109話 勇者は港で働いた
蕎麦屋を出たおれは、独善島行きの船に手を出すことはせず、同じ港に停泊している漁師のおっちゃんに話を聞くことにした。
「あの船ってさ」
「やめとけ、あんちゃん。関わらんほうが身のためだ」
「少しだけ」
「その少しが、命取りになる可能性だってあるんだぞ」
ごもっともだが、ここで引くなら最初から訊いてはいない。
「少しでいいからさ、頼むよ」
「駄目だ」
呆れたきったため息を残し、漁師のおっちゃんは歩き去ってしまった。
ほかの漁師にも声をかけたが、皆一様に取りつく島もない。
「ダメだな」
後ろ髪をかきながら、一人ごちる。
想像以上に口が堅い。
…………
「ヤベェ船なの?」
それでもあきらめず、おれは声を落として訊いた。
「ああ、そうか。あんちゃんここのもんじゃねえんだな。なら、知らなくてもしょうがねえか」
たった一人だけ、反応が返ってきた。
おっちゃんいわく、積もる降雪の中、七分丈でウロウロしているのは地元の人間ではないらしい。
思い返せば……声をかけたすべてのおっちゃんが防寒着を身に着けていた。
なぜだろう?
作業のしやすさを考えれば、薄着のほうがいいはずだ。
「バカも休み休み言え。そんな風に魔素を消費してたら、死んじまうよ」
訊いたおれに、おっちゃんは呆れながらそう答えた。
ということは、魔素を消費しすぎると死ぬのだろうか?
これは確認が必要だ。
けど、いまはそれよりも優先しなければならないことがある。
唯一会話をしてくれるこのおっちゃんから、聞けることは聞いておきたい。
「おっちゃんの読み通り、おれよそ者だからさ。地元のルールとかわかんないんだよね。教えてくれないかな?」
礼儀は大切だ。
けど、ときとして無知を装いズケズケいくことも、必要なのである。
「仕事中だよ。よそを当たんな」
「手伝うよ。だからお願い」
「あんちゃんみたいな素人に頼む仕事なんかねえよ」
「こう見えて碗力には自信があるんだよ。見ろや、この筋肉!」
手近にあった重そうな木箱を、腰の高さまで持ち上げた。
「おおっ」
おっちゃんが感心したような声をあげたので、さらに胸まで持ち上げてみせた。
「中々どうして。やるじゃねえか」
ここが勝負だ。
「せいっ!」
おれは重量挙げの選手がごとく、木箱を頭上に掲げた。
「素晴らしい! けど、その箱は大事なもんだから、そっと置け!」
「はい」
指示通り、そっと置いた。
「よし。それでいい。中々素直だな。気に入った。あんちゃん、これを運んでくれ」
結果オーライだ。
これで話が聞ける。
けど、まずは仕事だ。
始まってすぐにぺちゃくちゃ喋りだしたのでは、せっかくほぐれた関係が再度硬化してしまう。
「船から降ろせばいいんすか? それとも、違うとこに運ぶんすか?」
「まずは陸にあげてくれ。その後で市場に運ぶからよ」
「わかりやした」
おっちゃんの船には、若い衆と評される中年男性が三人いた。
おっちゃんを含めて四人なので、二人一組で木箱を運んでいるようだ。
中身は獲った魚と、鮮度を保つ氷。
パンパンに詰まっているので、なかなか重そうだ。
漁場での作業も相まり、おっちゃんたちには重労働なのかもしれない。
けど、おれなら余裕だ。
感覚としては、発泡スチロールを持ち上げるのと同等ぐらいだ。
「よっ。ほっ。はっ」
おっちゃんたちが一つ運ぶ間に、おれは三つくらいイケた。
バランスを保つ自信があれば、すべてを重ねて一発で運ぶことも可能だと思う。
「すげえな、あんちゃん。悪いんだけどよ、後でおれのほうも手伝ってくんねえかな?」
港にいたべつのおっちゃんが声をかけてきた。
「いいけど、こっちが片付いてからでいいっすか」
「もちろんもちろん」
「んじゃ、後でいきますよ」
「いや、いますぐ行っていいぞ。おれたちの船の荷下ろしは、ほぼ終わったからな」
おっちゃんの言ってることに偽りはないが、これから市場に運ぶ作業が残っているはずだ。
「いいのかい?」
声をかけてきたおっちゃんも、気にかけている。
「ああ。後は荷車があるから大丈夫だ」
「じゃあ、悪いけど借りてくね」
「おう。ああ、それとあんちゃん。礼は必ずするかんな」
おっちゃんに手を上げて応え、おれは二人目のおっちゃんの船にむかった。
まあまあの大きさの船で、十人前後の作業員が忙しなく動いている。
「さっそくでわりいが、荷下ろしを手伝ってくれ」
豊漁だったのだろう。
運ぶ荷は多そうだ。
「これですよね?」
甲板にはたくさんの木箱があるが、その横にほかの木箱より三周りくらいデカイ木箱もある。
「おう。そこにある全部そうだからよ、頼むわ」
「あいよ」
早速作業に取り掛かろう。
(んん!? おおっ!)
マグロだ。
大きい箱の荷物の蓋が締まっておらず、高級魚と目が合った。
(焼きや煮つけも捨てがたいが、刺身一択だな)
久しぶりのごちそうを前に、じゅるりとよだれが垂れそうになる。
「それは後でやるから、まずは小さいのから頼むわ」
船員に声をかけられ、おれは我に返った。
(イカンイカン)
リアクションが完全に野良猫のそれだ。
意識を保ち、しっかり働かなければ。
「後でやるってことは、これも運ぶんすか?」
「みんなでな。一人じゃ無理だぞ」
「よいしょ」
持ち上がった。
(うん。イケるな)
多少重さは感じるが、まったく問題ない。
怖いのは、傾いた拍子に中身が零れることだけだ。
「ちょっと道開けてくれ」
足取りに注意しながら、おれはマグロの入った木箱を降ろした。
それからもひょいひょい荷下ろしを続け、作業はすぐに終わった。
というより、途中からおればかり働いていた気がする。
「すげえな」
「すげえぞ」
「すごすぎる」
皆同じようなことを口にするだけで、手を止めていた。
「悪いんだけどさ……」
またべつの漁船から手伝いを頼まれた。
「いいっすよ」
これを何度か繰り返し、おれは作業していたほぼすべての漁船の手伝いをすることとなる。
(独善島の船からも誘いがかかるかな?)
などと若干期待もしたが、最後まで声がかかることはなかった。
「あいつらは奴隷に働かせるだけだからな。作業の効率だなんだは関係ねえのさ」
市場の控室でお茶をごちそうになりながら、最初のおっちゃんがそう教えてくれた。
ちなみに、このおっちゃんはこの漁港の組合長らしい。
「連絡もなしにドカッと船を着岸させて、やりたい放題さ」
グチが止まらない。
聞けば、おれが手伝った何隻かは、荷物も略奪されたそうだ。
「それに比べてあんちゃんは……本当に助かったぜ。なんなら就職するか? あんちゃんなら、どこでも受け入れてくれるだろうぜ」
ありがたいが、おれにその気はない。
ここにいるのも、話を聞くためだ。
「わりぃ。冗談だよ。でぇ、なにが訊きてぇんだ?」
「あの船のことと、乗り込む手立てがあるのかないのか。それと、これが一番重要なんだけど、あの船に乗らず独善島から帰ってくる方法はあるのかな?」
「あんちゃん、訳ありだな」
おれは首肯した。
「わかった。なら、紹介したいやつがいる。付いてきな」
この後、もう一本投稿します。