大人気美少女WEB作家の感想欄に「お前、才能ないよ」と書き込んで、精神崩壊させるのが楽し過ぎる。他人の不幸は蜜の味と思ってたが、隣の席の眼鏡っ娘が情緒不安定になったので介抱してあげることにした。
俺の名前は葛川聡。
どこにでも居る普通の男子高校生だ。
趣味はマンガやゲーム、アニメと言った二次元コンテンツ。
ただ、それは昔の話。
現在のマイブームは——。
『ごめんなさい。小説投稿を止めます。一年半の間、皆様お疲れ様でした。私には才能がありません。最後まで完結させることができなくてごめんなさい。もう限界です……』
青い鳥アプリを見ると、とある作家がそう呟いていた。
いいねとリツイート数は多く、誰もが励ましの言葉を吐く。
俺もその中の一人である。
『何があったのかは分かりません。ただ、貴方がもう一度小説を書いてくれる日を楽しみに待っています。俺、ドングリさんの作品大好きだったので、また読みたいですっ!!』
どんな言葉を掛けても無駄。それはもう分かりきっている。
作家の心は完全にへし折られているのだ。ぐにゃりと。
もう再起不能と言った感じか。もう二度と書くことはないだろう。
なにせ、アレだけ俺がしつこく誹謗中傷したのだから。
そうだ、現在俺が熱中しているのはWEB小説書き潰し。
『才能ないんで、書くのやめてください』
『正直言って目障りです。貴方の小説がランキングに載ると』
『あのー? 全く面白くないので、投稿止めてください』
『コレってあの作品パクってますよね? 謝罪してください』
『小説を書く時間が無いと呟くぐらいなら、さっさと小説を書いてください。読者の気持ちを蔑ろにしてるんですか? 皆さん、楽しみにしてるんですよ。あのー? 分かってます?』
『完結させられない作家はゴミ。二度と読みません』
『次から次へと小説書くなら、一作ぐらい完結作品を書いたらどうですか? 読者の時間を奪わないでください』
何度も何度も誹謗中傷を食らわせる。
最初の数回程度は、殆どの人が軽く流すだけだ。
それでも誹謗中傷が続けば、簡単に人間は壊れる。
否——人間は壊せるか。
誹謗中傷を繰り返し、作家が破綻する様が最高に面白い。
あまりにも滑稽で。あまりにも脆くて。あまりにも儚げで。
美学を感じるね。まるで、ドミノ倒し。
今まで積み重ねた悪口が意味ある言葉に見えてしまうのだ。
そして、作家の精神を崩壊させるのだ。ぐちゃぐちゃに。
俺自身は、適当な言葉を並べているだけなのに。
数秒程度で考えた感想をスラァーと書いているだけなのに。
それなのに、作家は考えるのだ。
どんな意図があったのかと。何日も何日も。
俺からしたら、特に意味があったわけではないのに。
「あっっはは。あはっっっははははははははははしゃはははしゃははっはは、最高だよ。ドングリさん、アンタはよぉーく頑張った。半年間よくぞ、耐え抜いてくれたよ、全く」
だけど、勝利したのは俺だ。
小説書きは、書かなくなったら終わりなのだから。
書籍化の夢を掲げていたのに。その夢は潰されたのだ。
この俺によって。この凡人の俺によって。
作品など読んでもいない、ただ一人の毒者によって。
「はい、ゲームクリアぁあああああああああ!!!!」
誰かの夢を潰すって、どうしてこんなに楽しいのだろうか。
最高の幸福感。毛穴という毛穴から、何かがゾワワと込み上げてくる。相手の人生をぐちゃぐちゃにした達成感だろうか。
「次の獲物は誰にしようかな……あ、こ、コイツにしよう」
大人気美少女WEB作家——マリン——
ネット上に自分の容姿を公開し、爆発的な人気を誇る。
アイドル並みのルックスと、甘ったるい声。紫髪にゴスロリメイド服という、オタク受けを完全に狙ってる美少女だ。
毎日ネット上での顔出し生放送を配信し、読者との交流も盛んだ。
反面、一部ユーザーからは『枕営業』と呼ばれることも。
「さぁーて、楽しもうじゃないか。マリン……お前が苦しむ姿を、俺に見せてくれ。楽しませてくれよ、最後の最後まで」
***
マリンのLIVE配信が始まった。本日は雑談枠らしい。
いつも通りのゴスロリメイド服を着た紫髪の女の子。
目元はアイプチをしているのか、普通にしては極めてデカイ。口元はマスクで隠しているが、身バレを避ける為だと。
「本日もお友達と一緒に楽しく行ってマリンー!?」
画面から流れる媚びた声に、俺は吐き気を催してしまう。
いまどき、ロリボイスでもここまで酷いのはない。
コメント欄には『可愛い』『最高ー』などとオタク共の気持ち悪い発言が並んでいる。一方で『若いからって調子乗るな』『お前には価値ないから』『お前の人気は若いだけ』などという、売れ残り女達の嫉妬も垣間見える。本当、地獄絵図。
ま、俺自身も罵倒を食らわせているのだけど。
『今日も枕営業お疲れ様です。配信内で媚びた声を出して得た作品の評価は嬉しいですか? 貴方の作品を心からお待ちしている人など誰一人居ないんですよ。分かってますか?』
一度目は不発。軽くスルーされてしまった。
と言えど、少しだけは効果があったのか。マリンの顔色が若干だけど、曇ってしまう。初めて見る光景だ。人が嫌がる顔を見るって、本当に楽しいなぁー。やっぱり最高だわ。
