104話 勇者は奴隷商人にジョブチェンジする
「遅い!」
一仕事終え蕎麦屋に戻った瞬間、ザラに文句を言われた。
「そっちは早かったみたいだな」
テーブルには空のざるとどんぶりが置かれている。
食欲旺盛でいいことだ。
「嫌味はいいから、結果を聞かせなさいよ」
「う~ん。密航は難しそうだな」
中も外も、とにかく人が多い。
船員、業者、小間使いに奴隷と、選り取り見取りである。
それらの目を盗んで密航できたとしても、発見されないまま独善島に着くのは不可能だ。
「そっちはどうだった? 話は聞けた?」
「知り合いもいるから楽勝。で、その人たちが言うには、おかっあんが来たのは間違いなくて、何人かには独善島に行くとも残していたらしいわ。ただ、船に乗る姿を見た人はいないみたい」
密航だろうから、それは致しかたない。
「じゃあ、独善島に行く目的は?」
「テンジストの収集よ」
「母ちゃんがそう言ってたのか?」
「それ以外に行く意味なんてないもの」
「まあ、そうだよな」
話の順番からいって、そう考えるのが妥当である。
けど、釈然としなかった。
根拠や確証はないが、おれにはべつの可能性があるような気がしてならない。
「あのさ……いや、いいや。おっちゃん、かきたまそば一杯」
「あいよ」
眉根を寄せるザラを尻目に、おれは出てきた蕎麦と一緒に、口にしかけた言葉を呑みこんだ。
「密航が無理ならどうするのよ?」
「そこは問題ない。船には乗れるように手配しておいたよ」
「はあ!? あの船に!? どうやったの?」
「話し合いに決まってんだろ。っても、まだ本決まりじゃねえけどな」
ザラが疑いの視線をむけてくる。
当然であり、不快感はない。
自分が言ってるのでなければ、おれも同じリアクションをしていただろう。
「実はさ、潜入したときに見つかっちゃったんだよね」
てへっ、てな感じでおどけてみせたが、ダメらしい。
顔を真っ赤に染めるザラは、怒り心頭だ。
「怒るのはわからないでもないが、まあ待て。話は最後まで聞くもんだ。たしかにおれは見つかった。けど、問い詰められたおれは咄嗟に、行商人です、ってウソをついたんだよ。そしたら不思議。歓迎されて乗船を快く許可された、というわけだ」
「嘘だ!」
「おれもそう思う。けど、本当なんだよ」
「証拠は? あるなら見せなさい」
「少し前に言ったろ。話は最後まで聞けって。それと、乗船に関してもまだ本決まりじゃない、とも言ったよな?」
気色ばむのも無理はない。
母親の安否だけでなく、自分の安全すら脅かされそうな状況で聞かされている話は、ひどくあやふやなモノなのだ。
冷静さを保てというほうが、土台無理である。
「ごめん」
ザラが頭を下げた。
(無理だと決めつけてはいけなかったな)
意外だったが、素直に謝れるのなら問題ない。
「気にすんな。で、話の続きだが、船に残っていた船員たちからの許可は取ったが、港に降りた船長クラスの許可がまだなんだよ。彼らの許可がなければ、船内での安全は保障できないそうだ」
「あのならず者どもに頭を下げるの!? 死んでも嫌!」
「安心しろ。それはおれがやる。ザラは横でニコニコしてればいい」
「無理ね。あいつらの顔を見たら、ハンマー投げたくなる」
昔、ファミコンに二足歩行のハンマーを投げてくるカメがいたが、現実にも存在したらしい。
気持ちはわからないでもない。
けど、それをしてはダメだ。
独善島に行く手段がなくなった瞬間、今回の依頼は詰む。
「どうしても我慢できないか?」
「無理ね」
「それは困るんだよな。ザラが隣にいないと、許可が下りない可能性があるんだよ」
これはウソではない。
