3.弟が可愛い
「ルナ姉様おはようございます!」
食卓に着くと、先に着席していた少年から明るく挨拶をされ、ルワンナは顔をほころばせた。
黒い大きな瞳をキラキラと輝かせ、頬をうっすら赤く染めている可愛らしいその少年はルワンナの従姉弟であり、義弟である。
「ジオ おはよう。」
ジオラルドだからジオ。
ジオラルドはルワンナの父エドガーの弟であるエルヴァンの一人息子である。エルヴァンは騎士であったが戦で亡くなった為に、男児のいなかったポワロール家に養子として引き取られた。ジオの母親はもともと身体が弱く、ジオが3歳のときに亡くなってしまっている。そのときに引き取ったので本当の姉弟のように育っている。歳が2つしかはなれていなかったこともあり、雛鳥のようにルワンナについてまわり慕ってくるジオラルドをルワンナも全力で可愛がっている。
「何かいいことでもありましたか?」
「え?」
「どこか楽しそうなお顔をされていましたので…」
「今日は天気がいいからピクニックに行こうと思ってて。ジオも行きましょう?」
「楽しそうですね!」
ぴょこんと弾む頭を右手で優しく撫でる…仲のいい2人の姿はポワロール家の癒やしだ。
「ジオラルド様 本日はアルベルト公爵家のアクト様がいらっしゃるご予定でございます」
コホンと控えめな咳を片手で抑えながら執事のルーク・ロベルトが告げる。
切れ長の涼し気な双眸に銀色の髪、ピンと伸びた背筋、落ち着いた佇まいが冷たい印象を与えそうだが薄い唇が緩やかな弧を描くと何とも言えない色気を醸し出す。
そして何より―――美声だ。掠れまじりの柔らかな音が、時折ぐっと力が入る瞬間など…堪らない。
その見た目と声に、ルワンナの胸が早鐘を打つ。
(雛川 宗介さぁぁぁぁぁぁん!!!!!)
両手で顔を覆い転げ回りたい衝動を抑え、はやくルークの声に慣れなければ…とジオラルドを見ると、しまったと眉をハの字にさせていた。
「…アクトが来るの?」
「剣の稽古を一緒にしようって約束したんです」
「アクトと稽古?大丈夫?」
アクトはヴァルドと同じ12歳――対してジオは7歳。小学1年生と中学1年生の差だ。ぎょっとし、案じて身を乗り出せば見事に拗ねたジオラルドがジト目でルワンナを見ていた。
「どうせアクト兄さんよりも弱いですよ」
「あ、いえ、そういうわけではなく…」
「いいんです。事実ですから」
つーん!とそっぽ向く姿はあまりにも可愛いが、可愛いと言ってしまえばもっとへそを曲げてしまうのは明らか。しまったと慌ててジオラルドの機嫌をとろうとするルワンナにルークから救いの手が差し伸べられる。
「ジオラルド様と同年代の方だと、練習相手には物足りないだろうとガルダン様がご提案されたのです」
「そうだったの…」
「…建前です。僕たちぐらいは上手く手加減が出来ないからです…」
まぁ確かに、木剣だとしても万が一がある。下位の者が上位に対して万一があってはならないし、だからといって上手く手を抜くなどの匙加減は子供には難しいだろう。でも…とルワンナは口角を上げた。
「そうかしら…ジオは剣の才があるとガルダン先生はおっしゃっていたのよ。あの方は滅多に褒めて下さらないとアクトも言っていたわ。きっとルークの言っていたことは本当でしょう。…ごめんなさいね、つい可愛いからといって過保護になってしまったわ、私のこと嫌いにならないでね…?」
しゅんと肩を落とすルワンナにジオラルドがハッとして首を振る。
「いえ!ルナ姉さんが心配してくれるのは嬉しいです…僕の方こそごめんなさい。ルナ姉さんに頼られるくらい強くなるから、僕のこと嫌いにならないで下さい」
「ふぐ…っっ」
耳を丸め捨てられた仔犬のようなその風貌にルワンナは自身の胸をグッと握る。凄まじい破壊力の可愛さだ。なんだ弟、君は私を萌死にさせる気なのか?そうなのか?と自問自答する。
「私がジオのこと嫌いになるわけがないわ!」
「そうだと嬉しいな」
「もう!何で信じないのよ!そんなこと言って、きっと年頃になったらジオなんてモテモテで私のことなんて鬱陶しくなってしまうのよ」
「そんなことになりませんよ」
「そうかしら」
これでも中身は26歳である。話を変えることくらいなんてことはない。
「そういえば、お父様とお母様は?」
いつまで経っても現れない両親に首を傾げるとメイド長が現れ若いメイド達に何かを言いつけルワンナ達に頭を下げる。
「ルワンナ様、ジオラルド様、おはようございます。奥様は悪阻の為、このままお部屋で過ごされるそうです」
「まぁ大丈夫なの?」
「先日よりは大丈夫そうでした」
周りが、何よりルワンナ自身が混乱なく過ごせているのは、不思議とこの世界の言語、常識、思い出など疑問に思うことなく“わかる”からだ。当たり前のように、本当に自身が体験してきたかのように感じる。おかげで周りの人とズレを感じることもなく過ごせている。
そして思い当たる。
ルワンナの母親はもともと悪阻が酷いのだが、先日は水も飲めないほど辛そうだったのだ。
臨月になれば和らぐと思っていた(ルワンナのときがそうだった)悪阻に未だ悩まされているらしい。
「旦那様は登城することになり、すでにお出になられております」
「城へ?こんなに早く?何かあったのかしら…」
「私達も理由はわからず…」
そこでメイド長は頭を下げる。先程指示を受けていたメイド達が朝食を運んできたのだ。次々と並べられていく美味しそうな食事にルワンナの思考はすでに持っていかれていた。
「じゃあ、ジオ。今日は2人で食事を楽しみましょう!」
「はい」
―――擽ったそうに笑う彼の本性を、この家の誰も知らない。