10.王太子殿下 再び
「ようこそ お運び下さいました 心置きなくお過ごし下さいませ」
自分の夢なのに緊張なんて変なのと思いながらもドレスの両端を軽く持ち上げ、片足を斜め後ろの内側に引く。流れるようにもう片方の足の膝を出来るだけ深く折り、背筋が曲がらないように意識を集中する。腹筋も膝もなかなかに辛いが顔には出さず、エレガントに〜、感心してね〜 ←と笑顔を向ける。
行儀レッスンで、このカーテシー…つまり跪礼を何度も練習させられ、あまりの辛さに「ドレスで中が見えないなら いっそ、深く膝を折るだけでいいんじゃない?」と思ってしまったものだ。女性だけのお辞儀の仕方なのだが子供だと、足の筋肉も体幹も未熟で本当に辛い。しかし、泣き言など言ってられない。王太子殿下の婚約者になったのだ。教養と礼儀作法、身につけられるものは何でも身につけるべきだ。己の武器になるものは一つでも多いいことにこしたことはない。
「こんにちは ルワンナ嬢。社交辞令を真に受けて、来てしまったよ」
「社交辞令だなんて!ヴァルト様が約束を守って下さって嬉しゅうございます」
「 “作って楽しい、食べて美味しい、褒められて嬉しいといい事ずくめ” とまでいわれたからね」
「えぇ 私に任せて下さいませ!」
くすりと笑って胸を張って見せるとルワンナの前にヴァルトが片膝を着く。
「そして―――婚約の話を受けてくれてありがとう」
応接間で控えていたメイド達が歓喜に息を飲むのがわかる。
差し伸べられた手に指先を置くとそっと唇が乗せられ、まるで本当のお姫様みたいだと高鳴る胸に手を置き頭を垂れる。
「こちらこそ 身に余る光栄でございますわ。王太子殿下の婚約者に恥じぬよう 日々努めて参ります」
微笑ましく見つめてくる両親にヴァルトが挨拶をしているのを、むず痒い気持ちで見ていたらふと固い顔をしたジオラルドに気付く。おや?と、そっと近づこうとするとヴァルトの背で隠れてしまった。
「ようこそ お越しくださいました」
いつになく淡々とした物言いに首を傾げてしまう。
「君がジオラルドだね。今日は会えてよかった。前回は会えなかったからね」
「申し訳ございません 体調を崩してしまっていたもので」
「もう大丈夫かい?」
「ええ。お気遣い痛み入ります」
すっと頭を下げるジオラルドにヴァルトは感心したように頷く。
「流石ルワンナ嬢の弟君 7歳とはとても思えないほどしっかりしている」
「自慢の弟ですわ」
可愛い弟を褒められて嬉しくなったルワンナはジオラルドの腕に両腕を絡めニコニコと首を傾げた。
―――“弟”
そういわれて複雑になるも、ジオラルドは姉に懐く弟として決して表に自分の感情を出さない。
「ジオは勉強も剣術も出来て、手先も器用で…それこそお菓子作りもよく手伝ってくれるんです!ね、ジオ♪」
「ルナ姉さんの教え方が上手なんですよ」
ふわりと優しく困ったようにジオラルドが笑うと纏う雰囲気も柔らかくなる。ルワンナは尚もジオラルドのことを褒めちぎり、終始嬉しそうに話す。ころころと笑う姿にヴァルトが微笑む。
「二人は本当に仲がいいな。ルワンナ嬢は弟君の前だと年相応に見える」
「あ、申し訳ございません つい、」
「いや、そのままで。そっちのルワンナ嬢の方が私の好みだ。私にもどうか心を許して欲しい」
「心を…」
「あぁ プライベートな場だし、なにより君は婚約者だしね」
悪戯っぽく笑うヴァルトにルワンナの頬が僅かに赤くなる。
(この歳でこのセリフと表情!末恐ろしや…)
「今日は君も一緒に菓子作りをしてくれるのかな?」
「僕もいいんですか?」
まさか自分も誘われると思ってなかったジオラルドは驚き、きょとんとしてしまう。二人で仲良く…というのも嫌だが、自分の立場もある。義理とはいえ、公爵家の息子なのだ。姉の婚約相手、しかも王太子殿下に下手なことは出来ない。
「ぜひ。その方が、ルワンナ嬢の素顔が見れそうだからね」
「う…」
「わーい ありがとうございます♡」
微笑むヴァルトから気を逸らさせる為にジオラルドは天使のような笑顔でルワンナの手を握って覗き込む。
くんっと掛かる重さに、照れていたルワンナもジオラルドに視線を向ける。
「僕 いっぱいがんばりますね!」
「はぁん 可愛い♡」
拳を握り、にこーっとする我が弟に身悶えしてしまう。こんな弟が欲しかったのだ。現実では一人っ子だった為、こんなふうに懐いてくれる弟にルワンナは滅法弱かった。
可愛いは正義だ!と心の中で叫びながら、こつりと頭を寄せる。
弟を溺愛する様は先程までのきりっとした令嬢の顔とは違い、何処までも甘く無防備で可愛い。無意識に見つめていたヴァルトは熱くなる胸に口許が緩む。先日のお茶会で垣間見たあの笑顔と同じ。
胸が締め付けられる。
まだ、彼女のことを何も知らないのに、惹きつけられる。
歳のわりに落ち着いた立ち居振る舞いや考えを持つところも、他の婚約候補者と違って見えた理由だったのだろう。でも、何より彼女の自然な笑顔が、真っ直ぐな目がヴァルトの心を掴んだ。
そんな優しい視線にジオラルドだけが辟易する。自分に向けている笑顔を他の男が頬を緩めて見てることさえ嫌なのだ。優越感を上回る独占欲が渦巻く。
「じゃあ、お言葉に甘えて弟と共にヴァルト様をサポート致します!」
任せてください!と本当に自慢げに自分のことを言ってくれるルワンナの顔を見ると、そんな醜い心も少し和らぐが…。
「僕も微力ながら手伝わせて頂きます」
「ああ、よろしく頼むよ」
やわらかく微笑み、軽く腰を折るヴァルトにジオラルドは“子供らしく”笑顔をみせた。
(ジオが一緒なら変に緊張しないし、和むよね。ラッキー!)
一息着いてからお菓子づくりをと思っていたが、すぐにでもとヴァルトにいわれ、三人は厨房に向かった。