『キモオタ達を身体で釣って得る評価は嬉しいですか? WEB作家を名乗るのならば、作品の出来で戦うべきではないですか?』
『あのー気に食わないコメントは無視って酷くないですかー? 自分の指示に従わない奴は要らないと言ったら、どうですかー?』
マリンの表情に亀裂が走る。頭に血が上ったのだろう。
但し、自分はアイドル路線で売っていると自覚しているらしい。ここでボロを出したら完全に終わる。そう思い、彼女はネットアイドルの顔を保ち続けた。
しぶとい奴だな。さっさとボロを出して、周りの人達から「こんな人ではないと思っていたのに……」などと言われて欲しかったのに。あー作戦失敗だな。ただ精神崩壊は少しずつ進んでいるのは確かみたいだな。
「ご、ごめん……お友達の皆……きょ、今日は放送終わるね」
涙目になったマリンは小さな声でそう呟いた。
配信を見ていた他の人達が「大丈夫ー?」とか「変なアンチには負けないでぇ!」とか「がんばえー、マリンちゃん」などと、励ましの言葉が送られている。
それでも、マリンの心は少しずつ蝕まれているのだ。
「ごめんなさい……本当はもっと放送したかったけど……」
そう言って、マリンのLIVE配信はブツ切りになった。
放送後、俺がもう一度彼女の放送を見ようとしたら——。
「あれ……マリンのチャンネルが開けない。さてはアイツ。俺をブロックしたな。少しは頭が回る女みたいだな」
でも、ここで俺が止めるはずがない。ていうか、マリンがもっと苦しむ姿が見たい。泣きじゃくって泣きじゃくってどうしようもなくて、死にたいと連呼する様とか。あー考えただけで、ワクワクが止まらないね。
「マリン……この世界には純粋な悪が居ると教えてあげるよ。現実は小説よりも奇なりと言うけれど、フィクション以上の悪人がここに存在するってことをね。俺が教えてあげる」
***
高校生という身分は若い女を間近で見れる良い機会だ。勿論、高校生じゃなくても、女を見れる機会は腐る程ある。
但し、そこに若いという二文字は存在しない。
大人になるにつれて、女性は大雑把になる生き物だ。特に男との交わりを終えた女は人が変わる。可愛い子猫だと思っていたのに、薄汚いドブネズミに豹変することが多々あるらしい。
『らしい』という推測表現しか出来ないのは、俺が童貞で、女性との経験が皆無だというのは言わずもがな分かるだろう。
と言えど、別に童貞であることに劣等感はない。寧ろ、自分自身の童貞に誇りを持っている。清純さを売りにしたアイドルが居るけれど、俺程度に清純潔白さが必要だと思うね。
どうせ、アイドルなんて若手女優やアイドルと毎日ヤリまくりだと思うし。本当に羨ましいよな。他にも一般のファンと交際を持ちかけてもいいわけだし。女性に困ることはないよな。
「葛川くん……あ、あの……教科書を貸してくれませんか?」
「あっ?」
俺に喋り掛けてくる奴が居るとは思ってもみなかった。
「ひぃ……そ、そのきょ、教科書を忘れたので……み、見せて貰えないでしょうか?」
俺に喋り掛けてきたのは隣の席の眼鏡っ娘。
銀縁眼鏡で黒の三つ編み。昔懐かしの学級委員か、文学少女っぽい容姿。ギャルが好きな俺的にはマジで無理。
個人的に、三つ編みにしたら髪が痛まないか心配です。
「あーいいけど。机、くっ付けるのか?」
教科書を忘れたと言い出す女には要注意。
親切心で机を合わせて一緒に教科書を見ようと言ったら、マジでキモい。臭いからこっちに寄ってくるな。などと罵倒される可能性があるからな。思春期の女の子は不思議でいっぱいだ。
思春期の女の子と言えば、父親の体臭を嫌う習性があると聞いたことがある。つまり、俺の体臭を嫌うのは、俺が女の子のパパだからってことでいいよな……? え、何その謎パパ理論。
「机をくっ付けないと見えないです。イジワルするんですか?」
「スカートを捲って、パンツを捲ってくれたら見せてやらないこともない。どうする、やるか?」
「あ、はい……あ、あの……わ、分かりました……」
眼鏡っ娘は躊躇しつつも少しずつスカートの裾を掴んで、持ち上げていく。少しだけ捲れただけで白くてふっくらな肌が見える。椅子に座っている為か、太ももの肉付き具合は二割増し。エロ動画を日頃から漁る俺にとっては、別段どうってことはなかった。感覚が麻痺してるのかもなー。
「ふぅーん。ピンクのレース付きか。見た目の割には、意外とエッチなの履いてんだな。もしかして誘ってんのか?」
「……ち、違います……そ、それは……ぜんぜん……」
小言を呟きつつ、眼鏡っ娘は視線を下へと逸らしたまま。
「あの……教科書を見せてください。お、お願いします」
「あーいいよ。それで、お前の名前教えてくれよ」
「え……あ、あたしの名前を……し、知らないんですか?」
驚愕の事実を知らされたかのように、眼鏡っ娘は顔色を歪めてしまう。隣席の女の子と言えど、俺は興味を持った人や物の名前しか覚えられないのだ。そもそも隣の席になった人物の名前を覚えなけれならないという法律や規則はない。
「タイプじゃないからな」
