ままならないこと
愛は呪いだ。美しい母の身を蝕んだのは流行り病などではなく、ひとかけらの愛だったとモニカは思っている。
持ち前の美貌と機転でただの町娘から貴族の使用人にまで上り詰めたのに、身分故に愛する男の唯一になれず、最後は寒空の下で孤独に死んだ。あぁ、なんて恐ろしい。姿形のない曖昧なものが、ひとりの人間を簡単に狂わせてしまうなんて。年頃の娘が頬を染めて話題に上げるそれが、モニカには得たいの知れない悪魔のように感じた。
だから、そんなものより、とモニカは思う。そんなものより、もっと分かりやすいものが欲しい、と。
モニカの夢はお金持ちになることだ。具体的に言うと、毎日美味しいものを食べて、清潔な服を着て、ふかふかのベッドで寝ることだ。リーヴィス男爵に拾われた日に望みは殆ど叶ったが、母の面影を重ねて過保護になる父親にも、複雑な感情を滲ませて伸ばした手をそっと下げる義母にも、腫れ物のように接してくる使用人にもいい加減うんざりしてきた。孤児院にいた頃よりよっぽど良い生活を送ってはいるけど、人間、向上心を大切にしなければ。モニカは、王立学園の入学案内を胸に抱いてそっと目を閉じた。幸い、母に似て容姿は悪くない。掴めそうな所により良い暮らしがあるなら、手を伸ばしてみたくもなるだろう。
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地方出身の学生は寮を利用できるようになっている。だから、多くの新入生は準備のため入学式の数日前に王立学園の門を潜る。モニカも例外ではなく、親元を離れて王都を訪れていた。歴史ある街並みを忙しなく馬車で通り抜け、大きな荷物を抱えて学園の敷地に足を踏み入れる。灰色の壁の先、増築を繰り返した広大な土地。見渡せばあっちにもこっちにも貴族、貴族、貴族。モニカ知らずに詰めていた息をそっと吐いた。たまに特待生枠で入ってきた子が居るけど、それはそれで王宮勤めが期待できる。もしや、学園という場所は伴侶探しに打ってつけなのでは……? 考えたのは誰だろう。きっと天才に違いない。
詰め込んだマナー講義のお蔭で、令嬢としては落第点でも、市井の出としては及第点の振る舞いが身に付いた。父親の過保護のせいで夜会に参加したことがなく、いまいちそれぞれの関係性が分からないけど、かき集めた情報からフリーで資金力のある子息をピックアップしていく。もちろん割合としては多くないけど、分母が大きいから実数も増える。当分の目標は人脈を作ること。最終的に目を付けた子息の誰かに嫁げるよう、頑張るつもりだ。
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入学式は散々だった。始まる前から明らかに貴族な女子生徒とぶつかるし、その女子生徒が式でスピーチしてるし。見た目の印象から高位貴族だろうなとは思っていたけど、まさか公爵令嬢とは。問答無用で首を跳ねられなくて本当に良かった。
夜に行われたパーティーでは開始早々大勢の前で転んで気を失ったから、子息との渡りどころか友人さえ作れなかった。しかし神は見放さなかった! 入学から数日後、なんとこの国の第一王子ルイス・オブライエンから声が掛かったのだ。王妃の座は流石に狙えないが、妾ならまだ可能性がある。それが無理でも王子の取り巻きと顔見知りになれる良い機会だ。モニカは心のなかで満面の笑みを浮かべながらも、表面上はしおらしく王子の誘いを受けた。
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第一王子の婚約者、レティシア・ボールドウィンは変な人。モニカはそう心に刻んだ。殆ど初対面の男爵令嬢にドレスを送るなんて、お人好しにも程がある。
良い感じの庭園で王子と二人きり。お話しながらそれとなく「可哀想な娘」感を出して庇護欲を誘おうとしたら、突然現れた公爵令嬢に跪かれるなんて……想像できる筈がない。しかも、その後は会う度に高そうなお菓子や小物を貢がれたり、お茶会に誘われたりする。勉強をみてくれるのは有り難いけど、一介の男爵令嬢に構う理由が全くわからない! いったい私が何をしたって言うの!