません。命を救っていただいた御恩を、あだで返すようなことは致しません」
「じゃあ、なんでそんなに驚いているんだよ」
「ご連絡を差し上げなかったのは申し訳なく思っています。しかし、現金を用意するには家財を処分しなくてはなりません。そしてそれを行えば、我々は物価の高いあの街に住み続けることはできないのです。ですから、落ち着いてから連絡させていただこうと考えていました」
立て板に水が如く、スラスラと言い訳が出てくる。
さすが商人だ。
「けど、これは約束の反故だよな?」
「すみません! お許しください」
頭を下げるたび、モーガンは額を床に打ち付けている。
「いいよ。許してあげる」
「ありがとうございます!!」
大量の涙と鼻水を流すモーガンに、おれは慈悲を込めて告げた。
「追加で一〇〇〇億払うならな」
「………………えっ!?」
一瞬で涙と鼻水が止まった。
「払えない、もしくは払わないのなら、モーガン商会の子会社であるガーモン商会ともども、潰すぞ」
「ご、ご存じなのですか!?」
モーガンが驚くのも無理はない。
表立って二つの商会を繋ぐ証拠はないし、両商会は敵対関係にある、というのが内と外の人間の共通認識でもある。
裏で両者がズブズブの間柄であるのを知っていたのは、ごく一部の幹部だけだ。
「女神に隠し事はできないらしいぞ」
どういう経緯かは知らないが、サラフィネはおれにそれを告げた。
「払います。ですから、お許しください」
「二度目は許さないよ」
「はい。肝に銘じます」
「よろしい。では、しばしの猶予を授けよう。女神の計算では、三日だ」
「五日ください」
モーガンが開いた手を持ち上げた。
ここまできて、なかなかに肝の太いやつだ。
「よしわかった。二日でいいんだな」
「三日でお支払いします」
「最初からそう言えよ。んじゃ、三日後な」
来たとき同様、おれは音もなく退出した。
結果論だが、モーガンだけでヒカリと約束した三〇〇〇億を達成できた。
だがまあ、多いに越したことはない。
(よし。この調子で他の連中からも上乗せを狙おう)
そう心に決め、おれは次の取り立てにむかった。
一応、名誉のためにも言わせてもらうが、契約を全うした者たちから上乗せは頂戴していない。
これはあくまで、逃げたやつだけである。
ただ、九割以上の人間に過払いが発生したのも、事実であった。