「あ、はい……そ、そうですか……隣の席なのに……」
ボソボソと呟きつつ、眼鏡っ娘は肩を落としてしまう。
「それで名前は?」
「ええと……あ、あたしの名前は廃進麻理です。そ、その名前だけでもお、覚えてください」
***
廃進麻理。彼女は寡黙な生徒だ。他人と喋ることに対して抵抗でもあるのか、俺以外の生徒と喋る姿を見かけたことがない。言わば、空気みたいな奴で。辛辣に言えば、居ても居なくてもどうでもいい人間。俺と同じ存在なのかもしれない。
「やれやれ……家に帰ってきてまで女のことを考えるとはな」
自慢ではないが、俺は男女の色恋沙汰には興味がない。
所詮、男女の関係は身体の関係以外になく、それ以上の発展は単なる家族ごっこに過ぎないと思っているからだ。
故に、俺が自宅で女を考えるのは、エロ動画を模索する時のみ。と言えど、大手エロ動画サイトの流動性は極めて悪い。一度でも見たことがあるAV女優がランキングを独占し、圧倒的な才を持つ新人が現れるのは稀なのである。
というわけで、最近のオススメエロ動画サイトは、SNS一択。
選んだ理由は流動性。ランキングの移り変わりが極めて早く、おまけに削除される可能性が滅法高いので見つけたら直ぐにダウンロードする他ない。俺の偏見かもしれないが、SNSを使っている奴等は容姿が良く、おまけに承認欲求が高いのだ。
どうでも良い話だが、女の子はメインアカウントの他にサブアカウントなるものを作っているらしい。そこで男漁りをしたり、本当に仲の良い人達だけで他の人たちの悪口を言うのだ。
そんな奴等がリベンジポルノの被害に遭い、腰を自ら振って女を感じている姿が早く拡散して欲しいと俺は常日頃から思うのだ。バッグから突き上げられ、喘ぎ声を出す姿だと尚よし。
女としての喜びを知り、快楽に堕ちる姿は可愛いものだ。
「来週模試があるんでしょ?」
ノックすることもなく、母親が無断で俺の部屋に入ってきた。俺の母親は受験ママと呼ばれる存在だ。子供の頃から、スパルタ教育ママとしてこの町内では有名なのである。
「あー分かってるよ、母さん。絶対に東大受かるからさ」
俺の一言を聞き、母親は笑みを浮かべ、部屋を出て行った。
と言えど、部屋を出る際に一言だけ言い残していったけど。
「絶対にお父さんの仇を取ってね。そして官僚になるのよ」
俺の父親は上司の揉め事を掻き消す為に、責任を押しつけられてそのまま辞職したのだ。俗に言う所のリストラだ。
父親は現世に思い残すことがなかったのか、家族を残して一人で自殺を図ったのだ。首吊り自殺だった。
そして、母親は父親の死後、鬱病を患うことになった。
こうして母親は国の上層部に極度の妬みを持ち、俺にアイツらを潰せと命じているわけだ。どんなに時間が経過しても。
「子供を何だと思っているんだか……あのババアは」
子供を産む奴等は知能指数が低い。元々俺は現世に生まれたかったわけではないのだ。親の利己により生み出された可哀想な存在。それが子供なのである。種を繁栄しなければ、という馬鹿げた幻想を考える偉い奴が居るけれど、そんな奴らは金属バッドで殴られて、多少は頭を冷やすべきである。
「地球を支配しているのは人間。そう思っている奴等が一番嫌いだ。地球は人間だけの理想郷ではないってのに」
個人的な意見だが、人間は滅びるべきだと思っている。
と言えど、そんなことを大々的に言えるはずもない。
街を歩いていると(特に駅前か)、陰謀論を語る人々が居るけれど、あの人たちのメンタルは素晴らしいと思う。授業中の発表でさえ、普通の高校生は緊張すると言うのに。
あれだけ大それたことが言えるのは、余程脳が汚染されているのか、それとも本気で信じているかのどちらかだろう。
俺の意見としては、宇宙人によって脳が改造されたと思っている。流石にオカルト過ぎるか。まぁー流石にないわな。
「廃進麻理……アイツ、絶対にバカだよな。指示を出せば、何でもかんでも言うことを聞きそうだ。哀れな人間だ」
大半の日本人が嫌なことでも断れないと言う。
実際に上司の命令は絶対。バイト先でもそんな光景を何度も見たことがある。若い女子高生が入れば、店長がやたらめったらボディチェックをして、連絡先の交換を促すのだ。
汚い大人だなと思いつつも、俺には関係ないと知らんぷり。
それが現代人の生き方。危険な橋を見つければ渡る前に、逃げることが適切な処置なのである。
「あ、マリンの配信が始まったな。今日も潰しますか」
ピコンと通知が鳴り響き、俺は裏の顔になれる。
外面だけは良い人で。内面はクズでカスな俺が一番輝ける場。他人を傷付けることはどうしてこれほどまでに楽しいのか。絶対にバレず、おまけに安全な場所から相手を痛ぶる。
これ以上に心が癒されて、充足感があることはない。
『お前才能ないよ』
『エロ配信しろよ。お前の身体にしか皆興味ねぇーよ』
『作家なら配信を止めて、小説を書くべきなのでは?』
『ウェブ小説家を名乗るのならば、小説を書いて下さい』
『えーと、俺のコメントは無視ですか? 都合の良いコメントしか読まないんですね』
『あ、ごめんー。お前の小説つまらないから誰も楽しみに待ってやる奴とかいねぇーか。ごめんー、俺が馬鹿だったわ』
