116話 勇者の交渉その①
漁港のおっちゃんたちの助けもあり、おれたちは全員無事に帰ってこられた。
「ありがとうございます。助かりました」
「いいってことよ。これは兄ちゃんに助けてもらった礼だからな」
船から降り深く頭を下げるおれに、組合長のおっちゃんは豪快に笑ってみせる。
「ところで兄ちゃん。えらくデカイ獲物を仕留めたな」
「いや、態度のわりに大したことありませんでしたよ」
船にあった縄で縛ったパープルを、陸に上げた。
「ふまふまふももふまふもも」
全身をジタバタさせ、なにやら抗議を口にしているようだが、さっぱりわからない。
「ふまひまひまほふまひまま」
猿ぐつわをかませておいて正解だった。
「へっくし!」
寒い。
こっちはまだ雪が降っていた。
急いで温かい魔素を、全身に纏わせる。
(うん。イイ感じだ)
「あんちゃん。そんなことして平気なのか?」
「そんなことって?」
心配顔で訊かれても、おれにはなんのことやらさっぱりだ。
「魔素の消費だよ」
「それは問題ありません」
組合長のおっちゃんに答えたのは、おれじゃない。
右手に湯気の立ち昇る湯呑を持ったサラフィネだ。
「右手のそれはなんだ?」
「お茶です」
「そうじゃねえよ。なぜそんなものを持っているんだ? って訊いてんだよ」
「この寒さですからね。体を温める物は必須です」
ズズッとサラフィネがお茶をすする。
「おれの分は?」
「ご安心を。皆さんの分も、ちゃんと用意してくれています」
「どうぞ」
天使のお姉さんが、船から降りてくる者たちにお茶を配っている。
腹を空かせている者には、うどんもあるようだ。
ハフハフ言いながら、子供たちが嬉しそうにすすっている。
「おっ、あんがとよ」
組合長のおっちゃんが、湯呑を受け取った。
「あ、おれにもちょうだい」
「申し訳ございません。用意した物がなくなってしまいました」
たしかに、お盆の上にはなにもない。
けど、そこかしこに給仕している者たちがいるのだ。
声をかけるぐらいのことは、してほしい。
「では、失礼します」
天使のお姉さんは一礼して去っていった。
なんとなくだが、やつには見覚えがある。
サラフィネの世話係をしていた一人だ。
「あいつ、わざとだろ?」
「仰っている意味がわかりません」
あくまでしらばっくれるようだ。
「サラフィネ様、どうぞ」
「ありがとうございます」
追求しようとした矢先、戻ってきた天使のお姉さんが、サラフィネにイカ焼きを渡した。
「美味しいです」
「それはようございました」
イカを味わうサラフィネに、お姉さんの表情がほころぶ。
「おれのお茶も持ってこいや!」
その満足げな顔に腹立ち、思わず声を荒げてしまった。
「すみません。少々お待ちください」
「そんなに怒ることはないでしょう」
「うん。そうだそうだ」
組合長のおっちゃんが賛同するが、その手にはイカ焼きが握られている。
これはもう、おれにだけあえてなにも与えない算段だとしか思えなかった。
「暴れるぞ」
「それはやめておいたほうがいいでひょう。現ひょう維持なら問題ありまひぇんが、こひぇ以上は死の危険がありまふほ」
「イカ焼きを食いながらしゃべんじゃねえよ」
「ふいまへん」
謝っているが、心がこもっていない。
「ここを更地に変えてくれようか」
怒りが湧いてきて、体が熱くなる。
「それ以上は本当に駄目です。死にますよ。勇者」
サラフィネはなにを言っているのだろう?
おれに過度の変化は……
「あっ」
クラッとした。
「あんちゃ……」
組合長のおっちゃんの声が、遠ざかっていく。
(ヤバイ)
視界が急速に暗く沈み、足もガクガク震えている。
「大丈夫ですか?」
不思議なことに、サラフィネの声だけがはっきりと聞こえた。
視界もすぐに正常に戻り、足の震えも落ち着いた。
(大丈夫……だよな)
意識もはっきりとしている……体の感覚も、万全だ。
だから気づけた。
支えるほど強くはないが、おれの背中にサラフィネの右手が添えられている。
そこから、じんわりとほのかな温かみが広がっている。
この力が、おれの不調を改善したのだ。
「だから言ったでしょう? それ以上は危険です、と」
「ああ。悪かったよ」
「解ればいいのです。では、魔素をコントロールしてください」
一瞬言われている意味がわからなかったが、すぐに理解した。
(暑い!)
