105話 勇者、入島する
出港してから三日が経った。
海は穏やかで荒れることもなく、健やかな時間が流れている。
甲板を吹き抜ける風も同様だが、塩気を含んでいるため、少々肌にまとわりつく。
「ガッハッハッ! 酒だ! 酒持ってこい!」
「女と肴も忘れるなよ」
乱痴気騒ぎを視界の端に追いやり、おれは船中に戻ることにした。
階段を下りたフロアーにおれ専用の個室があるのだが、そこには寄らずもう一つ下のフロアーを目指す。
「この裏切りもんが! 何しに来た!?」
目が合った瞬間、ザラが吠えた。
(まあ、当然だよな)
牢屋に入れられていることを、不満に思わない者はいない。
「定時確認だよ」
商品チェックを理由に、おれは日に何度も様子を見に来ている。
それもこれもザラの安全を考えてのことなのだが、
「いますぐここから出せ!」
その気勢が衰える気配は一向にないし、配慮が伝わることもなかった。
「あんたは殺す! 絶対に殺してやるからね!」
むしろ加速している気がする。
「ひどい扱いは受けてないか?」
「あんたの目は腐ってんのか! 牢屋にぶち込まれて、待遇がいいわけないでしょ!?」
格子にしがみ付き怒鳴る姿は、おサルさんのようだ。
(元気があって非常によろしい)
ザラは意識していないだろうが、不満をぶつける行為は同じ境遇の者たちからすれば代弁者でもある。
それでストレス発散になるのなら、存分にぶつけてほしい。
けど、そんなことが出来るのも、ほかにストレスがないからだ。
一〇人ほどが雑魚寝できる広さを、ザラを含めた四人で使用できているのは幸運である。
「奥に行けば行くほど、かわいそうなんだぞ」
ザラが少し大人しくなった。
彼女も理解しているのだ。
奥のほうから、複数の子供の泣き声が聞こえることを。
「あたしはいいから、助けてあげなさいよ」
そうしてやりたいが、出来ない理由がある。
「ここにいたほうが待遇はいい」
「んなわけないでしょ!」
怒るのもわかるが、本当だからタチが悪い。
出航してすぐに始まったどんちゃん騒ぎにより、大多数の船員が酒と女に溺れている。
正直、あの状態でよく正常な運航が出来ているな、と感心するが、奴隷や小間使いが必死に働いているからどうにかなっているのだ。
過労で動けなくなった者は海に捨てられ、新たな奴隷が補充される。
それは見ていて気持ちの良い光景ではなく、
(あいつら、マジで沈めてやろうかな)
と思ったことは数知れない。
もしほかに独善等に行く方法があるのなら、おれは躊躇なくそれを実行し、醜態をさらすバカどもを母なる海に沈めただろう。
けど、それはできないのだ。
奴隷を解放したところで操船技術のない状態では、漂流することになってしまう。
食料にかぎりもある中、それをするのは悪手にほかならない。
なら、命の保証をされているここにいたほうがマシだ。
(だいたい、あんな野ざらしの娼館みたいな所に、子供を連れて行けるかよ)
まともな精神状態であるおれには無理だ。
油断しているとこちらの服を脱がそうとしてくるのだから、なおタチが悪い。
思い出しただけでも気が滅入る。
いっそあの状況を楽しめるメンタルがあれば幸せなのだろうが……ダメだ。
ああいうのは、本当に好きじゃない。
「安心しろ。外も似たり寄ったりだよ」
オブラートに包んだ言葉は伝わりにくいかもしれない。
けど、なにかを悟ったような表情をしているはずのおれを見て、真実だと感じてほしい。
おれのような暇人とザラたち囚人の世話係を申し付けられた奴隷だけしか姿を見せないここは、ある種の楽園でもあった。
船長や船員の姿を見ないでいいのだから、考えようによってはここが一番まともで平和かもしれない。
「じゃあ、あんたは何しに来てんのよ!?」
心の平穏を求めて、とは口に出来ない。
口にしたが最後。
『こっちはずっと不安だけどな!?』
牢屋にいる全員にそう返されるだろう。
「様子見だよ。大事な娘が手籠めにされても困るだろ?」
「そう思うならここから出しなさいよ!」
「いや、それはさすがに無理だな。おれ、一応奴隷商人ってことになってるからさ」
「あんたは立派な奴隷商人よ! あたしを売ったんだからね!」
「それについては説明したろ? 乗船のためにはしかたがなかったんだよ」
詭弁ではあるが、理解してもらいたい。
「馬鹿言ってんじゃないわよ! これなら殴り合ったほうがまだマシよ」
牢屋にぶち込まれれば、そう思いたくなるのも理解できる。
けど、それは得策ではない。
繰り返しになるが、船を乗っ取ったところで操船はできないし、できたとしても航路に独善島があるのかは知る由もない。
なにせ、おれもザラも独善島の位置を知らないのだから。
なら、商人などを装い仲良く独善島に連れて行ってもらうのが最良である。
むこうに着いてしまえば仲間を装う必要はないし、船員を煮ようが焼こうが存分にすればいい、ということを口を酸っぱくして何度も説明しているのだが、ザラは聞く耳を持っていなかった。
「出しなさい! いますぐ鍵を開けなさいよ!」
この一点張りだ。
「もうすぐ島に着くらしいからよ。そしたら、嫌でも出ることになるよ」
平穏を求めてもあるが、おれが牢屋に足を運んだのは、それを伝えるためでもあった。
「そういうことじゃないわよ! あたしはいますぐ自由になりたいの!」
「うるせえぞ! おら、売女ども。楽園に到着だぞ」
船員たちが階段を降りてきた。
(生ぐせえ)
鼻をつまみたくなるほど、なんとも言えない体臭を漂わせている。
「へへっ、お楽しみの時間が近いな」
下卑た笑みを浮かべながら、牢屋の鍵を開けていく船員たち。
全員が強烈なアルコールの混じった異臭を漂わせているが、足取りのおぼつかない者はいないようだ。
「おら、順番に出ろ」
船員の命令に応じ、怯えながら格子をくぐる娘たち。
「きゃっ」
その際、もれなく小さな悲鳴をあげている。
すれ違いざま、船員たちが娘たちの尻を撫でているのだ。
(どうにもなんねえな、こいつら)
ほかの奴隷商人の所有ではあるが、彼女たちは立派な商品なのだ。
お手付きになれば、価値が下がる生娘だっているだろう。
「おさわり禁止」
と制止しようとしたが、その必要はなかった。
「きゃっ!」
よろめくフリをして、ザラが船員のみぞおちに肘撃ちをぶちかましていた。
「げふっ」
うめき、船員がノックダウンした。
「ごめんなさい」
謝りながらも、去り際に船員の頭を踏みつけ、つばを吐きかけていた。
(悪役レスラーみたいなやつだな)
呆れながらも、おれは心中で親指を立てる。
「あっ、ごめん」
どさくさに紛れ、おれも船員を踏みながら甲板に戻った。
「ようこそ。独善島へ」
そこには迎えの紫髪の天使がいた。
身なりは小綺麗だが、背中の翼は片翼がない。
顔に笑みが張り付いているが、笑っている雰囲気は微塵もうかがえない。
視線も、奴隷として運ばれてきた少女たちを見定めている。
「まあまあですね」
値踏みをしていることを隠そうともしない。
「では、商品であるみなさんは彼女に続いて身なりを整えてください。商人のみなさんは、こちらにどうぞ」
片翼の男の案内で、おれは独善島に足を踏み入れた。
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