やめないで
『ワラビちゃん、私太ったよね……』
『黒井さん、それはかなり前からです』
『え……どこら辺から……?』
『正直結婚された頃から、拡大ツールで横にだけ伸びてますよね』
『縦横比狂ってるの?! 人間としてアウトじゃない?!』
『あー、このカットすごく好きです、手を繋いで空にふわわ~~って』
『わかる! わかるけど!』
今私は、ワラビちゃんと〇ウルの動く城を見ている。
お互いにDVDを「いっせーのーで」で再生して語り合うのだ。
これが叫んでもよい映画館のようで最高に楽しい。
だけど、今日は内容が頭に入ってこない。
『見てわかるくらい太った?』
『体重計乗ってますか? やっぱりマメに乗らないと一気にいきますよ』
仕事が忙しく毎日漫画書いている腐女子が、体重計になどマメに乗るはずがない。
正直、まあちょっと……? と思っていたが、見ないふりをしてきた。
ワラビちゃんは〇ウルを見ながらキャーキャー言っているが、私は正直それ所ではない。
何なら作業開始してから、線の一本も引いてない。
朝からずっと落ち着かないのだ。
家にはかなり早く帰って来た。
うちの会社は出張後、仕事が薄いなら直帰が許される。
だから名古屋から直帰してきた。
今日隆太さんと……と思ったら落ち着かなくて、とりあえずシーツを洗濯してマットレスも持ち上げて掃除機をかけた。
そしてパソコン横に積み上げてあった漫画を片付けた。
運んでも運んでも本が出てきたけど、とにかく書庫に投げ込んだ。
次に服を片付け始めて、今日何を着ようか……と棚を漁った。
そしたらシンプルなスカートが出てきた。これは頑張ってない女設定的には良いかなと思って履いてみたら、恐ろしくキツかった。
というか、ほぼアウトだった。
つまりかなり太ったようだ。
『でもビール飲まないとネーム書けないんだよね……』
『ネーム書いてる時の黒井さん、人間の最低ライン下回ってますよ、大丈夫ですか、あの姿滝本さんに見せて』
酷い言われようだけど、その通りだ。
『お酒飲んだ時に成功体験すると、アル中になりやすいらしいですよ。やめましょ! 黒井さんが体調悪くしたら私も滝本さんも悲しいです』
『わーん、ワラビちゃーん。そうだね、炭酸で誤魔化すようにしてみる』
ワラビちゃんが出かけるというので、二時間で通話は終了した。
一気に部屋が静かになった。
実は、落ち着かなくてワラビちゃんを呼び出したのは私だ。
隆太さん曰く「帰るのは最短で18時」らしい。まだ16時だ。
あと2時間もどうしたらいいのか分からない。
腹筋でもするべきか。いや2時間で痩せないだろう。
とにかく落ち着かない。
お風呂は隆太さんが帰ってくる直前が良い匂いが残るから、あとで入る。
でもお風呂に一緒に入るかもしれないし、カビでも取るか!
久しぶりにカビ取りをしてお風呂掃除をして、部屋もキレイ。
17時半になり、さっき隆太さんから『18時半くらいに家に着けそうです』とLineが入った。
よく考えたらご飯は……?
まあ冷凍庫に何かあると思うけど、唐揚げでも作ってたほうが良かったのでは……?
今から山を下りて買いに行く……と時計を見たら17時40分。
無理終了!
私はお風呂に入った。ドキドキして落ち着かない!
18時半をすぎても隆太さんが帰って来ない。
何をしても集中できない。
気が付いたら、ポツン……と音がした。雨がふってきたのだ。天気予報ではそんなこと言って無かったのに。
隆太さん、傘持ってないのでは?
