113話 勇者の資金調達法
よほど空腹だったのだろう。
熊や猫たちは動くモノを手当たり次第に襲い、喰らっている。
共食いはもちろんのこと、熊が猫、猫が熊を捕食していたりもする。
あっちこっちで血しぶきがあがり、まるで地獄絵図だ。
「二、二〇〇万だ。頼むから……助けてくれ」
商人の男は足を食いちぎられ血みどろになりながら、血で濡れた札束をパープルに差し出した。
「おれもそれだけ払う。だから、早く」
札束の上に、違う男が札束を重ねた。
『助けてください』
懇願する二人に、クチャクチャと咀嚼している猫が近づいていく。
いま救わなければ、彼らは助からないだろう。
しかし、空中に留まるパープルが、動くことはなかった。
どうやら、その額のお布施ではダメらしい。
『あああああああ』
絶望に慟哭し、二人は猫の餌になった。
「伝えておくが、貴殿にも救いはないぞ」
おれが動かなかったのは、ニスが進路を塞いでいるからだ。
というのは方便で、実際のところ、ここにいる奴隷商人たちのために動く気はさらさらなかった。
何度も言うが、これは因果応報であり、彼らに同情の余地はない。
「だれかに救ってもらうつもりはねえよ。商人達と違ってな」
「なら、遵従を誓え。さすれば、マダムの加護を与えよう」
「んなもんいらねえよ。一応、女神の加護を授かってるんでな」
窮地に陥っても助けてくれないものぐさ女神だが……こいつらよりはずっとマシだ。
なんといっても、困難を乗り越える力は与えてくれている。
「やはり、指導が必要だな」
ニスがこれでもかと口角を上げて笑う。
嗜虐心に満ち溢れてた表情だ。
「猫と熊はもとより、お前に負けるつもりもねえよ」
「言っておけばいい。すぐにあいつらと同じようになる」
「五〇〇万。これでどうだ?」
「俺は八〇〇万出す。だから、こいつらより儂を救え!」
ニスの指さす先には、金で命乞いをすることしかできない連中がいた。
その姿は醜く、みっともないことこの上ない。
こんなマネをしなくて済むのだから、ありがたいかぎりだ。
「では、指導を始めるとしよう」
ニスが突進してきた。
お互いの距離は、せいぜい五メートルから十メートル。
普通ならそこまでの加速は望めないが、ステージを窪ませるほど強烈に踏み込んだ脚力が、弾丸のような超スピードを可能にしている。
まともにぶつかれば、大型トラックと激突するくらいの衝撃がありそうだ。
避けることも可能だが、そうするつもりはない。
おれは右手を前に出し、少しだけ踏ん張った。
ドンッという音を立て、ニスのショルダーアタックが直撃した。
「そ、そんな馬鹿な……」
よほど自信があったのだろう。
片手で受け止められたことに、ニスが驚愕している。
「べつに不思議じゃないだろ。おれとお前の実力差を考えればよ」
「それこそ馬鹿を言うな! パープル様の右腕であるこのニスが、奴隷などに劣るはずがない」
「安心しろ。お前が劣っているのは奴隷じゃねえよ。勇者だ!」
ニスの肩を掴む右手に力を込めた。
「ああっ!」
痛みに顔を歪め飛び退ろうとするが、それは許さない。
「やってみてわかったよ。この奴隷商人は最低だ。お前も足を洗ったほうがいいぞ」
左手を振り上げる。
「や、やめろ」
「許しを請う奴隷を救ったことがあるか? ないよな!? なら、この話の末路もわかるよな」
「た、頼」
おれの拳がニスの顔面を捉えた。
「ぐあああああっ」
ヒットする直前に右手を放したこともあり、ニスは吹き飛んでいった。
途中、人や獣を巻き込み、ボウリングのピンを弾くように壁に激突させる。
「やべっ。やりすぎたかな」
二次被害はニスが壁に衝突して収まったが、瓦解し粉塵が舞っている先には、結構な穴が開いてしまった。
