108話 勇者はロイド家の妻と出会う
どこに行くのかな? と思う間もなく、美女は施錠されたドアを開けた。
「こっち来な」
中に入るようだ。
ということは、あそこから出てきたのだろう。
「見つかると面倒だから、早くしておくれ」
言葉とは裏腹に焦るそぶりはないが、人目につくのもよろしくない。
おれは早足でドアをくぐった。
長方形の石畳が敷かれたそこは、取り立ててなにもなかった。
六畳ぐらいの広さは、留置所を想像させる。
「よっ」
美女が一枚の石畳を持ち上げた。
「手伝おうか?」
「必要ないから、さっさと行っておくれ」
石畳の下にあったのは、地下に続く階段。
結構深そうだが、ためらったりはしない。
おれが階段を降り始めてすぐ、上からの明かりが消えた。
美女が石畳を元に戻したのだろう。
「ライトニング」
代わりに、魔法の明かりが点された。
思った通り、だいぶ深いようだ。
降りても降りても終わりが見えない。
(んん!?)
空気が変わった。
暖かくなると同時に、湿度が増した感じがする。
(これはあれだな。プールや浴場に近づいたときに感じる、ジメジメムシムシだな)
服が肌に纏わりつくことから、勘違いではない。
降りる段数が増えるごとに、その感覚は強くなる。
(この先に原因があるんだろうな)
やっと終わりが見えてきた。
残り数段も降りれば、広間に出そうだ。
「きゃはははは」
「あはははは」
「やめろよ~」
行きついた先では、子供たちが楽しそうに遊んでいた。
どの子も線は細いが、獣人もそうじゃない子も、一緒くたに駆けずり回っている。
笑顔の広がる光景に、おれはほっこりした。
独善島に関わってから、こんな気持ちは初めてだ。
「どうだい?」
「とてもいいと思うよ」
胸を張る美女を、おれは拍手とともに称賛した。
唯一の難点は、広場の中央に湯の湧いた底の浅いプールみたいなものがあることだけだ。
(アチい)
ブクブクと気泡が沸き上がっているから、一〇〇度は優に超えているのではなかろうか。
間違いなく、あれがジメジメの原因だ。
「あっ、アンナさん、おかえりなさい」
子供たちが美女に気づき、駆け寄ってきた。
その安心しきった表情からして、彼女が慕われているのは一目瞭然だ。
「おっ!?」
その一団に、顔見知りがいた。
「おか……あんた! 何しに来たのよ!」
笑顔から一転。
たれ目を吊り上げ、ザラが猛烈な勢いで突進してくる。
「この裏切りもんが!」
見事なドロップキックだ。
避けることは可能だが、おれはそれをしなかった。
「ぐふっ」
真正面から受け、大げさに倒れてみせた。
これで気持ちも晴れるだろう。
「ザラ。あんた、何してんだい!?」
「奴隷商人を成敗したに決まってんじゃない」
「バカ言ってんじゃないよ! この人はサラ様が遣わせた勇者殿であって、奴隷商人なわけないだろ」
「おかっつあんとサラ様は騙されてるの! あたしがこいつに何をされたか知ってる? 娼婦として身売りさせられたのよ!」
半泣きで抗議するザラに、おかっつあんと呼ばれた美女がため息を吐いた。
「男をとったのかい?」
「バババ、バカ言わないでよ」
ザラが真っ赤になって、首と掌をブンブン左右に振っている。
「なら、実質的な被害はないじゃないか。むしろここまで安全に運んでもらえたんだから、感謝してもバチは当たらないだろ」
「それは結果論でしょ!? 一つ違えばあたしの貞操は……」
「そんなもんに興味はないね」
「それが母親の言うこと?」
親子喧嘩が始まった。
こうなったら、口出しは無用だ。
黙って決着を待つしかない。
「大体身売りさせられたのも、あんたが勝手に付いてきたからだろ?」
「それはそうだけど……信用できなかったんだもん」
「なら、なんでその信用できなかった男の提案に乗ったのさ。仮に騙されたんだとしても、あんたが悪いんじゃないのかい!?」
「…………」
ザラは二の句が継げず、唇を噛んだ。
この喧嘩、母の勝ちだ。
「あんたは昔からそうじゃないか。思い込みと決めつけがやたらと多いし、変なところで意固地になる。だからいつまで経っても、職人として評価されないんだ」
母のダメだしが止まらない。
聞いてるこっちもツライが、当人であるザラはもっとツライ。
というか、すでに半泣きだ。
「今回のことだって例外じゃないさ。どうせ上っ面だけ見て首突っこんだんだろ!? もしかしたら、あんたが勇者殿の足を引っ張ってるかもしれないんだ。ねえ、勇者殿」
(こっちに話を振らないでくれよ)
どう言ったところで、おれに得はない。
「わかったかい。無言が答えだよ。あんたがこれ以上責められないように、勇者殿は余計なことを口にしないってさ」
そうではない、と言えないところが苦しい。
結局のところ、母の指摘通りなのだ。
ザラがいなければ、おれは違う形で密航していた。
だから、足を引っ張られたと言えば引っ張られた。
けど、それは微々たるものであり、差し支えないと言ってしまえばそれまでである。
「くううう、あんたのせいだ」
