歌のチカラ
「そうだ、レイナからメッセージを預かって来たんでしょ?」
「そうよ。読みましょうか?」
「読んで、読んで!」
トムとアミに手を引かれて、笑里はマサじいさんの小屋に戻った。
裕はピアノにフェルトをかけ、蓋を閉めた。
「レイナは元気か?」
振り向くと、ジンが木にもたれながら裕を鋭い目で見ている。
「ええ。レイナは、あなたのこともよく話してますよ」
「オレのことはいいよ。突然ミハルさんがいなくなったからさ」
「ああ……、ミハルさんがいなくなったショックからは完全に立ち直れてません」
「そうだろうな。ミハルさんから連絡は」
「何も。私たちも、ずっと待ってるんですが」
「そうか」
ジンは大きなため息をついた。
「いきなり、いなくなっちゃったんだもんな。何かあったのなら、言ってくれればよかったのに」
裕はピアノをやさしくなでた。
「このピアノ、レイナにとっても大切なピアノなんですよね」
「ああ。だから、いつかレイナに持って行ってくれないか? ここに置いといても、朽ち果てていくだけだからさ」
「そうですね」
裕がブルーシートをかぶせていると、ジンも手伝った。
「ミハルさんはあんたを信頼してレイナを託したんだ。だから、レイナを傷つけるようなことは絶対にするなよ?」
裕は「もちろんです。誰かがレイナを傷つけるようなことがあったら、私も絶対に許さない」と強い口調で返した。
ジンは裕の目をジッと見てから、「そうか。よろしく頼む」と、クロと一緒に去って行った。
裕はその後ろ姿を見つめていた。
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帰りの車の中で、笑里はずっと泣きっぱなしだった。
「そんなに怖いところだったんですか?」
森口が心配して尋ねる。
「違うの。違うのよ。純粋な人ばかりで……私、歌を歌う楽しみを、久しぶりに思い出したの」
笑里は涙声で言った。
「いつも、高いチケットを買って来てくれるお金持ちの前で歌ってたけど……あの人たちが、本当にオペラのよさが分かってるかどうか、怪しいし。目の前で眠ってる人もいるし。でも、今日の人たちはみんな、目を輝かせながら聞いてくれてたの。泣いている人もいて……」
そこまで語ると、その光景を再び思い出して、笑里は声を詰まらせた。
「ああ、音楽は国境を超えるって聞いたことがありますけど、いい音楽は人の心の壁を超えるんでしょうね」
森口の言葉に、「その通りだ。さすが、森口さんはいいことを言う」と裕は同意した。
森口は、「それほどでも」と照れた。
「あの子は、みんなから愛されていたのね」
笑里は鼻をかんでから言った。
「ああ。あそこの人たちは、レイナを大切に育ててくれたんだ」
「レイナが子守歌を歌ってくれたって、トム君とアミちゃんが話してた。みんなが家族みたいなものなのね、きっと」
「ああ」
「私、ゴミ捨て場なんて場所からレイナが抜け出すのは当然だって思ってたけど……あの人たちと離れて暮らすのは、レイナにとって本当にいいことなのかしら」
裕はそれには何も答えられなかった。
「家に帰るまでに泣き止まないと。レイナが心配するぞ?」
「そうね」
笑里は「森口さん、何か明るくなる曲をかけてくれない?」とリクエストした。
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帰ってからレイナにニンジンを渡すと、「マサじいさんのニンジン!? やったー!」と大喜びした。
「まああ、こんなにたくさんのニンジン。ポタージュでも作りましょうか?」
芳野が言うと、「ポタージュ?」とレイナは首を傾げた。
「軟らかく煮たニンジンに牛乳を入れたスープのことね。おいしいわよ。作っているところ、見てみる?」
「うん、見たい、見たい!」
レイナは芳野と一緒にキッチンに行った。
「ねえ、私、ゴミ捨て場の人のために、何かしてあげたい」
笑里が言うと、「ああ。私もずっとそれを考えていたところなんだ」と裕は答えた。