ネットに詳しい専門家などが、炎上する理由を多々上げることがある。しかし、それは大抵の場合は的外れ。
言ってしまえば、俺みたいな人間は叩ければ何でもいいのだ。叩けるのならば何でも叩いて相手を不幸にさせたい。
言わば、相手を不幸にさせることで、幸福を得るのである。
ゲーム好きがゲームを通して幸福感を満たすように。
食事好きが食事を通して幸福感を満たすように。
他人に不幸を撒き散らして、誰かを苦しめることで俺は幸福感を得るのだ。他人の不幸は蜜の味。正にその通りである。
***
翌日、教室に入ると廃進麻理が机に突っ伏していた。
最初は体調が悪いのだろうと思っていたのだが、ぐすんぐすんと啜り泣いているのだ。別段、俺としてはわざわざ喋るかける必要性はなかったのだが、出来心が働き話しかけてみた。
「どうしたんだ? 何か嫌なことでもあったのか?」
言ったところで返事は戻ってこない。どうやら俺には一切教えたくないらしい。触らぬ神に祟りなしと言うが、他人の問題に首を突っ込むのはあまり良いことではない。
気を取り直して、俺は椅子に座って授業が始まるのを待つわけだが……まぁー何だ。隣の席に座る女の子、おまけに多少は面識があるのに、何事もないかのように接するのは無理がある。というわけで、柄にもなく俺は問題に首を突っ込んだのだ。我ながら、自分でもどうしてと思ったものだ。
「何に悩んでるのかは分からないけど、大丈夫だよ。こんな世界なんてな、歴史的観点ではどうでもいいようなことなんだからさ。お前だって道端に落ちてる石ころに目を向けるか?」
アドラーは言った。人間の悩みは全て対人関係にあると。
実際に俺が学校に行きたくない理由も、対人関係が原因だ。
授業態度が悪い癖にテストの点数だけは高いので、教師達に目を付けられてしまったのだ。彼等は口を揃えて歯軋り混じりに、学校で学ぶのは勉強だけじゃないと言うけれど、学業を第一に考えるのが学生の本分ではなかろうかと。
「まぁー何だ。辛くなったら俺が相談に乗ってやるよ」
大抵の場合、人間の悩みは胸の内から吐き出してしまうと、物凄く楽になれる。ソースは俺。
心の中だけで整理を付けようとすると、心の奥底に蟠りが残り続け、長期間悩みの種を抱えることになる。
言霊という言葉を信じているわけではないのだが、やはり声に出して実際に外に吐き出すことで、人間は前向きになれる。
豆まきだって似たようなものだ。鬼は外、福は内、と言ったところで、根本的に何かが解決するわけではない。それでも多くの人々は、それでスッキリした気分になれるのだ。
要するに思い込み最強。自己暗示を掛ければ人間は無敵だ。
「ありがとうございます……葛川くんだけです。あ、あたしのことをし、心配してくれるのは……あ、ありがとうございます」
言葉を掛けただけ。それだけで人間同士の関係は深まる。
俺自身一番役に立つと思っているのは挨拶である。
おはようございます、こんにちは、などの挨拶は、日頃から使う練習をしていた方がいい。バイト先で知らないスタッフにも声掛けをしていると、同じシフトになった時にスムーズなコミュニケーションが取れるからな。何よりも、挨拶を交わしておくと、出来た人間だと勘違いして貰える。
たった数秒の努力で。たった一フレーズだけで。楽なものだ。
「俺は何もやってないよ。でも、廃進さんの顔色が少しだけでも明るくなった気がする。やっぱり笑ってる廃進さんの方が良いよ。似合ってると思う」
廃進さんフリーズモード。流石に今のは言い過ぎたか。
偽善者っぷりを大幅に更新したかもしれない。
パチパチと可愛い目が瞬きし、白い頰が真っ赤に染まる。
椅子に座る廃進さんは太ももを擦り合わせ、小さな声で。
「……あ、ありがとうございます……う、嬉しいです……」
この日を境に廃進さんが俺を見る目が変わった気がするのだが、勘違いであって欲しい。眼鏡っ娘に興味はないのだ。
***
マリンのLIVE配信が始まった。普段通りの格好で、身バレするリスクがあるものは全て排除されている。この徹底さには、こちら側も感嘆してしまうものだ。彼氏などの男の気配があれば、SNSで拡散してやろうと思っていたのに。
『昨日急に切断して配信を終わらせましたよね? その件に関して、視聴者に謝罪するべきではありませんか?』
『作家として作品を完結まで書けず、おまけに配信さえもまともに終わらせることができない。中途半端にするの辞めてもらってもいいですか? 俺たちの時間を返して下さい』
昨日は泣きながら放送を切ったのに、今日は元気一杯だ。
俺のコメントが表示されているのにも関わらず、平然な態度を貫き通すとは……マリンの奴、確実にレベルアップしてるな。
けれど、俺はお前を潰してやる。お前が泣きながら、作家業を辞める日を楽しみにしているよ。さぁーて、楽しませろ。
放送中に何度も罵声を浴びせたものの、マリンには効果無し。昨日までとは明らかに違う。何かあったのだろうか。
LIVE配信開始から早三十分が経過した頃であった。