まるで灼熱の砂漠にいるようだ。
魔素の暖房が効きすぎている。
深呼吸をして、適温に戻した。
「もう大丈夫ですね」
「ああ。助かった」
「それはお互い様です。今、勇者に倒れられるわけにはいきませんからね」
眉根を寄せるおれに、
「事後処理が残っています」
サラフィネは指をさしながらそう言った。
その先には、大勢の子供たちがいる。
「おっとそうだった。そういえば、アンナたちは無事逃げられたのか?」
「ええ。大型船に乗って全員無事です」
「じゃあ、モーガンたち奴隷商人と一緒に帰ってきたわけだ。大丈夫だったか?」
イジメられることはないだろうが、自分たちを攫った人間と顔を合わせるのは、苦痛を伴うことであったはずだ。
「ご安心ください。船内での立場は行きとは真逆だったそうです。奴隷商人たちが地下の牢屋に押し込まれ、子供たちは自由に遊んで帰ってきました」
ならよかった。
「んじゃ、事後処理に行きますか。あっ、悪いけど、パープルのこと頼めるか?」
「ええ。彼にはきちんとした裁きを与えます」
「なら、それは任せるわ」
おれは歩き出した。
行き先は、ヒカリのいる釣り船屋だ。
「なんだい。また成生か」
顔を合わせた瞬間、嘆息された。
「礼を言いに来たんだ。ありがとう。助かった」
「それは漁港の男どもに言うことだろ。あたいは関係ないね」
頭を下げるおれに、ヒカリは面倒臭そうに手を振る。
「動いたのは漁師かもしれないけど、ヒカリの提案でもあるんだろ。じゃなきゃ、あれだけの船数は確保できないよ」
確認したわけじゃないが、ほぼすべての漁船がおれたちの救助に参加してくれていた。
そのおかげで一人もあぶれることなく脱出できたのだから、感謝しかない。
そしてそんなことができるのは……
「あんたどこまで知ってるんだい?」
「なにも知らないよ。けど、ヒカリやアンナが中心になって、独善島に売られた子供たちを助けていたんだろうな、とは予想している」
「不正解。それをやってたのはアンナと組合長。二人は本業との兼ね合いで忙しくてね。暇で怠惰な生活のあたいを、お飾りで窓口にしただけさ」
(素直じゃねえなぁ)
けど、それがヒカリの良いところでもあるのだろう。
「それならちょうどいいや。窓口として仕事の依頼をしたい」
「嫌だね」
「まだなにも言ってないぞ」
「こんなはした金しか置いてかないヤツの依頼は、二度とごめんだね」
ヒカリが小銭を並べた。
間違いなく、それはおれが渡したものだ。
そして、少額なのも疑いようがない。
「金の問題なのか?」
「当然だろ。善意で動くのは一度だけさ」
「じゃあ、十分な報酬を出せばいいんだよな?」
「そうだね。けど、あたいたちは高いよ」
親指と人差し指で丸を作り、ヒカリがニヤッと笑った。
「よし。言質は取ったからな。さあ、依頼の話をしよう」
「えっ!? 成生に金はないだろ?」
「ある。少なくとも、三〇〇〇億は用意できるよ」
「う、嘘つくんじゃないよ!」
狼狽するヒカリの浴衣が乱れた。
大事なところは見えていないが、もう少しで見えそうだ。
「ウソじゃない。奴隷商人たちから巻き上げた金があるからな。それを使って、子供たちの願いを叶えてやってくれよ」
「願いって……どういうことだい?」
「親元に帰りたい子は帰してやってくれ。けど、帰りたくない子もいるだろ。帰ったら、また売られる子たちだっているだろうからな。そういう子たちには、生きていける場所を与えてやってほしい。働いて生きていける場所をさ」
保護施設などもあるかもしれないが、出来れば手に職をつけてやりたい。
それがあるとないとでは人生の選択肢が大きく変わるし、潰しが効くなら夢にも挑戦しやすい。
「それにはちょうどいい場所だろ? この町はさ」
鍛冶屋に蕎麦屋に漁師。
出会った全員が、なにがしかの技能を保有していた。
「成生。あんた……意外と策士だね」
ヒカリは浴衣の帯と一緒に、気も締め直したようだ。
他意のないおれとしては、肌色成分が減ったことが残念でならない。
「策士なんかじゃねえよ。こんなことを言うのも、おれ自身の経験からだよ」
IT屋として生きてきた人生に悔いはない。
辛いことや悔しいこともあったが、それと同じくらい幸せも経験した。
だから、奴隷としてしんどい思いをしてきた子たちにも、未来を選ばせてやりたい。
正しい努力をして技術を身につければ、多くの道が切り開かれるのだと。
「本当にその金は工面できるのかい?」
「ああ。約束する」
「わかった。出来る限りの努力は約束しようじゃないか」
「ありがとう」
「礼なんかいらないよ。それより、金を調達してきておくれ。その金額で差配できるモノが変わるからね」
「ラジャー」
交渉成立だ。
踵を返すおれの足は軽かった。
「久々に惚れたよ。あんたになら、抱かれてもいいね」
背後から、そんな艶っぽい声が聞こえた。
(なぜだ?)
急に足が重くなった気がする。
(ここで戻るのは……いくらなんでも格好悪いよな)
その思考が浮かんだ時点でダサいのだが、振り返らなかった自分を褒めてやりたい。
颯爽とした足取りを変えなかったのだから、なおさらである。