というより、ザラが交渉の切り札なのだ。
「目をつぶっててもいいから、その場にいてくんねえかな」
「…………」
ザラはもごもごとなにかつぶやいている。
内容は聞き取れないが、葛藤しているのだろう。
ならず者たちに媚びるのは嫌だが、母親は助けたい。
そんな思いが、ザラの心で戦っているのだ。
「……かった」
「え!? ごめん。聞こえなかった」
「わかった! って言ったの!」
「よしきた。サンキュー。んじゃ、さっそく交渉にいこう。おっちゃん、お代はここに置いとくよ」
「まいどあり!」
食い終えたどんぶりと金を机に置き、おれはザラの手を引いて店を出た。
目指すは、船長たちがいる宿屋だ。
「いらっしゃいませ」
軒先をくぐると、すぐに番頭らしき男が出てきた。
「お客様、本日はどのようなご用件ですか? もしお泊りを考えでらしたら、他のお宿をご利用なさったほうが賢明ですよ」
番頭はザラを見ている。
連れに若い娘がいるならここには来るな、というアドバイスだ。
そこには優しさもあるのだろうが、玄関まで聞こえてくる乱痴気騒ぎを広めたくない、という思惑も感じられる。
「おれたちはこの宿に用があるんだ」
「当宿にですか? ご予約は承っておりませんが」
台帳に記載がないのは当然だ。
なにせ、おれがここに来るのは初めてなのだから。
「失礼。言葉足らずだったね。おれたちが用のあるのは、奥で騒いでいる船長さんたちだよ」
「こ、これは失礼しました。な、な、何卒、お許しください」
番頭が床に額を擦りつけて謝る。
親切心での忠告も、本人たちに言えば悪口にほかならない。
「大丈夫だよ。おれたちはあいつらの仲間じゃないし、機嫌を損ねるようなこともしないよ」
告げ口はしない、と遠回しに言ったわけだが、理解してくれただろうか。
「ありがとうございます」
よかった。
伝わった。
「それじゃあ、船長さんたちの座敷の前まで案内してもらえるかな」
「はい」
番頭の先導で廊下を進む。
「うへぇっ」
異臭に気持ちが悪くなる。
しかも、奥に行けば行くほど、酒と体臭が混じった生臭さい異臭が強くなっている。
鼻が曲がりそうな悪臭に表情をしかめ、ザラは鼻をつまんでいる。
慣れたモノなのか、番頭だけは表情一つ動かさない。
「ここです」
最奥の部屋の前で、番頭が足を止めた。
「…………」
なにか言われたが、部屋から漏れる大声にかき消され全然聞こえなかった。
確認しようにも、番頭はすでに踵を返している。
いきなり突入してもいいのだが、一応おれは襖縁をノックした。
………………
反応がない。
聞こえていないようだ。
「すみません。少しお時間いいですか?」
襖が開いた。
「げっ」
飛び込んできた光景に、思わず声が出てしまった。
中にいるほぼ全員が半裸、もしくは全裸だ。
なにをしているかは言及しないが、羞恥の極みである。
(最低だな)
その一言以外思いつかない。
「あんだ!? てめえ」
座敷の一番手前にいる下っ端がにらみを利かせてくる。
「これを船長さんに渡してください」
おれは懐から出した手紙を預けた。
「持ってこい」
座敷の一番奥にいるおっさんが手招きする。
「へい」
渡された手紙を広げ、読むおっさん。
「あいつらが許したのか。いいだろう。話しぐらいなら聞いてやる。で、てめえが俺たちに売り込みたい品ってな、なんだ?」
「みなさんが大好きなものです」
「だから、それがなんなのか訊いてんだ!」
「若い女ですよ」
おれはザラの背中を押した。
「どうです? めんこいでしょ?」
「ああ。イイ女だな」
船長が下卑た笑みを浮かべた。
こうしておれは、奴隷商人として乗船することが決まった。