「最近嫌なことばかりが続いていました。で、でも……優しい人があたしに声を掛けてくれました。あたしは笑っていた方がいいと言ってくれました。だ、だからあたしは笑います」
マリンは下手くそな笑みを浮かべた。内心ではまだ普通に笑えてないのだ。俺の存在に恐れているのだろう。一先ず、今までの俺の行動が効いていたというのは有り難い話だな。
まだまだ地獄を味合わせてやるから、覚悟しとけよ。
『本人自身が笑うのは自由ですが、作品で読者を笑わせることが第一ではないんですか? それが作家としての在り方なのでは?』
『嫌なことって、もしかして俺のことですよね? へぇー読者に向かって、そんな口の利き方でいいんですね。正直、見損ないました。マリンさんがそんな人だとは思いませんでした』
視聴者数は平均して3000人程度集めている。
大半の視聴者が『マリンちゃん、今日も可愛いでふ』『マリにゃんのおっぱい……今日も整ってるー』『ばぶーマリママぁあああ』『素直に射精。マリンは俺の嫁』『マリンちゃんの小説読んだよ、もう最高。泣いちゃいました』などなど。
マリンの作品を一度も読んだことはないけれど、ネット内での評価は意外と高い。と言えど、掲示板を覗いてみると「信者に媚びを売って、評価を入れて貰うクズ」とか「どうせ、枕営業してるだけだって」などと言われている始末。
女性の敵は女性と聞いたことがあるけれど、その通り。
『男共を若さで釣る女って気持ち悪い。この売春婦』
『こーいう女って学生時代に色んな男とヤってる定期』
『バカそうなキモオタ共に媚びて金を得る亡者』
俺以外の方々も散々彼女に放っているのだ。
ネット世界は怖いものだ。特に人間の心とやらは。
ま、俺が言えた義理じゃないけどな。
「あ、あたしはぜ、絶対に負けません。今までも悪い人たちには散々な目に遭わせられてきました。だけど、あたしは負けませんっ!?」
マリンの発言に、どんな意味が含まれているのかは知らん。
但し、一つだけ分かったことがある。コイツは潰し甲斐があるということだ。確実にコイツの夢をぶち壊す際は、今までにないような幸福感で俺は満たされるのだろう。楽しみだ。
「マリン……俺が、お前を絶対に壊してやる。お前の心を。お前の精神を。お前がもう二度と筆を取らなくなるまで。お前がもう二度とネットで活動ができなくなるまで。徹底的にだ」
***
翌日、普段通りの時間帯に学校へ登校。
隣の席に座る廃進麻理は今日も今日とて机に突っ伏していた。昨日に引き続き、今も悩みを抱えているのかも。
担任が来るまで数分程度の猶予があるので、俺は椅子に座って、スマホを弄ることにしたのだが——。
「く、葛川くん……お、おはようございます……」
先程まで涙を流していたのが分かるほどに、廃進麻理の目は赤く腫れ上がり、頬には水滴が付着していた。
「おはよう、廃進さん。顔色悪いけど大丈夫?」
別段、本気で心配はしていない。ただ、話に触れないのは明らかに不自然過ぎるので言う他無かったのだ。大丈夫などと言うだけで、あたかも心配してます感を醸し出せて、少しでも良い人だと騙すことができるのだ。
「……か、顔に出ちゃってましたか?」
本人自身は普段通りと思っていたのだろう。誰が見ても、何かあったんだなと分かるほどに浮かない顔をしてるのに。
「悩み事があったら俺に言ってよ。何でも話を聞くよ」
「あ、ありがとうございます。そ、そんなことを言ってくれるのは葛川くんだけです」
「俺だけじゃないって。それで廃進さん、何があったの?」
「そ、そのじ、実はSNS内で誹謗中傷を言われていて」
誹謗中傷。
廃進麻理のことはあまり詳しく分からないけど、どうせ悪意を持った奴等に何かを言われているのだろう。
「廃進さん、別に気にしなくても大丈夫だよ。多分だけど、人の悪口を言う奴等は惨めな人生を送ってるから、廃進さんみたいな人の足を引っ張ることしかできないんじゃないかな?」
「そ、そうですかね……」
「そうだよ。安心してよ。俺は何があっても、廃進さんの味方だよ。だからさ、悪い奴等には勝手に言わせとけばいいよ」
「そ、その……葛川くんは、あ、あたしの味方でずっと居てくれますか? ど、どんな時でも、あたしの側に……」
「うん、大丈夫だよ。約束する。俺は廃進さんの味方だよ」
と、言ってしまったのが悪かったのだろうか。
俺の人生は急展開を迎えることになるのであった。
廃進麻理と関わりを持ち始めてから少し期間が過ぎた休日。
自宅近所の大手予備校が主催する模試を受けることにした。
幼少期から徹底的なスパルタ教育を受けている俺にとっては、センター試験問題は朝飯前の難易度。
難なく全試験が終了し、俺が予備校を出ようとした瞬間。
「待ちなさい。葛川聡っ!?」
突然後ろから呼び止められた。予備校内での知り合いは皆無。正直な話、同姓同名の誰かを呼んでいると思っていた。
けれど、俺を呼び止めた人物は、俺が動くと同時に「待て。待てって言ってるでしょ。私の声が聞こえないのかっ!」などと言ってくるのだ。
「人違いじゃないか? 俺は葛川聡じゃない。それじゃあな」
変な奴に絡まれるのは絶対に嫌だったので嘘を付いて逃げ出そうとしていたのだが、相手は一筋縄では行かないタイプだった。
