1.これは夢だな
待って、まだプレイしてない!
「ルワンナ嬢?いかがされました?」
「――紅茶がおいしいな、と思いまして…」
「気に入って頂いてよかったです。ルワンナ嬢の焼いて下さったクッキーも美味しいですよ」
まぁ、そんな、うふふ…俯き視線をそらす姿は恥じらっているように見えただろう。対峙するグラドワ王国 第一王子 ヴァルトにも、側に控えている護衛騎士にも、執事やメイド達にも。
しかし、ルワンナ…もとい、後藤 真琴は決して恥じらっているわけではなかった。
(え、夢?夢だよね?んなまさか、は?いやいやいや…っ!)
視線を落とした先の胸許には真っ白なフリル。赤いシフォンのドレス。幼い身体。脳が異常事態だと認識する前にティーカップをソーサーに戻した自分を、混乱する思考の中そっと褒める。ばくばくと速く鳴る心臓を宥めるようにテーブルの下で拳を握る。
ちらりと視線を上げれば、鷲色の柔らかそうな髪に切れ長の双眸、整った顔立ちで静かに微笑む姿はなんとも利発的。10年後が楽しみだ、なんて他人事のように思い、やはりこれは夢なのではと考える。
夢の中でそれが現実だと思うことも、ふわふわした感覚の中でその世界の設定を瞬時に把握したと思うことも、どこか冷めたようにこれは夢なんだとわかることも26年間で何度も体験したことがある。
最近残業続きで、今日もパンパンに浮腫んだ足を引きずって帰路につき、シャワーを浴びてビールを煽りながら寝そうになっていた。買ったばかりの乙ゲーがしたいと思いながら…いや、なんとか起動をしヒロインの名前を入力して始まったところまでは覚えている。
要するに、寝落ちしたその先を今まさに夢見てるのではないかと思うわけだ。
唐突にゲームだ!と思った為に冒頭に至る。
「ルワンナ嬢は、お菓子作りと読書が好きなんですよね?」
「えぇ、そうなんです。ヴァルト様も大変な読書家と伺っておりますわ」
「まぁそうですね、人よりは読むかもしれません」
軽く肩を竦ませるヴァルトに首を傾げる。
「あまり好きではないんですか?」
「読むのは好きですよ」
「あぁ、お勉強の為が多いんですね。確かに自分から選ぶのは何だって面白いですけど、覚えなさいって言われたり、勉強だって渡されると途端に萎えますよね。あれって不思議ですよね」
「ルワンナ嬢は勉強はお嫌いですか?」
「学ぶことは嫌いじゃないですけど、勉強しなさいって親に言われるのは嫌でしたね。今からしようとしてたのにってなってしまって」
学生時代はあんまり真面目に勉強していなかったものの、本はたくさん読んでいて、そこから学んだことの方がよく覚えていたりする。ただ大人になると、あの頃真面目に勉強していたらもっと頭が良くなれていたのかもと思ってしまうけれど。
「でも、やっぱり勉強はしていた方がいいなって思います」
くすりと笑って、もし過去に戻ったら自分にそう言ってあげたいと思った。
「だって、未来の選択肢が増えるし、知識は武器になりますからね」
恐らく、未来の自分が言ったからといって真面目に勉強しても三日坊主になる可能性が大だ。遊ぶことも大事だと胸を張って言い返してくるに決まってる。などと考えながら髪を耳にかけると、ヴァルトが驚いた顔でこちらを見ていることに気づく。
「ルワンナ嬢は本当に9歳?私の3つ下と聞いてますが、すごくしっかりしていますね」
「9歳…小学3年生か」
「え?」
「あ、いえなんでもありません。勉強も大切ですが同じくらい遊ぶのも大切だと思ってますよ!思いっきり体を動かすのは気持ちいいですし、子供には子供のときにしかできない遊びがありますし」
「子供のときにしかできない…」
「はい。ヴァルト様もまだまだ子供なんですから勉強ばかりはダメですよ」
(まぁ、王様になるなら勉強は大変だろうけど。やっぱり子供のときは子供らしくだよね。今思えば、住民税や年金、家賃…お金の心配をしないで、ご飯を食べたりできるのも幸せだったなぁ。大人は自分のことは自分でしなきゃいけないし、自分の行動には責任を持たなきゃいけないけど…その分、行動範囲は拡がるし、大人は大人の楽しみ方があるもんね)
「ヴァルト様はどんな遊びが好きですか?今しかできないことでいえば」
「……今しかできない遊び…考えたことないな…」
「もったいないですよー」
「もったいない…」
「今度よかったら一緒にお菓子作りをしましょう!作って楽しい、食べて美味しい、褒められて嬉しいといい事ずくめですよ」
にひひとイタズラっぽく笑う少女にヴァルトの胸が締めつけられる。
嬉しいような、泣きたくなるような、逃げ出したくなるような。
「――えぇ、ぜひ」
「やったぁ!約束ですよ」
パクリとクッキーを口に入れ、夢でも味がするのは、味がするように思い込んでるからだろうなぁなんて呑気に考えていた真琴は数時間後に絶叫することになる。