10話 勇者は神官と再会する
結果だけ先に伝えると、不快なのはおれだけ。
(解せない! 許せない!)
そんな思いが胸に込み上げる。
ただ、歩き回ったことで得ることもあった。
この街は非常に管理が行き届いていて、ほぼすべての道が石畳で舗装されている。
区画も碁盤目で仕切られていて、非常にわかりやすい。
しかも、住宅地、商業地、工業地と用途分けも成されており、自分がどこにいるかも瞬時に判断できた。
(すばらしいな)
歩いているだけで、治世者の配慮が理解できる。
一般住居に平屋が多いのも、その一環だ。
高い壁によって遮られる日光を、さらに遮蔽しないための措置である。
ただ、多層住宅がないわけじゃない。
商売を営む家のほとんどが、二階建て。
一階で店舗を営み、二階に居住しているケースが多いそうだ。
名誉のために記しておくが、作ろうと思えば三階以上の多層建築も可能であり、その技術も持ち合わせている。
立派な三階建ての宿が、その証拠だ。
もちろん、これを超すことも可能だが、できるかぎり高い建築物は作らない、という暗黙の了解もなされている。
ということを、おれを呼び止めたおばちゃんが聞かせてくれた。
「あんたも就職に行くんだろ? なら、こんぐらいは知っときな」
話好きのおばちゃんはおれを浮浪者と決めつけており、さっきから何度も工業地帯への就職を勧めている。
雑用は腐るほどあり、自立歩行が可能なら、年齢性別に関係なく、なにかしらの仕事にはありつけるそうだ。
ただ、問題を起こせば即解雇。
しかも、工業地帯でお払い箱になった者は不届き者として通知が回り、壁の中での再雇用は皆無、であるそうだ。
(塀の外にいた露天商たちがそうなんだろうな)
稼ぐ術がないから、ああして座り込んでいるのだろう。
大なり小なりの悪さをした露天商たちに同情する気はないが、感情に任せて行動するのはやめたほうがよさそうだ。
(問題を起こせば、一発退場もあるだろうしな)
街と工業地帯の結びつきは強いのはあきらかだ。
発言権も同様で、工業長が白と言えば、黒も白になる。
「まあ、そんな横暴なヤツはいないけどね。だぁ~っはっはっは」
と、おばちゃんの横を通り過ぎる酔っ払いが付け足した。
「ったく、また呑んだくれてんのかい。仕方ないおっさんだね。ちゃんと教会に行くんだよ」
「わ~ってらい」
嘆息するおばちゃんに、酔っ払いは後ろ手を上げて応えた。
「教会でお祈りをして寄進すれば、あんなんでも救われるからね。わかってるとは思うけど、あんたも足繁く通うんだよ」
信仰は自由であり、否定する気もない。
けど、違和感があるのも事実だ。
街を一周した段階で、教会の数が多ことには気付いていた。
数えてこそいないが、区分けされた地区に最低一つは存在し、多ければ四ケ所以上ある区画もあった。
しかも、おばちゃんの話では二十四時間だれかしらが常駐しており、いついかなるときであろうと、礼拝には困らない。
ついで参りのようなものも含めれば、日に何度も礼拝するのが当たり前、だそうだ。
信心深くないおれには理解できないが、この街では教会に行くことがなによりも大事で、普遍的なことだった。
「職業斡旋所に行く前にお祈りすれば、きっと就職も上手くいくよ。さあ、早く行きな。いまなら、宗主様のお言葉をいただけるかもしれないよ」
バンと背中を叩かれた。
話好きのおばちゃんから解放されたのはありがたいが、神頼みをするほど困ってはいない。
(……いや……この不快感が拭えるなら、行ってみるべきか)
「あの高い建物だよ。間違うんじゃないよ!」
(おばちゃん、元気そうだもんな)
恰幅がよく腰に手を当てる姿は、健康そのものである。
(よし。ああなるためにも、いくか)
おれは会釈しながら、教会に足を向けた。
教えられた教会前の道は、すでに人で溢れかえっていた。
どこを見ても人。人。人。
二階から身を乗り出している者までいる。
人数が集まるほど賑やかになるものだが、教会に近づくにつれ、喧騒が消えていく。
「苦しいこともあるでしょう。悲しいこともあるでしょう。ですが、それだけの人生はありえません。喜びは必ず、あなたのそばに寄り添っています」
声を張り上げているわけではないが、その澄んだ声はよく聞こえた。
この声を聴くために、全員が息をひそめているのだ。
