白雪姫の今
全てを知ったあの日から半年が経った。
城から逃げ出し、森を駆け抜け、私は自由になった。
母たちの祈りの通り生き延びた。
今はどちらの国からも遠く離れた砂漠の国にいる。
滅多に雨も降らず、昼は暑く夜は寒い。
自然豊かな森で暮らす術は知っているが砂だらけの砂漠についてはよく分からない。
「お城で暮らしていた頃に戻りたい・・・」
目の前で焼けていくサソリを見ながらぽつりと呟く。
これは本当に食べても大丈夫なのだろうか?
せめて森の中なら兎でも捕まえてきたのに。
まともな食事にありつけない日々が続くとあの頃に戻りたくなる。
「昆虫を食べるなんて。森でカミキリムシの幼虫を食べさせられた時が最初で最後になると思っていたのに」
薪から出てきた幼虫を美味しいからと口に放り込まれた時のことを思い出す。
味は悪くなかったが見た目への抵抗は消えない。
「サソリは昆虫じゃなくて鋏角類だ。簡単に言うと蜘蛛の仲間だね」
「もっと嫌」
「結構美味いんだけどなあ」
サソリの刺さった串の向きを変えながら母が笑う。
目の前にいる母は幻覚では無い。
私はまた母に騙されたのだ。
逃げ出した後、行く宛てがなかった私は再び我が家を訪問した。
父の兵たちに見つかれば連れ戻される可能性もあったが、最後に見た使用人たちの涙を思い出したのだ。
あの時泣いていた使用人たちならば味方になってくれるかもしれない。
仮に父の兵たちに見つかったとしても、もう失うものは何も無い。
母たちの祈りを無下にしてしまうことにはなるかもしれないが。
そう覚悟を決めて城へ侵入したものの、使用人たちはまるで私が来るのが分かっていたかのように出迎えてくれた。
「お待ちしておりました。旅支度は済んでおります」
「こちらでお茶を飲んでお待ちください」
全てが予定通りであるかのように、私の訪問に驚くでもなく使用人たちはテキパキと動いた。
まさか逃げ出したことがもう伝わっているのではないかと不安になったが、用意された馬や荷物を見ると私のために用意されたことが分かる。
お茶も懐かしいあの香りだ。
気持ちを落ち着けるべくひたすらにお茶を口に運んでいると、そこへ知っている声の主が入ってきた。
「やあ白雪。思っていたより遅かったじゃないか」
そこには旅支度を終えた麗人、もとい母が立っていた。
驚いて固まっている私の背を少し乱暴に叩きながら面白そうに笑う。
「あの厳しい王妃教育で少しは鍛えられて変わったんじゃないかと思ったけどあんたは全然変わってないね。またあたしに騙されちゃって。そんなんじゃ心配でゆっくり墓の中で寝てられやしないよ」
それを飲み終わったら出発だと私に告げると使用人たちと抱き合い、別れの挨拶を始める母。
なんで生きているのかと問うのも忘れて
「まさか一緒に行くの?」
なんて間抜けな質問をしてしまった。
母は不思議そうな顔で
「当たり前だ。一人旅なんてしたことないだろう?街に行ったこともないじゃないか」
と答える。
確かに森で暮らしたことはあるが買い物はおろか街へ行ったことすらない。
しかし母が生きているのは想定外だった。
「足は、大丈夫なの?」
母の足は火傷で酷いことになっているはずだ。
短期間で治るとは考えにくい。
「ああ、墓参りもしていかないとね」
足の心配に対して出てくる回答が墓参り、ということはあの時見た『継母』は別の人だったのか。
行こうか、と母が言うと使用人たちも墓へと向かう。
「ここには誰が?」
「あたしの影だよ」
墓は変わらず綺麗に手入れされていた。
「あたしが死んだら誰が白雪を助けるんだって言って、あの日代わりに、ね。ほら、この十字架二重になっているだろう。隠れている方に本当の墓の持ち主の名前が書いてあるのさ」
母の影武者ということは私が気付いていないだけできっと母として接したこともあったのだろう。
その墓前で祈る振りをして魔法の鏡に思いを馳せていた前回の自分が恥ずかしい。
今度こそしっかりと二人の『母』に祈りを捧げた。
「さあ行こうか」
「あの、お母様鼻水が」
こちらを振り向いた母の鼻の下は濡れていた。
さっきまで母の方から鼻をすする音が聞こえていたことを考えれば当然だ。
「気にするな。花粉症だ」
「嘘ばっかり」
こんな簡単な嘘なら私にも見抜けるのに。
去り際に二つの墓に向かって小さな声でありがとう、行ってきますと言い残し、私は母と一緒に城を後にした。
そんな訳で今、私は母と逃亡の旅を続けている。
雪のように白いと謳われた肌は、日に焼けて随分健康的になった。
真っ黒だった髪も日差しと砂で傷んで赤みを帯びている。
今の私を見て『白雪姫』だと分かる人間はいないだろう。
「そろそろ焼けたかな。食べよう、ほら」
差し出されたサソリを恐る恐る齧る。
まさかあの『白雪姫』がサソリを食べているなんて誰が想像出来るだろう。
「うーん、可もなく不可もなくって感じ」
「このパリパリとした食感が美味しいじゃないか」
「そろそろ普通のお肉が食べたいわ」
「次の街に着いたら鶏肉でも買おうか」
こんな他愛の無い会話をしながら母と旅をすることになるなんて、昔の私に言っても信じないだろう。
食事や寝床に関しては城での生活が恋しくなるが、今の生活も悪くない。
このまま母と一緒に、どこか遠くの地で末永く幸せに暮らしていく予定である。
私たちの行く末がどうか『めでたしめでたし』で終わりますように。