4. 少年の苦悩
暖かな日差しが瞼を重くする。小鳥の囀りと、そよ風に揺れる葉の音にそのまま身を任せて意識を手放したくなる。
―――少しくらい、いいか…
もう、何も考えたくない。
考えたくはないのに、先日のヴァルト殿下のお茶会のことを宰相である父から聞いてしまってから、考えずにはいられない。
ページを捲ろうとしていた手はいつから止まっていたのか覚えていない。諦めて本を閉じ、その背表紙を指先でなぞりながら革張りの椅子に背を鎮める。軋む音と溜息が混じる。そんなことにも気分が沈んでしまいそうになる。
ロビンソン・アルベルトはアクトの父であり、このグラドワ王国の宰相だ。先日、第一王子 ヴァルト殿下の婚約候補を絞るためのお茶会で色々と準備に追われていた人物だ。
グラドワ王国は今、比較的落ち着いた治世である。未だ敵対する国はあるものの、近しい国とは同盟を結び、休戦状態。親の代でやっと漕ぎ着けたといっても過言ではない。本来ならば近辺の国の王女殿下を向かい入れ、より強固な繋がりを持つべきだ。しかし、その繋がりも“絶対”ではないのだ。
現国王は賢王だと讃えられている。勿論、他国の王女殿下を向かい入れることも可能性としてはあるが、自国の方から妃を取ることも考えているようだ。そのため、爵位は勿論、中身も伴った人を見極めなければならない。
そんな中、ポワロール公爵家の令嬢ルワンナの名前が上がるのは必然だ。
ポワロール家の歴史は長く、その戦果の褒美に王女を承り、また、その縁で何人かの女王や側室を輩出している名家である。そんな家の令嬢を差し置いて殿下の婚約話は進まないだろう。
他国の王女殿下か、自国の令嬢か。国王はまだ決めかねているようだが、国を収めるのは簡単なことではない。やはり幼い頃から学ばなくてはならないことも沢山ある。なので今の内に、婚約者を選び、その素質を見極め、学ばせようと考えたのだろう。今の所、ルワンナの他には殿下と同じ歳の令嬢、1つ下の令嬢が2名の計4名が候補である。
そして、件のお茶会でヴァルト殿下自身が気に入ったのは、アクトの幼馴染であり、想いを寄せるルワンナだった。
よりによってと思うと同時に、だろうな。とも思った。
ルワンナは幼いながらも魅力的な少女だ。彼女の家は海を渡った東の大陸の血を色濃く残している。
象牙色の滑らかな肌に漆黒の髪、長く扇形の睫毛に紅をひいたかのような唇。好奇心旺盛の瞳は星を散らした夜空のようで、気づいたら相手の懐に容易く入ってしまえる程、柔らかな雰囲気を纏う美少女なのだ。
彼女の良さは勿論見た目だけではない。流石、文武両道と云われるポワロール家自慢の娘。頭の回転も速く、剣筋もいい。
もっと安定した時代で、国の地盤が確りしていたら、普通の公爵令嬢でよかっただろう。
しかし、今のこの国に必要なのは王と共に歩む者。
見つめ合うのではなく、同じ方向へ目を向け国の母となり、王を支え、国を担う者。
そんな人、簡単に見つかりはしない。
(だからこそ、殿下に見つかって欲しくなかった…)
人の気配に目を開け、椅子から立ち上がり本を片付ける。程なくして扉がノックされメイドの声がする。それに答えてアクトは大きく息を吐いた。
(こんな状況でも君に会えることが嬉しいなんてね)
「アクト まだかしら」
庭でハーブティーを楽しみながらルワンナは正門の方に目を向けた。と言っても、背の高い花や、植木達が死角になって門が見えるわけではないが。
「ルナ姉さんは別にいなくていいのに」
「えー 仲間はずれなんて酷いわ」
「仲間はずれじゃないです…」
アクトがルワンナに好意を寄せているから嫌なんだ―――とはいえない。
敵に塩を送るような真似をするわけがない。
年下のジオラルドからしたら、年上のアクトは脅威である。やはり体つきも自分より確りしているし、余裕もあるように見える。男らしさではまだ勝負できないジオラルドとしては、ルワンナとアクトを近づかせたくはないのだ。
ジオラルドにとってルワンナは、もはや従姉弟や義姉という言葉だけで片付けられる存在ではなくなってしまっていた。初めは確かに、大好きな姉をアクトに取られたくないという子供の嫉妬だった。けれど、アクトの気持ちに気づいた途端、それは子供の嫉妬ではなくなったのだ。男としての嫉妬。
自分を本当の弟のように無邪気に笑いかけ、無防備に抱きついてくるルワンナに、まだこの気持を吐露するわけにはいかない。恐らく、気づいているのは恋敵のアクトだけだろう。
「…これで、王太子殿下までも加わって来るなんて…姉さんをいっそ閉じ込めときたいよ」
ぼそりと紡がれた言の葉は誰の耳にも届かない。