私は傘を持ち、外に出た。予想より寒かったけど、駅までなら走れると思った。
真っ暗な坂を下る。雨が強くなってきて、風も出てきた。
寒い。
半分くらい下ったところで、コンビニ傘をさして坂を登ってくる隆太さんが見えた。
「隆太さん!」
「咲月さん、そんな薄着で……!」
隆太さんは慌てて私に駆け寄って自分のコートを脱いで私の肩に掛けた。
ふわりと隆太さんの匂いと重さを感じる。
温かい。
私は一歩近づいて、手を握った。そして腕を絡ませて頬ずりをする。
ああ、やっと隆太さんが帰って来た。
「おかえりなさい」
「ただいま。傘を持ってきてくれたんですね、ありがとうございます」
隆太さんは自分の傘をたたみ、私の傘に入ってきた。
すぐ近くに隆太さんがいるのに、何も話すことができない。
私たちは速足で家に帰った。
10月の雨は、気温をぐっと下げてくる。
傘をたたんで玄関に入ると、温かくて落ち着いた。
肌の表面は冷たいのに、身体の中は熱を帯びている。
「隆太さん、コートありがとうございました」
脱ぎながら振り向くと、目の前に隆太さんがいた。
いつもとは違う、まっすぐに私のすべてを見通すような強い視線に、心臓がドクンと大きく脈をうって、一気に息が苦しくなる。
手が顔に伸びてきたので、ビクリとして目を閉じたら、隆太さんの指が私の頬を撫でた。
氷みたいに冷たい……と思ったけど、私の頬も冷たくなっていた。
目を開けると、優しい瞳で私の頬にふれる隆太さんがいた。
両手で頬を包んで、私の頬を温める。
隆太さんの指の温度と、私の頬の温度が馴染んだ頃、いつもより低く、小さな声で
「……寒いのに、出てきて」
と言った。その言い方が、どうしようもなく優しくて、私は少し涙ぐんだ。
「……会いたかったんです」
「はい」
「部屋でずっと待ってました」
「はい」
「一日ドキドキして、部屋の掃除して、映画みてました」
「はい」
「ずっと、そわそわして、待ってました」
「はい」
「とっても会いたくて、待ってました」
「はい」
「時間になっても帰って来ないから」
「傘を買ってました」
「雨がふってきて」
「はい」
「隆太さんが帰ってこないから……」
「はい」
話を聞きながら、隆太さんは私の手を引いて、寝室に入って行く。
そして涙ぐむ私をベッドに座らせた。
涙を大きな手で拭って、頬に優しく唇を落とす。
隆太さんの唇が温かい。
その体温に、私は抱きついた。
ああ、安心する。
隆太さんは、スーツの上着を脱いで、床に落とした。
静かな部屋にトスン……と軽い音が響く。
ワイシャツ一枚になった隆太さん。ものすごくドキドキする。私は顔が見れなくて、肩におでこをトン……と置いた。
私の首の下、隆太さんがネクタイを緩めた。そして第一ボタンを取る。
心臓の音が身体中に送られているように大きく聞こえる。
ドキドキして、もう無理で、でも触れたくて。
私は隆太さんの首筋に唇を触れさせた。
隆太さんがピクン……と身体を動かして、深く息を吐く。
そしてネクタイを取って、第二ボタン、第三ボタンと取った。
露わになった肌に、私はゆっくり抱きついて背中に手を回す。
温かい、良い匂い、すごく好き。
隆太さんは私の背中に手を回して、ゆっくりと私をベッドに倒した。
そして上からじっと私をみて
「咲月」
と呼んだ。
ずるい、こんな時だけ呼び捨てにするのは、どう考えてもズルい。
呼び捨てにしたのに、声がいつもより甘くて、それもズルい。
私は顔を隠してしまう。
隆太さんは、前髪を動かして、おでこを出した。
そこに柔らかい唇を落とす。
そして顔を隠した指の上に、手の甲に、手首に。
肘、二の腕、肩、そして鎖骨に唇で触れる。
くすぐったくて私は手を動かして、隙間から見えた隆太さんを力なく睨む。
ゆるくなった手をどかして、隆太さんは私の唇に触れた。
いつも繋いでいる指先、太くて、大きな掌。
私は手首をつかんで、軽く唇を触れさせた。
「……隆太」
となんとか言ったが、結局そのあとに小さな声で「さん……」と付けてしまう。
全然無理だ。
隆太さんは目元だけで笑って、顔を近づけて耳元で小さな声を出した。
「……そろそろ、エッチな隆太になってもよろしいでしょうか」
「!……もう、かなり前からエッチな隆太だと思いますけど」
「そうかな、これからだけど」
私が口を開こうとしたら、隆太さんは私の唇を塞いだ。
それは今まで一番激しく、強く、甘く、逃げ場がなく、淫らな音と共に。
膝が私の脚の間を割り、激しく抱き寄せた。
恥ずかしくて、限界で、吐息が漏れる。
「やめましょうか?」
「……やめないで」
私は隆太さんを求めて腕を広げた。
離れたくない。