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プロローグ・ファイナル


「私の、何処が好きなんですか?」

 急なスティーの質問に、バースはピタリと動きを止める。

 櫛で髪を梳いていたところだ。鏡を見ながら、スティーが先程の返答をどう言うかを不安として心に抱えながら、その不安を誤魔化すように本に目を通していた。

 心臓が締め付けられる感覚をバースは感じた。背筋はヒヤリとして、冷や汗が出る。

 先程、返答が欲しいとは言ったもののそっちが先に来るとはバースにとっては思いもよらなかった。

 何処が好き? 何処に惚れたかと言われれば強かな所だ、容姿は二の次、二番目には先程料理を振舞った時の笑顔とそのキラキラとした純粋な目と純粋な心に惚れた。

 それを言うには勇気が要る、とバースは頬を赤くした。

「言わなきゃ……駄目か?」

「はい」

 即答。

 本を閉じて今度は指遊びに行動を転じた。バース自身、羞恥心を煽るような質問に耐性などはなかったのである。

「し、強かな……ところ……」

 聞こえるか聞こえないかの境目程度の声量でバースは答えた。

「私よりも、バース様の方が強かだと思うのですが」

 聞こえていた、聞かれていた、反応が来た。

「普通、だったら……あんなにボロボロにされたら……私は……その、命乞いしか、出てこないと思うんだ」

 バースはいつもは一人称「オレ」なのに、羞恥のあまり取り繕えない状態で素が出てしまった。

「バース様は、普通の人と同じ行動を取るのですか?」

 あの状態になった事が一度たりともないから分からない、とバースは静かに答えた。

 それに対してスティーは「やはり、バース様の方が強いではないですか」と言った。

 そういう事ではないのだ、とバースは思いの丈を消え入りそうな声で胸の内を明かす。

「確かに、スティーは私よりは弱いかもしれない。でもそれは身体面での話であって……精神的な面では、スティーの方が強い……と思う」

 過大評価が過ぎます、とスティーは言おうとした。

 その時のこちらを見るその瞳には梃子でもこの評価は覆さぬと言わんばかりの想いが込められていた。

 その想いにどう応えるかはもうスティーの中では決まっている。体術面での強さを身に付けたかったのは昔の話としよう――下界で学ぶのも、冒険の一環、冒険の醍醐味として。

 いいや、下界に行くまでのこれからの思い出も冒険の一つとするのだ。

「――バース様は、私がこの街を出た後はどうするおつもりですか?」

「どうしようか……」

「決まっていないなら、いつでも良いです。下界に来てはくれませんか? 私とシエラ様と共に、ニゲラ様も誘って一緒に行きましょう。その時に……私に体術等を教えてください――私を強くしてください」

 だから今回は思い出を作らせてください、と浴場での返答も兼ねてスティーは言った。

 それに対してバースは――微笑んで了承した。


 * * *


 相手は剣、バースは拳――不利なようで対等であるとメトリーは語る。

 観客はこれ以上とないくらいに歓声を沸かせていた。

「昨日はゆっくり休めたか? ヴェルダン」

 バースはヴェルダンに対し、質問した。

「ええ、ぐっすりでしたよ。貴女と交える戦をどれほど夢にまで見た事か――昨晩もその夢を見ましたぞ」

 バースと同程度の長身さ、昨日とは変わって軽装――その様相は清々しさに溢れており曇り一つない。

 戦いの合図である銅鑼の音を待つ二人。ヴェルダンは長く息を吐き調子を更に整え、バースの出方を予見する。

 対するバースは静かに戦闘態勢に入った。単純な構え――片手を前に、油断はしないと表情を更に真剣なものへと変貌させ、空気には緊張感が溶け込んでいく。

 観客の歓声がだんだんと小さくなっていき、観客は双方の闘いを集中して見やろうと静けさを孕み――やがて銅鑼が鳴った。

(瞬きは厳禁――その間にも十五以上もの打撃が撃ち込まれると前優勝者は言っていた……バース様の基本態勢は反撃に徹したものだが、その反撃が最も脅威……!)