「アナタが葛川聡だということは知ってます。予備校内の模試で毎回ぶっちぎり一位。稀代の天才だとか言われて、調子に乗ってるみたいで」
調子に乗ってはないんだがな。
それにしても、稀代の天才ね。生憎だが、俺はそんな人間じゃない。
ただのバカでクズ。それが俺だ。多少勉強が人並み以上にできるだけで、褒められた才能は何一つ持っていない凡人だ。
「ふぅーん。それで? 何の用だ? 俺は忙しいんだ」
帰宅後、マリンの心を折らなきゃならないからな。
こんなところで道草を食ってるわけにはいかないのだ。
「特に大した理由ではありません。今回の模試では、私がアナタに絶対に勝つという宣戦布告です。負けませんからぁ!?」
「負けないってのは良い心掛けだな。まぁー頑張ってくれ」
「く……葛川聡っ!? 私は絶対にアナタを超えます。アナタは……アナタだけは絶対に許しませんからねっ!?」
「絶対に許さない……? 何言ってんだ? 俺が何かしたか? ていうか……お、お前誰だ? そこから話せ」
俺の発言を受けて、目の前の頭空っぽ女は辿々しい口調で。
「えっ……? わ、私のことを……し、知らないんですか? わ、私のこと……わ、私のことを……」
「あー全く知らない」
「模試結果を見て、毎回毎回私をバカにしてたくせに。知っているんです。毎回ほくそ笑んで……わ、私をバカにして」
「バカにした? 何を言ってるんだ?」
「だ、だから……模試で毎回2位のわ、私をバカにしているんでしょ。知ってるんです、悪魔みたいな顔でほくそ笑んで……わ、私の努力を全て否定してきて……知ってるんです」
「へぇー模試で2位か。凄いじゃないか」
「だ、だからぁっ、そ、その余裕な態度が腹立つんですっ!」
「わ、悪かったな。そ、それで……お前の名前を」
「そうですか……そういうことですか……自分より下の奴の名前には微塵も興味なしということですか」
拳をギュッと握りしめて、プルプルと震えながら。
「私の名前は隼人知里。葛川聡、アナタを一位の座から転げ落とす存在。一生忘れられなくさせます」
「悪いが……俺、興味ある奴しか覚えられねぇーんだ」
「どどどど、どこまで私を愚弄すれば気が済むんですかぁ! ぜ、絶対に許しませんからね。あ、アナタのことだけは絶対に……ど、どんなことが起きても一生……」
月曜日。
休日中は変な女に絡まれて、散々な目に遭った。
本日は少しでも疲労の無い日々を送りたいと願っていたのだが、廃進さんの様子が明らかにおかしかった。
「葛川くん、昨日他校の制服を着た女の子と一緒に居ましたよね? 一体どういうことですかー? どんな関係なのかなー? あっはは、あたし、気になって眠れませんでしたよ」
***
「廃進さん、寝不足で頭オカシクなってない?」
普段は寡黙な女の子。怒りなどの感情を表に出さないタイプだと思っていたが、それは俺の勘違いだったのか。
本日の廃進さんは不機嫌な様子。おまけに矛先は俺へ。
「ありがとうございます。あたしの心配をしてくれて」
個人的には本気半分冗談半分で言ったつもりだが、俺の言葉が優しさから生じたものだと廃進さんは勘違いしてやがる。
「本当に葛川くんは優しい方です。惨めでブスで何もできないあたしの心配をしてくれて……」
でも、と小さく呟いて、廃進さんは重たい口調で。
「しらばっくれても無駄ですよ? あたし見たんですから」
一度言葉を止めて、目を細めて睨み付けるように。
「葛川くんがあたし以外の女の子と何だか、とっても楽しそうに喋っているのを。あの子、葛川くんの何ですか?」
あの子、えぇーとアイツの名前は何だっけかな。
もう全然覚えてない。
名前を必死に思い出そうとするが無理。
やっぱり俺は興味を持ったモノしか覚えらんねー。
「どうして黙ってるんですか? 隠し事ですか?」
顔をグイグイと近付けて、俺の瞳を覗き込んでくる。
口元は笑っているのに、目が全く笑ってない。
今までに感じたことがない恐怖感。
本能的に、生理的に、コイツは危ないと俺の脳がアラームを鳴らしている。実際に、身体は鳥肌が立って寒気がするのだ。
「あの女を庇ってるんですね……あの女を……」
と言い、廃進さんはチッと大きな舌打ちを鳴らした。
「嘘付き。あ、あたしの側にずっと居てくれると言ったのに」
嘘付き呼ばわりされてしまうとは。
側に居てやるとか言ったっけ? もう覚えてない。
多分だけど、調子の良いことを言っちまったんだな。
「黙っているということは言えない関係ってことですか?」
廃進さんの目は腫れ上がり、今にも涙が出てきそうだ。
「何を勘違いしてるか知らないけど、俺はアイツとやましい関係じゃないし。寧ろ、困ってるんだぜ」
俺の発言を聞いて、廃進さんは間抜けな顔になる。
「困ってる……?」
「同じ予備校の奴みたいで、変な因縁を付けられてて」
「なるほど」
と、小さく呟いた後、廃進さんは頭を下げてきた。
「ごめんなさい。葛川くんはあたしに心配をかけさせないために黙っていてくれたのに。それをあ、あたしが勝手に……」
心配をかけないとは一体何? 黙っていてくれた?