一言一句聞き逃したくないようで、おれの小さな足音に眉根を寄せる者も少なくない。
十中八九、この声が宗主のモノだろう。
そして、宗主は女性だ。
「時に見失うこともありますが、幸福そのものが消えることはないのです。これは神の思し召しなどではありません。皆さまに幸福を届けているのが、我らの王に他ならないからです」
その通りだ。
神様は精神を豊かにしてくれることはあっても、物質的に豊かにしてくれることはない。
それを行ってきたのは、その時々の治政者であり、探求者たちである。
(絵空事を騙るわけじゃなさそうだな)
興味が湧いたので、おれはもう少し近づいてみることにした。
道は人で埋め尽くされているが、まったく進めないわけじゃない。
通行人が行き交えるよう、わずかな隙間が設けられている。
「その王とて人の子であり、救える民には限りがあります」
(当然だな)
一滴の血も流さずに栄えた文明はない。
「ですが、皆さまの祈りがあれば、この先も良いサイクルは続くでしょう」
聴衆が両手を組み祈りを捧げる中、数人が教会に向かってなにかを投げた。
日差しを受けて輝くそれは、銀貨だと思う。
「ありがとうございます」
神官が礼を述べた後、剃髪した若衆が拾っていく。
「王への祈り。感謝します」
大分近づいたことでわかったが、宗主はおれを街に呼んだ神官だった。
『あなたの熱い視線で火照りました。鎮めに来てください』
カプセルの中の文言が思い出される。
これを素直に解釈するなら、夜のお誘いと捉えていい。
しかし、いまの神官の振る舞いは露天商に施しを与えている姿と相違なく、深い慈悲に溢れている。
とてもじゃないが、出会ったばかりの男を淫らに誘うとは考えられない。
(双子……なんてことはないよな)
表と裏で人格が違うことはよくあるが、神官がそうだとは思えなかった。
「宗主様。お納めください」
剃髪した男衆が集めた銀貨を掲げる。
「ご苦労様でした」
神官が各々の手から一枚ずつ摘まみ上げ、胸元に仕舞っていく。
(あ~、同一人物かもしんねえな)
舌の根も乾かぬうちに前言を撤回することになるが、あの文言を寄こしたのは彼女かもしれない。
神官の仕草は過度にセクシャルなものではないが、色気がダダ洩れだ。
持って生まれた素養もあるのだろうが、よく見ればその美貌が頭抜けているのがわかる。
小さくきれいな卵型の輪郭におさめられた、大きく切れ長の瞳と美しい鼻梁。
唇は少し薄いが、口紅を塗らずとも朱に染まり、リップを塗ったように艶めいている。
一目でスリーサイズが測れる特技は持ち合わせていないが、スタイルが抜群なのもあきらかだ。
出るところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる。
もはや、漫画やアニメでしか見たことのないレベルだ。
民衆、特に若い男たちは色めき立ちそうなものだが、神官にそういった視線をぶつけている者はいない。
すばらしいとは思うが、解せないのも事実だ。
生物の営みにおいて、性的な行いは決して悪ではない。
むしろ、現実に則したような説法を並べているのだから、歓迎する部類のリアクションだろう。
けど、だれもそれをしない。
(よくわからんな)
「今宵は貴方にお相手願いましょう」
眉根を寄せるおれを、神官が指さした。
ざわめきが広がる。
「うらやましい」
「だれだ、こいつは?」
「代わってほしい」
敬けんに祈っていた連中が、小さいながらも不満の声を上げている。
「さあ、こちらにお越しください」
手招きされるおれに向けられる男性陣の視線には、異様に鋭い険が含まれていた。
(なるほど。そういうことか)
彼らは神官を特別視していなかったわけではなく、彼女に選ばれるために必死に抑えていたのだ。
「許せない!」
「あたしの宗主が汚されちゃう!」
一部、女子からの罵声も聞こえるから不思議だ。
「宗主様がお待ちです」
剃髪した若衆が道を作る。
(結構です)
心中の言葉を、口に出すことはできない。
おれに課された条件でもあるが、それ以上に怖いことがあった。
断った瞬間、間違いなく暴動が起きる。
場の空気は、それぐらい張りつめていた。
(拒否権は……)
なさそうだ。
「はい」
おれはこの世界で初めて、他人に対して声を発した。