「あそこから逃げられるぞ」
目ざとい奴隷商人たちが走り出す。
「あなたたちは本当に愚かですね。言ったではないですか。あなたたちの命は、競売にかけられました、と」
「ちくしょう!」
壁は無くなったが、アンロックシールドに覆われた宮殿からは、だれも出ることができないようだ。
「いくら積めば助けてくれますか?」
パープルを前に、モーガンが土下座した。
「それはあなた次第です」
「わたくしの持てるすべてを差し上げます。ですから、どうかお助けください」
血だまりの広がる床に頭を擦りつけ、モーガンは必死に慈悲を請う。
その姿は醜いが、生きることへの執着も感じさせた。
「具体的な金額を言いなさい」
「二〇〇〇億です」
「いいでしょう」
「ありがとうございます」
このやり取りが救済であるなら、神界も現世も大差ない。
どちらも俗物の集まりだ。
「他の方はどうですか?」
「そこまでの大金は用意できませんが、私も全財産を差し上げます」
「話を聞いていなかったのですか? 私は具体的な金額を提示しなさい、と言ったでしょう」
「八〇〇〇万です」
「残念です。あなたは生きている価値がないようですね」
地獄の沙汰も金次第とはいったものだが、これだけはっきりしているのも珍しい。
「食べてしまいなさい」
主の命に従い、熊が商人に襲いかかる。
「あああっ」
涙しへたり込む姿は、情けないかぎりだ。
「おっさん。おれに払う気はあるか?」
「はあっ!?」
「さっき言った金額だよ。八〇〇〇万払うなら、助けてやってもいいぞ」
「払う! 助けてくれ!」
足に縋りつかれ、商人の垂れ流す涙と鼻水でズボンが汚れる。
(なんか嫌だな)
引きはがそうと足を振るうが、おっさんは一向に離れない。
「邪魔なんだけど……」
イヤイヤと首を振り、おれの足をがっちりとホールドしている。
是が非でも、離す気はないようだ。
「グアアアアア」
襲い来る熊を、おっさんがしがみつく足で蹴り飛ばした。
(すげえ根性だな)
かなりの衝撃のはずだが、おっさんは手を放さなかった。
「ニスが敵わないのだから、グロウベアではどうしようもないか。仕方ない。私が手を下しましょう」
パープルが降りてきた。
「ほかの連中はどうするよ? 全財産おれに払うか?」
『全財産をあなたに渡す。だから、助けてくれ!』
モーガンを筆頭に彼と同額出せる商人たちは迷っているが、そうでない者たちはすぐにおれの誘いに乗った。
「そういうことなんで、わりぃけど、お前の前にあいつらを片付けさせてもらうわ」
おれはいまも暴れている熊と猫をおとなしくさせるべく、動いた。
ボコボコボコ
手当たり次第に殴り飛ばしていく。
ボコボコボコ
一分もかからず、熊と猫の制圧は完了した。
「おおっ! 凄い! やはり勇者は偉大だ!」
手のひら返しは腹立つが、この後のことを考えれば悪くない。
金はいくらあっても邪魔になることはないのだ。
「これでひとまず安心だな。だから、離れてくんねえかな」
最初のおっさんは、いまだにおれの脚にくっついている。
「私に歯向かったこと、必ず後悔しますよ」
「これからあいつと戦うんだぞ。そのままでいいのか?」
おっさんが瞬時に離脱した。
機を見るに敏なり、とはいったものだが、その動きは鋭かった。
一瞬、おれですら見失ったほどである。
「部下は役立たずで、アホどもには楯突かれ。あ~っ、イライラする」
パープルがガシガシと髪を掻きまわす。
メッキが剥がれてきたようだ。
「イライラしてるのは、おれも同じだよ。むしろ、積り積もった感情は、おれのほうがデカイからな」
「うるさい! 商売を滅茶苦茶にしやがって! お前ら全員皆殺しだ!」
「やれるもんならやってみろ。お前ともども、独善島を終わりにしてやるよ!」