さっぱり意味が分からん。但し、相手側が一人で勝手に納得してくれたみたいなので、俺はそのペースに合わせた方がいいのかな。機嫌も何処か緩やかになり、矛先が遠くへ行ってしまったみたいだし。
「早めに警察に相談するべきです」
「け、警察……?」
「はい。葛川くんが優しくてカッコいいから、あの女が恋心を抱いて……葛川くんに困ったことをしているんですよね?」
恋心を抱いて、というのは違うと思うけどな。
熱い想いを持っているってのは事実だと思うが。
でも、困っているというのに変わりはない。
「大丈夫ですよ、葛川くん。頭のオカシイストーカー女からは、あたしが絶対にお守りしますから。もう二度と近付けないようにお灸を据えて上げないといけませんね」
ふふっと笑みを漏らし、廃進さんは独り言のように小さく。
「葛川くんはあたしだけの味方だって。あたしの側にずっと居てくれると約束してくれたって。だから、邪魔な人は消えて下さいって教えてあげないと……」
***
学校のチャイムが鳴ると、俺は駆け足で教室を出る。
勿論、隣の席の頭がおかしい女に呼び止められるけれど、そんなのお構いなし。一人をこよなく愛する俺にとっては、孤独な時間も必要なのだ。そう割り切って下駄箱に来たわけだが。
そこにあるべきものが、無かったのだ。
もしかして新手のイジメだろうかと検討したものの違うと自己肯定し、暫し頭を悩ませていると。
「探しているのはこれだよね?」
ふふっと笑みを漏らし小走り気味に来たのは、廃進麻理。
手元には、俺のと思しき革靴を持っている。
最初は命令すれば股を簡単に開くバカ女だと思っていたが、予想は大幅に外れた。
「はい、葛川くん。逃げちゃダメだよねー?」
コイツはどこまでも頭が狂った異常者であったのだ。
「一人で帰ったらストーカー女に襲われますよー」
ストーカー女というのはお前もだろと思う気持ちがあるものの、俺は喉の奥で押し留め、軽く笑みを浮かべるしかなかった。
「でも安心していいからね。絶対にあたしが守るから」
俺に女が判明してからの廃進麻理の態度は豹変した。
毎日朝早くから俺の家へと迎えに来て。昼休みはお手製の弁当を一緒に食べて。挙げ句の果てには下校も一緒。俺が予備校がある際には、待ち伏せしていることもあった。
端的に言えば、廃進麻理は俺の彼女面し始めたのだ。
学校内でも学校外でも、俺の横にベッタリ状態である。
何気に俺の母親とも意気投合し、暇さえあれば俺の家に居座ることも多くなった。ぶっちゃけ、うざかった。
しかし、俺が少しでも廃進真梨を否定することを言えば。
『葛川くんの嘘付き……あたしの味方だって言ってくれたのに。あたしのこと、好きって言ってくれたのに……』
『やっぱりあの女がいいんだね……あたしよりも……あの女が。そうだよね……あたしのことなんて、どうでもいいよね』
などと言い放ち、精神状態が不安定になってしまうのだ。
この状態の廃進麻理を元に戻すには、長時間抱きしめて「愛してるよ」と何度も言う他ないのだ。面倒な女である。
唯一の趣味であった”WEB作家潰し”も廃進麻理の影響で全くと言って出来ずに、俺は辟易していたのだが——。
何故か、俺の標的マリンは、俺が見ていない際には全く生配信をしなかったのである。
その代わりに、毎日配信を約束していたマリンは、度々休むようになった。忙しくなったとか言っていたが、もしかしたら俺の書き込みに少しずつ疲弊しているのかもしれない。
そう思えれば嬉しいのだが、疲弊しているのは俺もだった。
廃進麻理が度々情緒不安定になるのだが、その際に俺は彼女を介抱してあげないとならなかったのだ。別段義務感とかで動いているわけではなく、不安定状態が続くと何をするか、予測不可能だからである。今にも暴発する可能性がある爆弾があれば、誰もが処理すべきだと判断するだろう。それと同じだ。
「あっ、マリンの配信が始まった。今日も痛ぶってやるよ」
廃進麻理が消えて、唯一の癒し時間。
俺のストレス発散場。廃進麻理のご機嫌を取る為に散々溜め込んだ苛立ちを、俺は思い切りぶつけるのである。
『お前、才能ないよ』と。何度も何度も。
けれど、書き込む度に、翌日、廃進麻理の機嫌を取る為に、発散した分の二倍、三倍のストレスを溜め込む羽目になった。
廃進麻理の機嫌を損ねる奴が誰なのかは全く教えてはくれないけど、さっさと止めてほしい。介抱する俺の身にもなってほしいものだ。どれだけ苦労していることか。
***
一年の歳月が経ち、俺は晴れて高校三年生となった。
それと同時に、マリンがネット小説界から突然姿を消した。
俺の勝ちと言えば、勝ちになるかもしれないが、納得の行くような勝ち方では無いので、悶々とした状況が続いてしまう。
次の標的を探したい気持ちが山々だが、マリンとの決着が未だに着いた感じがせずに、俺は”WEB小説家潰し”を辞めた。
文理変更は去年行われたのでクラス替えは一切無く、俺と廃進麻理は相変わらず同じクラスで、周りからはお似合いカップルと茶化されるようになった。
俺としては、どこもお似合いではないし、付き合った記憶もないのだが……。
「葛川くん、あたし頑張りますっ!?」
「えっ……何を?」
「花嫁修行です。大切な夢を捨て、現実を見ることにしました」
「花嫁修行ねぇー。貰い手が居るといいな」
「何を言ってるんですか? あたしたち結婚しますよね?」
現実を全く見れてねぇーぞ。俺は結婚する気など皆無だ。
