110話 勇者は独善島に行く手段を探す
控室を出て、おれたちは港のはじっこにある釣り船屋に移動した。
「女将。こいつの話を聞いてやってくれ」
「信用できんのかい?」
「ああ。責任は俺が持つ」
「なら、奥に行きな」
組合長に背中を押され、おれは店の奥へと歩き出す。
どうやら、ここからは一人で行くようだ。
「こっちだよ」
声のほうに進むと、そこには三〇半ばぐらいの女性がいた。
起きたばかりなのか、畳みに敷かれた布団の上に座り、右ひざを立てている。
(おいおいおい。あっぶねえなぁ~)
彼女は自分が浴衣タイプの寝間着を羽織っている、と認識しているのだろうか。
大事なところは見えていないが、着崩れた隙間からポロリしそうで、ヒヤヒヤする。
「組合長の紹介だし、一応名乗っておくよ。ヒカリってんだ。よろしく」
長い髪を掻き上げる仕草には、独特の色気があった。
思春期真っ只中の少年なら、目が離せないだろう。
(色んな意味で危険だな)
こんなとき、大人でよかった、と思う。
おれぐらいの年齢と経験を持ち合わせていれば、視線を合わせてにこやかに会話をすることぐらい、朝飯前だ。
「おれは清宮成生。突然で申し訳ないんだけど、独善島について教えてもらえるかな」
「行きゃあわかるよ。あそこが最低だってことはね」
「行く方法は?」
「停泊してる船に乗りたいなら奴隷として働くしかないけど、素性が知れないうえに、馬鹿の上をいく怪力を受け入れることはないだろうね」
やはりそうなのか。
話を聞いてもらうためとはいえ、力を誇示したのは間違いだったかもしれない。
「もしどうしても潜り込みたいなら、まずは魔素を消しな」
「あっ、それそれ。ほかの人はどうしてこれをしないの?」
「魔素が枯渇したらしばらく動けなくなるからね。海の上だったり雪の降る中でそうなっちまったら、最悪死んじまう可能性だってあるだろ」
「そっか。魔素が枯渇すると、動けなくなるんだ」
それは知らなかった。
ただ、思い当たる節はある。
二度目の異世界で知り合った勇者ベイルが、魔法を放った後にぐったりしていた。
あれはそういうことだったのだろう。
「でも、おれはなんともないけどな」
「成生が異常なのさ」
たしか、ニナもそんな風に言っていた。
色々便利だから悪いことではないのだろうが、自分で判断できないのは困ったものだ。
もしかしたら、この先不自由なことが起きてしまうかもしれない。
「これでどうかな?」
おれは試しに、魔素の暖房を消してみた。
「上出来だよ。それなら一般人を装えるかもね。でも、面が割れてるだろうから、奴隷は諦めな」
「了解。なら、ほかに方法は?」
「商人になるしかないね」
「それは無理だ。扱う品がなにもない」
おれは身一つでここにいるし、仕入れる金もない。
「奴隷ならすぐ手に入るよ」
かぶりを振った。
それは絶対にしてはいけないし、許されないことだ。
道徳的な側面が大きいが、それ以上におれの矜持が許さない。
フリーランスとして、ある意味でおれは自分を売ってきた。
けど、それは売り手であると同時に、買い手でもあったからだ。
相手がどれほど偉く高収入を提示されようとも、依頼が気に入らなければ突っぱねてきた。
(自分の進む道は、自分で決める)
それが出来たからこそ、おれはフリーランスとして生きてきた。
けど、この世界で奴隷になる者に、拒否権はないだろう。
堕ちた経緯もさまざまだ。
自業自得の者もいるだろうが、嵌められたりした者もいるはずだ。
後者を利用することは、あってはならない。
いや、絶対にしてはいけないのだ。
それをしたら、おれはおれでいられなくなる。
「なら、密航しかないね。ただそうなると、安全は保障できないよ」
正直、おれ一人なら大丈夫だ。
けど、ザラのことがある。
万が一はあるかもしれないが、可能なかぎり身の安全は担保してやりたい。
「ほかの方法は本当にないのかな?」
「あるよ」
ダメもとだったのだが、答えは思っていたのと違った。
「けど、それは教えられない」
なんで? とは訊かなかった。
答えは聞かなくても予想できたから。
早い話、定期船に乗れないのなら、臨時便を出せばいいのだ。
港に船はたくさんあるのだから、無茶な要求ではない。
それこそ組合長のおっちゃんに頭を下げて頼めば、出してくれる可能性は高いと思う。
けど、それは危険な行為にほかならない。
最悪、独善島の悪者に目を付けられ、おっちゃんたちが奴隷として売られる可能性だって否定はできない。
そんな危険な橋を、見返りがないおれのために渡るべきではないし、渡らせてはダメだ。
「わかった。無理強いはしないよ。けど、これから独善島で事件が起こるのだけは間違いないんだ。もしそのとき、おれ以外のだれかを救えるなら、救ってほしい。もちろんできる範囲でかまわないよ。少ないけど、これが報酬だ」
サラフィネから貰った硬貨を置いた。
「これっぽっちで動くと思うかい?」
「思わない。けど、可能性はゼロじゃないだろ!?」
「ゼロだよ」
「だとしても、おれはヒカリに託すよ」
「いい迷惑だね。サービスしてやるから、とっとと失せな!」
寝間着をほんの少しだけはだけさせ、サービスショットを拝ませてもらった。
スケベなら飛びかかって押し倒すのだろうが、ここでヒカリとの信頼関係を崩すわけにはいかない。
(息子が反応する前に帰るかな)
後ろ髪引かれながら、おれは釣り船屋を後にした。