「そういうところが駄目だって言ってんだろ」
爪を噛んでおれをにらむザラの頭を、母が叩いた。
「ったく、あんたがいると話が進みゃあしない。ちょっとあっち行ってな」
「ヤダッ」
「じゃあ、そこで大人しくしてるんだ。いいね」
「うぐぐぐぐぐぐ」
大人しく座ったものの、ザラは歯ぎしりをさせ、おれをにらみつけている。
「そういえばお互い名乗っていなかったね。私はアンナ・ロイド。勇者殿に仕事を頼んだアルベル・ロイドの妻で、この子の母親でもある」
わしゃわしゃと娘の髪を撫で回す様は野蛮だが、そこには愛情も透けて見えた。
事実、ザラは嫌がるような素振りも見せているが、アンナの手から逃れようとはしていない。
「おれは清宮成生。清宮が名字で、成生が名前」
「キヨミヤナルオ。珍しい名前だね」
「呼びにくかったら、勇者殿でもてめえでも、なんでもいいよ」
「ははっ。別に呼びにくかないさ。でも、ありがたくナルオと呼ばせてもらうよ」
「じゃあ、おれはアンナさんと呼ばせてもらおうかな」
気さくな対応は話がしやすい。
ここにいる子供たちに笑顔が多いのも、アンナの人柄によるところが大きいだろう。
「そういえば、この子たちは島に売られた子でいいのかな?」
「ああ。全員が借金の形や誘拐されてきた子供たちだね」
「上で競売にかけられている子は?」
「全員を救うことは出来ないんだ」
爪を噛むアンナからは、やりきれない思いがにじみ出ていた。
「悪い。責めているわけじゃないんだ。ただ、現状を確認したかっただけだから」
「わかってる。けど、悔しいもんに変わりはないさ」
その想いには共感できる。
と同時に、現状の困難さも理解できた。
あらためて確認しなくても、子供たちの線が細いのはあきらかだ。
それは満足に食べられていない証拠であり、食糧不足を露呈している。
食い扶持が増えればそれはさらに進み、最悪餓死者を出す可能性だってあるだろう。
ただ、問題はそれだけにとどまらない。
もし仮に食糧事情を改善できたとしても、事態が大きく好転することは望めなかった。
なぜなら、この子たちは奴隷として連れてこられた商品だからだ。
それらすべてが消えたとなれば、商人たちは血眼になって探すだろう。
そしてここも見つかり、ほんの少しの救われる命すら消失するはずだ。
「だから、サラフィネを巻き込んだのか?」
「流石は勇者だね。話が早い」
(やっぱそうなのか)
正直、途中からおかしいとは思っていた。
最初の話では、アンナは独善島にテンジストの採取にむかい、その際に危ない橋を渡った形跡があるから、救助に行ってほしい、というシナリオだった。
けど、モーガンを信じるなら、独善島は資源のない場所だ。
冷えて固まった溶岩や火山灰が貴重な資源テンジストである可能性はあるが、独善島でしか採取できない、ということはないだろう。
もし仮にここが神界唯一の活火山であり、ここでしか採取できない資源があるのなら、無法者たちをのさばらせておくはずがない。
「ナルオの読み通り、私がサラフィネ様に頼んだのさ。仕事を受ける報酬に、独善島の子供たちを助けてほしいってさ。気を悪くしたかい?」
「いいや」
「そうかい。ありがとう」
「礼は必要ないよ。報酬を求めるのは当たり前だからね」
問題があるとすれば、仕事内容を偽ったサラフィネだ。
こっちは問い詰める必要がある。
「でも、流石はサラフィネ様だ」
「感心する意味がわからないな。あの悪徳女神の、どこが流石なの?」
訊くおれに、アンナは笑みを浮かべてこう言った。
「ナルオを派遣してくれたことさ」
益々もってわからない。
おれはまだ、なにもしていない。
「船で暴れたろ?」
ギクッとした。
(まさか……バレてる?)
「あそこには私たちの仲間もいたからね」
証拠は掴まれているようだ。
と同時に、アンナたちが子供を匿える理由もわかった。
独善島に運ばれた奴隷は健康チェックなどをされた後、競売にかけられる。
だから、目録に連れてきた奴隷が記載されていなくとも、商人は文句を言わない。
抗議をして、オークションから締め出されるほうが損だからだ。
(たぶん、裏ルートもあるんだろうしな)
直接の売買や特定のオークションへの参加不参加を協議している場面もあった。
どの子がいなくなればより騒ぎが大きくなり、どの子なら波風が立たないか、それを調査し匿うのは、船員として紛れ込んだ者が行うのが、一番確実で安全だ。
「殴ったこと、謝っておいてくれ」
被疑者が身内にいるなら、しらばっくれるのは無理だ。
「大丈夫、だれも気にしてないさ。むしろ帰りの手立てを確保してくれたんだから、感謝してるぐらいだよ」
「おかっつあん、それどういうこと?」
(まあ、理解はできないよな)
二手に分かれたおれがなにをしていたか、それを知らないかぎり、答えは出ない。
「私から話そうか?」
出来れば語りたくはなかったが、言わなければいけないようだ。
「あ~、そのだな」
おれはザラと別れてからのことを語りだした。