「もうお母さんに許可を貰ったので、葛川くんが18歳になったら婚約届を出しに行きましょうね」
「えっ……気が早くないかな……」
「気が早いって何ですか? 結婚は早い方がいいです」
だって、と呟いて、廃進麻理ははっきりとした声で。
「葛川くんは、あたしのモノです。一生離れませんからね」
***
結婚を境に、麻理の束縛はエスカレートした。
スマホやパソコンなどの電子機器を封じられた。
最近の浮気は『SNS』から始まるからだと言う。
他にも、女性が出てくる娯楽関連(小説や漫画、アニメも禁止。彼女の検閲が済んだものは特別許可が下りた)は全て禁止。自分以外の女性を見る俺を見たくないんだと。
おまけに、歯にはGPSを植え付けられ、俺の位置はいつでもどこでも彼女の監視下。
「結婚生活って楽しいね、聡くん」
「全然楽しくな……た、楽しいです」
背筋が凍るような寒さを感じたので、俺は言い直した。
「聡くんも喜んでくれて嬉しいー。やっぱり相性バッチリ」
そういえば、と思い返したように呟いて。
「あたしたちが仲良くなった理由って覚えてる?」
「理由……? 麻理が何か嫌がらせをされてて……」
高校時代の思い出を辿りながら答えた。
「うんうん。そうだよ。聡くんに散々嫌がらせをされてね」
「えっ…………?」
戸惑う俺に対して、麻理は獰猛な笑みを浮かべて。
「あたしね、知っちゃたんだ。聡くんが、あたしのことを散々罵倒して心を傷付けまくってたこと」
「な、何のことだよ……何を言ってるんだ……?」
「ねぇー忘れたとは言わせないよ」
——マリン——
彼女はゆっくりとその名を口にして。
「その名前を聞いたら分かるでしょ?」
「えっ……えっ……え、え……ま、マリンだと……?」
「そうだよ。あたしがマリン。聡くんが、ずっとずっとずぅーっとしつこく誹謗中傷してたマリンだよ」
突然の事態に脳の処理が追いつかない俺に対し、麻理はニコニコ笑顔を貫き通して。
「ねぇー。今、どんな気持ち? 自分が優位に立っていたと思い込んでいた相手が目の前に居て、その相手の尻に敷かれて生きているって、ねぇーどんな気持ちなのー? 教えてよー」
麻理が……マリンだと? そ、そんなことが……?
思い返せば、マリンの放送を荒らした翌日に、必ず麻理は機嫌を悪くしていた。で、でも……そ、そんなはずが。
「ど、どうして……荒らしてる奴が俺だと分かったんだ?」
「偶然だよ、偶然。それに知ったのも最近だし」
「ガッカリしただろ。もう別れよう、俺たちは終わりだ」
何度目かと思うほどの離婚を頼み込んだものの。
「はぁ? 何を言ってるの? 絶対にしないからね」
「えっ……? でも人間性ゴミな俺だと分かって……」
「ううん。寧ろ、だいだいだいだいすきーになったよ」
「はぁ……? えっ……? えっ、ど、どうして……」
「あたしね、聡くんの嫌そうな表情も大好きなんだぁー」
「……?」
「あたしのことが嫌いで嫌いで憎くて憎くて仕方ないのは、もう見ているだけで分かる。でもね、あたしはそんな聡くんが大好きなの。嫌な顔をしてる聡くんを見るのが、最高なのっ!」
真っ赤に染まった頬を両手で押さえながら。
言われてみれば、俺は麻理に接するのは嫌々だったのだ。
表面上では優しいフリをしていたけど、実際は面倒で怠くて、吐き気がしたものだ。
でも……そんな俺を見るのが、麻理は好きだったのだ。
「絶対に逃さないからねー、聡くん。ずっとずっと一緒に居て、大嫌いなあたしの為にお金を稼いで来てねー」
「ふざけるな……ど、どうして俺がお前なんかを……」
「先に仕掛けてきたのはそっちでしょ? それに、あたしが聡くんを大好きでも、聡くんはあたしのことなんて全然好きじゃないのは丸分かりだし。なら、もう憎悪を抱かれて貰った方がいいかなーって思ったんだぁー」
「お、お前……く、狂ってるよ。頭……壊れてるよ」
「えっ? そうかなー? 好きな人に想われるって愛情も憎悪も一緒じゃないー? 相手に想われていることには代わりはないし、愛する人が自分のことを考えてくれるだけで幸せだよ」
心底嬉しそうに微笑む麻理を見つつ、俺は今後の人生を想像してみることにした。
毎日朝から晩まで働き、社内の仲間と飲み会に行くわけもなく、真っ直ぐ家に帰って嫁のご機嫌を取る生活。
正直言って溜まったもんじゃないが、逃げられるはずもない。逃げたところで、直ぐに見つかって、きつーいお仕置きを受けるだけ。逆に俺が酷い目に遭うのはモロ見えなのだ。
無駄な抵抗。無駄な足掻きは絶対に止めるべきだ。
「お、お前のせいで……お、俺の人生はぐちゃぐちゃだ」
「あたしは幸せだよ。今後の人生設計も考えてあるし」
「えっ……」
「一年後に待望の子供が生まれて——」
淡々と、彼女は今後の予定を饒舌に語り始めた。
聞こえるのだが、俺の頭には一切入ることはない。
ただ一つだけ分かっていることは——。
俺は一生彼女のご機嫌を取りながら、娯楽も無しに、残りの人生を歩み続ける他ないのである。
一生彼女の奴隷として働き続けるしかないのだ。
『あとがき的な何か』
今作は題材が難しく、最後まで書き切れるか心配だった。駆け足気味に感じた方も居るかもしれないが、一応最後の部分以外はプロット通りに書いている。何も間違いはない。本来は、葛川聡も廃進麻理もお互いに『毒者』と『マリン』だと知らずに、最後を迎える予定だった。けれど、読者への配慮と言うか、爽快感を出す為に、マリンの正体を明かす展開にした。何はともあれ、最後まで楽しんでくれたならそれでいい。