2.一週間が経ちました
「お嬢様、おはようございます」
「ん〜…おはよう」
枕に顔を押しつけ欠伸をしながらルワンナは体を丸めた。メイドのエリー・クラリスがカーテンを開けると柔らかい日差しが部屋の中を明るくする。
王子様との優雅なお茶会から、すでに一週間は経っている。
「しかし夢から覚めていないぃぃぃっ!!」
「まだ寝ぼけていらっしゃるんですか?」
「…そうかもしれない」
「ではお着替えをお手伝い致しましょうか?」
「自分でします」
「かしこまりました」
エリーが頭を下げ、紅茶の用意に取り掛かったのを横目にルワンナは衝立の方へと向かった。背筋を伸ばし鏡と向かい合い幼い自分を認める。
乙ゲーの世界へ転生したのかと思えば、鏡に映る自分はまごうことなき“後藤 真琴”の幼少期である。では転移したのか?と思ったのだがそうでもないらしい。
正真正銘、公爵ポワロール家の令嬢ルワンナだ。
“ルワンナ”は設定時に自分でつけた名前である。間違いなく声優の名前だけで購入を決めた乙ゲーの世界ということだ。名前を決めて、オープニングの思い出の画面になったところで真琴の意識は途絶えている。恐らくその続きが王子様とのお茶会だったのだろう。
おわかり頂けただろうか?
――つまり“未プレイ”である。
ぶっちゃけ、タイトルも覚えていない。
「はぁ…」
癒やしを求めて、イラストと裏に書いてあった声優のキャスティングで即決したのだ。(製作者様、申し訳ございません)
因みに、あらすじも禄に読んでいない。相関図はざっとみた。(製作者様、申し訳ございません)
…主人公の容姿は一切描かれてなかったからこの姿なのだろうか…
わかっているのは攻略対象が5人と、隠しキャラが2人。
5人の声優は真琴の大好きな方々。
しかもなんと、真琴の中では殿堂入りしている二十年来のファンである “檸檬様” が王太子役で出演している。そう、実は先日のお茶会の相手、ヴァルトの声優が檸檬様である。
(声変わりしたら檸檬様の予定!!!)
未だ夢である可能性が捨てきれないが、その事実だけが胸を熱くさせる。
「お嬢様こちらへどうぞ」
幼児でもない、中身は成人、そもそもそんな経験もないので酷く抵抗を覚えてしまい、朝の支度の着替えを嫌だとごねにごねて自分のことは自分でしたいお年頃!の体を貫き通したおかげで一人での着替えを勝ち取ったルワンナに最初は戸惑いを見せていたエリーもこの数日で馴れたのか、比較的動きやすいワンピースに着替えたルワンナの姿を確認し頷くと椅子を引いて鏡台に招き、座るとすぐさまポットの紅茶をティーカップに注いでくれた。彼女が16歳と聞いたときは驚いた。どこか幼さは残るものの立ち居振る舞いも、メイドとしての仕事も卒なくこなしている彼女を、ついつい現代の16歳と比べてしまう。自分が16歳の頃は大口開けて友達とバカ笑いしてたのに。
「どうぞ。…何かいいことでも思い出されましたか?」
静かに置かれたソーサーを見つめていたルワンナは弾かれたように顔を上げ、鏡越しにエリーを見つめた。ニッコリと可愛らしく微笑まれて、自分の口角が上がっていたことに気づく。
「あ、それは…な、なんでもない…っ!」
かぁっと頬を染める様にエリーは思い当たり期待を込めた視線を送る。
「ヴァルト王太子のことですか?」
「違います!(いや、未来のヴァルトのことではある!中の人だけど…っ!)」
「でも先日のお茶会はなかなかイイ雰囲気でしたよね。このまま婚約が決まるかもしれませんし、私の方が何だかそわそわしてしまいます」
優しく髪をブラシでとかされ、気持ちよさそうに目を閉じるルワンナはまるで頭を撫でられる猫のようだ。
「ん〜…どうだろう?」
乙ゲーで思い出の回想シーンが王子とのお茶会とくれば、そこで何かがあったはず。メイン攻略対象ではあるし、お茶会は王太子への婚約者候補のお目通しが目的。
王道は、婚約が決まる――はず。
しかしわからない。何といっても未プレイなのだ。王子がどんな人間かわからないし、何か彼の琴線に触れることがなければ婚約は決まらないだろう。夢だと思っていた真琴は、講釈を垂れてしまった。9歳にあるまじき発言だった。年下の女の子にあんな偉そうに言われるなんて、王子でなくても嫌なはずだ。ときめくようなイベントだったとはいえないし、よくある未来という本編に繋がる約束とかがあるわけでもない。
そして、実はヒロインについてなのだが…プレイの内容によっては悪役令嬢にもなるらしい。
ゲームの煽り文に “正規ヒロイン?悪役令嬢?あなたはどちらで彼をオトす!?” とあった。どちらで、ということは悪役令嬢でも攻略出来るはずだが…
(普通、悪役ルートになると嫌われて婚約破棄とか最悪死刑、よくて流刑とかじゃないの?悪役令嬢で攻略出来るって攻略対象が病んでるか、終盤で誤解が解けて惚れられるとかなのか…)
意図して悪役になったとして、本当に嫌われてしまった場合どうなるのかがわからない。従来の正規ヒロインよろしく好印象となるように接するのが無難だが、いつの間にか悪役になっていた場合は為すすべもない。勿論、1か10しかないわけではないだろう。嫌われなくても攻略できないルートもあるはずだ。何もせず、無難に接して流れに身を任せるのも一つの手だろう。しかし、しかしだ。隠しキャラが存在するのなら行動をしなければ出逢えないはずだ。本命は檸檬様だ。そこは揺るがない。揺るぐはずがない。けれど豪華声優陣の乙ゲーだ。隠しキャラだって、大御所に決まってる。何もしないなんて、そんなもったいないことを、果たして本当にしていいのだろうか?
「せめてお声だけでも拝聴したい…」
「え?」
「ううん、紅茶おいしいわ」
「ありがとうございます」
ハーフアップした髪に深緑のシルクリボンを結ばれる。
なかなか可愛くしてもらえた。
シナリオはわからないが、夢ならば目覚めるまで楽しむしかない。
―――公爵令嬢、やってやるわ!