8.そんな簡単に言わないで
「そうだ、ヴァルト王太子殿下の婚約者に決まったぞ」
夕食後、説教でヘトヘトになり部屋に戻ろうと踵を返したとき、言い忘れたとばかりに背中越しに伝えられて思わず父親を二度見してしまった。しかしすでに父…ゴードン・ポワロ―ルは妻マリアの肩を抱いてお腹を撫でていた。
ゴードンが愛妻家であることは、この家の者は当然、社交界でも有名である。政略結婚が当たり前、何なら跡取り息子を産みさえすれば後はご自由に。それぞれ恋人を囲い、そして純愛と謳うこともある貴族界の中では珍しい恋愛結婚だったのだ。社交の場で夫婦が想い合うこと自体よろしくないとされている風潮があるのに、本当に堂々とイチャつくので、今は寧ろ羨望の眼差しだ。
ゴードン…というより、ポワロ―ル家は美形揃いで、マリアの家系も見目麗しかった。二人揃えば、美男美女と皆口を揃えて褒め称える。特にマリアは社交界の華である。現在進行系のところがミソだ。お洒落も会話もセンスが飛び抜けてよく、物怖じしない性格なので目上の方からも人気である。どんなに気難しい人でも、マリアが声をかければ周りが驚くくらい笑顔になったりするのだ。―――勿論、妬む人間はいる。けれど彼女は強かった。歯牙にも掛けない。真正面から嫌味を言われたら、すっと無表情になり、ちらり相手を見やると、足の爪先から頭のてっぺんに視線を滑らせ、ふっ…と小さく笑って顔を背ける。たったそれだけだが、やられた方は顔を真っ赤にして逃げていくのだ。例え激昂してきても華麗にスルーするので、相手が一人でヒステリーを起こしているように見えるだけ。負けん気も強いので喧嘩で負けたことは一度もない。そんなマリアを普通の男がオトせるはずもない。国に貢献し公爵の爵位を持ち、容姿端麗、頭脳明晰、当時モテにモテたゴードンが仕事と称し近づき射止めたのだ。(職権乱用ともいう)
マリアのことが大好きで、客がいても膝に乗せて離さないほどの溺愛っぷりである。
悪阻で辛そうだったマリアを労るように頬を撫でたり…すでに二人の世界になってしまっていては、ルワンナが何を言ってもまともに相手にされないだろう。諦めて自室に戻ることにしたルワンナは側に控えていたエリーにエルダーフラワーのハーブティーの準備を頼んだ。
「お嬢様おめでとうございます」
にこにこと鏡越しに告げられルワンナはカップを傾けた。華やかな香りに甘さを感じる。じわりとひろがる温かさに全身の力を抜く。
「ありがとう…と言ってもいいのかしら?詳細をちゃんと訊いてないもの。どうしたらいいのかわからないわ」
髪を通るブラシが気持ちよくて瞼が重くなる。力加減といい、指先が髪を梳いた瞬間など絶妙に気持ちが良いので、どんどん眠くなってしまう。
「嬉しくございませんか?」
「嬉しいというか、こんな小娘でいいのかと不安になっちゃう」
「ご謙遜を。お嬢様が選ばれなかったら、誰が選ばれると言うんですか」
「真面目ね」
「はい。真面目に答えております」
「エリーは私贔屓が過ぎるから」
くすくすと笑っていえば、他の者に訊いても同じですよと、これまた大真面目に返される。「ありがとう」と素直に受け取り、さらさらになった自分の髪を満足気に払い立ち上がる。
「ま、これからのことは明日改めて考える!今日はもう下がっていいわ。ありがとう、おやすみなさい エリー」
「では失礼致します。おやすみなさいませ お嬢様」
深々と頭を下げて退室していくエリーを見送り、ドアが閉まったと同時にベッドに倒れ込む。
「やっぱり王道、婚約者ルート…キタ―――っ‼‼‼」
ゴロゴロとベッドの上を転がり回り、ひゃっほーい!と暴れる。
「これでやっぱり、ヴァルトが攻略対象ということがわかった!あぁ〜!檸檬様ボイスがはよ聞きたい!!
はやく声変わりしないかな〜!後は、恐らくアクトも攻略対象だよね。いやー、流石に子供にはときめかないと思ってたけど、自分の身体が小さいこともあってか、なんか意識しちゃったな…いや、マジでアクトくんかっこ可愛かったわ。ショタコンじゃないけど目覚めそうだったわー…」
あいたたた…と片手をおでこに置いて参ったなーと苦笑いする。
「でもまだ2人かぁ、あと3人は学園に行ってからかな?隠しキャラは未登場だよね?ルークとガルダンだったりしないよね…ルークの見た目めっちゃドストライクなんですけど。ガルダンのプレイボーイ感も悪くなかった。くそー!実年齢のままだったら確実にしかけたわ」
ううん…と悩みながら盛大にニヤける。わりと本気で2人が隠しキャラでもアリなのにと考えながら、ふと気づく。
乙ゲーならば、攻略対象とはフラグが立つだろう。しかし、自分は既に王太子殿下の婚約者だ。下手に異性と関わると、現実問題ヤバいのではないのか…貴族のルールではこっそりと…らしいが。
「え、無理じゃない?」
素に戻って呟いていた。