 ――時間が圧縮されたかのような感覚をヴェルダンのみでなく、観客までもが感じた。

 見逃す事など許されないと言っているかのようでもあった。

 第一撃目は薙ぎ――三尺程の長さを有する片手剣によるその薙ぎが女神の居た空間を横に割く。だがしかし割いたのは空気のみで女神の身体を捉える事は無かった。第二撃目も第三撃目も、それからの攻撃全てにおいて、バースの身体に得物が触れることは無く。

(横――――)

 ヴェルダンは横から来るであろう打撃を防ぐべく腕を固め防御を取る。

 防戦に徹していたバースがここで反撃した。

「グッ……!!」

 防いだ。しかしその衝撃は重く、体の中央にまで響き、ヴェルダンは三間程の距離を飛ばされ体勢を崩す。

 一秒にも満たないその時間に、観る者全員が濃密な攻防を感じた。


「凄い……」

 硝子の大窓に額を付けながら、スティーは見入っていた。

 場所は特別傍観席――メトリーやバースといった特別な者がグランティアを観戦する為の一室である。

 グランティア会場観客席の中央に設置されたそこは非常に参加者の戦いぶりをよく見ることが出来、そこに入りたければバースの従者として働くか、スティーのようにバースから気に入られるようになるしかない。

「バース様の闘いというのはいつ見ても、誰もを魅了する美しさを誇るわ」

「はい――――とても凄いです」

 魅了されたあまり語彙を失うスティーにメトリーはくすりと笑った。

 ヴェルダンが片手剣にて攻撃し、その攻撃を難なく往なし反撃する。大して衝撃を負っていないという素振りを見せるヴェルダンだが、隠せていない。

「動きも凄いですが……血が出ていないのが凄いです」

「そうね。バース様が与える損害はいつも関節や筋肉に絞られるからって言うのもあるわ」

 ――バースの戦闘はもはや芸術と呼ぶに等しいものだった。

 洗練された動き、余計な物を全て省いた完成品とも呼べる。相手に取っては予想だに出来ないような一撃はまさに空に絵を描くかのような神業――ヴェルダンに有利性などは見当たらない。

(これが……強さの極致……)

 スティーは目が離せない。世界が静寂に包まれ、ヴェルダンとバースの戦闘にしか集中できなくなる。

 ただひたすらに、素敵だった。

 唯の一度も攻撃を喰らっていないバースと、反撃により身体面での均衡を崩され続けているヴェルダン――勝敗の結果はすぐに来る。

「スティー。額に跡が付くからあまり硝子には……聞いてないわね」

 メトリーの掛ける言葉にもスティーは無反応。

 ――バースは知らぬ間に、スティーを魅了していた。


 * * *


 バースと過ごした期間は一か月に及んだ。

 たくさんの事を知った。バースのことをもっと知りたくなって、スティーは彼女に積極的に接するようになり、本人にとっては真剣なものだったがバースにとってはかなり過激なこと。

 馬車の中、バースとスティーは相対していた。

 少女は満足気な表情をしており、女神との日々を思い出しながらこれからの事に気分を高揚させていたのだ。

 一方で女神は少女と目を合わせられずにいた――それは照れと一ヶ月の間にあった様々な出来事を思い出しては赤面するを繰り返しており、少女は彼女の変化に気付けていないのは残念なことと言えるだろう。

 そしてそれを誤魔化す様に、バースはスティーに話し掛ける。

「下界に行ったら……まず何をするかは決まったか?」

「まず始めに、友達を作りたいですね」

「お、おぉ……良いと思うぞ。友達――まあ仲間だな、仲間は多いと良い事もある」

「でも、多分それは仮の話になると思うので、行き当たりばったりになるかと」

「そ、そっか……」

「……いつか、一か月前の悪魔さんにも遭遇するかもしれませんね」

「……うん、そうだな……確率的には、そうなるかも、な」

「でも、私は強くなりますよ。彼等に負けないくらい」

「そうか……楽しみだな」

 そして、バースは懐からスティーに渡そうと思っていたものを取り出した。

 腕輪――紅玉の中にバースの象徴画が埋め込まれたもの。

 「ありがとうございます」と、スティーは自分の腕に装着して感嘆の声を漏らす。

 バースの象徴画の効力は健康面での加護、身体能力の向上効果などがある。他にも様々な効果があるが、それは下界で実感して欲しいとバースは言った。

「羨ましいわね……」

 御者席の方からメトリーの羨む声が聞こえ、スティーは苦笑する。

「メトリー様も、一カ月間ありがとうございました」

「どう致しまして。元気で居るのよ? 怪我は、加護のおかげでしないと思うけど、要人はしておいた方が身の為ね」

「はい!」

 元気の良い返事。

 それを見てバースは何かを、胸の内を明かそうとして止めた。

 やっぱり今すぐにでも、付いて行くのは駄目か? だなんて――言えなかった。


 * * *


「ファリエル」

 主の呼ぶ声に、大天使は返事は無しに目線を向けた。

 いつもなら「仕事中ですよ」と言っていたところだが、主の表情を見て大天使は何かを感じて、黙って聞く事にしたのだ。主の胸の内を。

「私は決めたよ」

 主の「決めた事」とは目標だった。少女と共に、などというふわふわとsちあ目標ではなく確固とした決意の表れ。


 ――私はこれから行く下界を“最後”にしたい。


 それがどういう意味を持つのかはファリエルには分かっていた。

 主の決意にただ何も言わずに微笑みだけを返した――その微笑には返事も、安堵も、寂しさすべてが含まれていた。


 ――貴女がそうしたいのであれば、私は応援していますよ。


 照れ臭さ――多感な子が改めて親に「ありがとう」と顔と顔を見合わせて言う時に感じる、普段寡黙な男が恋人に「愛してる」と言う時に感じる、口数が少ないが信頼のおける友人に面と向かって「お前が一番大事だ」と言う時に感じるそれを、ファリエルは言えなかった。

 主の運命が善いものであるようにと、終着駅でないようにと、『運命』を司る大天使はただひたすらに願う。


「仕事、再開してくださいね」

「……照れ隠し屋め」

「今の倍の仕事押し付けますよ」


 ――――その世界の人間が何度世界を滅ぼすような進化を辿っても、その神が見放さなかったのは愛着あってのものだろう。

 『運命』を司る大天使を生んで、地を、大気を、水を、火を、命を――そして全てが誕生し、「人間」が進化の末に誕生した頃だった。

 『知恵』と『知識』を司るニゲラを生み、『輪廻』を司るチェイルを生み、『秩序』を司るスエを生み、『結付』を司るレイルを生み、『感情』を司るサグラスを生み、『理』を司るギルタを生み、『定着』を司るニーフと『抵抗』を司るキーフを生み、『蓄積』を司るモンスを生み、『歪』を司るベンサを生み、『回復』を司るバースを生み、『受容』を司るリアズを生み――彼等に世界を任せ、彼等の仕事で世界がどうなっていくのか。水槽の中で泳ぐ魚たちを眺めるように、愛着を感じ、そして愛していた。


 「人間」と言う存在が生まれて、知恵神ニゲラが生まれるより前――生活を彼等に教えたのは他でもなく、主だった。

 「神」であるとは名乗らず、その時はただの一人の人間として名乗った――こうすれば温かい火を得られる、ここに行けば奇麗な水が得られる、こうすれば、こうすれば、ああすれば……人間たちは感謝を込めて、彼女を讃えた。

 心地よかった――子供の笑顔が、人々の賞賛が、人間たちの感謝と喜びが。

 見返りを求めていた訳ではない。

 強いて言うなら、人間の成長が一番の見返りだったのかもしれない。


 * * *


 深く息を吸い、そして吐く――少女は緊張していた

 目の前には下界への入り口、天界の出口とも捉えられる白い光の通路――周りでは天使たちが次々とその白い通路の先へと旅立っていっているが、少女スティーと創造神シエラは立ち止まっていた。

「降りる場所は決まっていない。どこに出るか様々で、私にも分からない――いいね?」

 シエラの問いに、少女はただ「はい」と一つ返事だけをした。

「手を繋いで出るんだ。そうすれば一緒の場所さ」


 大天使ファリエルと、知恵神ニゲラ、そして『回復』を司るバースがその背中を見ていた。

 それは人間で言う「門出」だ。

 とある世界では門出には切り火という邪気を祓う仕来りがあったからと、それに倣って火打石を持ってくるべきだったかとニゲラが呟いた。

「問題ないでしょう。シエラ様が近くに居るんですから邪気の一つもスティーさんには憑りつきませんよ」

 ニゲラからすれば、ほんの少しの冗談で言った事だったのだが、それを現実味を帯びた言葉でファリエルが雰囲気を壊す。一言一言余計だよ、とニゲラがファリエルを肘で小突いた。


 自分の両の頬をシエラが叩き、横で仰天するスティーに言った。

「迷っていても仕方ない! さあ行くよスティー!」

 スティーの手を引き、シエラは走る。

「手を放しちゃダメだよスティー。病める時も健やかな時もずっとずっと――――一緒に行こう!」


 光の通路を抜けた時、そこにはそよ風の心地良い緑の平原が広がっていた。


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